日本 プロライフ ムーブメント

美徳の倫理を中絶の問題に当てはめる

道徳論では、倫理的な人生を送ることの重要性は、人がその言動において、良くも悪くも成り得るという事実にあると言われている。すなわち、人の言動のひとつひとつ、つまりは人間要素の意図的な選択から生じる個々の言動が人の種類、言い換えると、個人が持つ人格を決定するのである。したがって、個人が持つ人格は、その人の意思決定に影響する。この見解に同意する人にとって、道徳的要素の観点から行動の正否を判断する上で最も重要になるのが、「このような言動により、自分はどんな人になるのか?」という疑問である。

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愛への挑戦

回勅:“フマネ・ヴィテ”は愛への挑戦 愛への挑戦 回勅:“フマネ・ヴィテ”に向けられた敵意が余りにも大きいので、人工避妊が初代教会のころから論争点でなったと初めて聞いた人はあっけにとられるほどです。一九三0年八月十四日、英国国教会は重大な理由があれば夫婦が避妊することは許されると決定したのですが、キリスト教諸派はそれまで避妊に関して一致して反対していたのです。教皇ピオ十一世は同年十二月三十一日、回勅『カスティ・コンヌビイ』で、避妊は本質的に悪であるというカトリック教会の伝統的教えを確認なさいました。

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避妊と中絶の関係

中絶反対運動に関わっている人々の中には避妊と中絶を結びつけて考えたがらない人々が多くいます。そのような人々は、これらは別個の非常に異なった行為、つまりいのちが生まれるのを妨げる避妊と、すでに始まってしまったいのちを奪い取る中絶は全く違ったものだと主張しています。

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やさしく殺して:無意味な延命治療の革命

私たちにはサービスを拒否する権利があります。よくレストランや小売店でこういう表示を目にします。しかし現在、患者のいのちに質的に治療費をかけるに値するものが欠けていると医者が判断するような場合、その患者に対して、延命治療を望まれても医者にノーと言える権利を与える「ヒュータイルケア(無意味な延命治療)」のガイドラインを支持して、病院の入り口にそれとなくそのような意味を表す掲示物を掲げている病院がいくつかあります。 

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幹細胞研究に関して焦点をぼかすこと

公判弁護士の間では古くから次のような格言があります。それは、「もし事実を論じることができない場合は、法律を論じよ。もし事実も法律も論じることができない時は、煙にまいて焦点をぼかせ。」というものです。この諺は政治的な議論にも同様にあてはまります。 

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慈善事業の勇気ある新世界:与える側が、人の生死を決定することになるのだろうか?

20世紀初頭の30年あまりの間、アメリカや多くの西欧諸国では優生学運動が盛んであった。『生まれながらに優れた』という意味を持つこの優生学の推進論者は、選択的生殖技術を用いれば、肉体的、精神的、文化的、そして社会的健全性を改善し、その結果、精神薄弱や癲癇、犯罪行為、精神病、アルコール中毒症、貧困状態を社会から一切なくす事ができると信じていた。

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食の砂漠」高齢者のむ

人口減少による過疎化と高齢化に直面する我が国の地方においても、生活インフラの弱体化問題は対岸の火事ではない。 2010-2020年において、人口の減少率は人口が少ない地域ほど高く、 過疎と高齢化は一緒に進むものであることがわかっている。日本国内でも、 交通手段を持たないお年寄りらが生鮮食品を食べられなくなる「フードデザート(食の砂漠)」が広がっているようだ。 大型店の郊外進出や車社会化で、中心市街地の商店が廃業していることが、「買い物難民」の増加を深刻化させている。 

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感情(1~3)

今回は、感情について考えていきたいと思います。人間は、誰しも感情をもっています。 あまり感情を表に出さない人がいますが、そのような人を見ると何か不気味で、能面のような顔に見えます。感情とは、 神からわたしたちに与えられた賜物の一つです。ある人は、「感情は良くない」と思っているかもしれません。もし、 感情が良くないものとするならば、なぜ、神はわたしたちに与えたのでしょうか?神は、すべての被造物を造られたときに 、「良し」と言っています。神が「良し」と言われたということは、そのものは完全であり、善であるということです。 人間の場合、その後に罪が入り込んでしまい、完全な善の存在とはいえなくなりましたが、その罪を通して、 わたしたち人間が、成長する一つのきっかけにもなります。 

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コミュニケーションの大切さ(3)

そのままのあなたで 今まで二回にわたり、コミュニケーションツールと「聴く」と言うことについてお話ししてきました。最後に、コミュニケーションにおいてもっとも大切なことだと思うことをお話ししたいと思います。それは、表題にもある「そのままのあなたでいい」と言うことです。これは、そのままの「わたし」というのは、何ものにもかけがえのないものだと言うことです。「わたし」はわたしであって、あなたでも、彼でも彼女でもないのです。その「わたし」ということをコミュニケーションにおいては尊重し、生かし続けることが大切となります。 

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コミュニケーションの大切さ(1)

現代社会のコミュニケーション  現代社会は、IT(情報技術)社会と呼ばれています。 数年前までにはほとんどなかったインターネットの発達と携帯電話の普及が急速に進んでいます。特に携帯電話は、 小学生の四分の一が持っていると言われているほど、老若男女が持ち歩いている機械です。また、 ただ通話するだけではなく、インターネットのホームページが検索できたり、eメール(電子メール)が利用できたりと、 携帯端末として発展を続けています。これらのものは、現代社会においては、 もはや欠かすことのできないものとなりつつあります。でも確かに便利ですが、そこに潜む落とし穴もあります。 

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自殺について

自殺に関する考え方も、公会議前と公会議後では大きく変わった点の一つです。公会議前は、教会法によって、教会での葬儀は認められていませんでした。それは、自殺した人が、「大罪のまま死んで、地獄に行ったので祈ってもしょうがない」、という考え方からだったのでしょう。 

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≪生命倫理について≫(3)

今回は、体外授精を取り上げたいと思います。体外授精には、配偶者間と非配偶者間の二パターンがあります。教会では、どちらも正常な生殖行為によって行われるものではないので、否定されています。(ただし、配偶者間においては、不妊で悩んでいる夫婦に対して同情を示しています。)この二つに共通する問題は、まずは、現在の医療技術では、授精させるためには複数の卵子と精子が必要となり、運良く着床し、胎児が成長してくると、使用されなかった卵子と精子が残り、それらは処分されることになります。教会では、この行為は中絶するのと同じ行為であると指摘しています。また精子を採取する方法も問題だとも指摘しています。ただ倫理的には、配偶者間においては、上記で言ったように同情の余地があります。 

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生命倫理について (2)

タレントの向井亜紀さんのことで、代理母がマスコミに取り上げられました。代理母は、カップルの精子と卵子を受精させ、その受精卵を自分たちとは関係のない別の女性の子宮を借りて、着床させ、子どもを産ませるというものです。いくつかの問題があると思いますので、整理しながら考えてみたいと思います。 

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水子供養

日本各地の寺院を巡ってみると、あちらこちらの寺院に「水子供養」の文字が見受けられます。そして、多くの場合、水子地蔵と呼ばれるお地蔵さんを中心とした祠が作られ供養されていることが多いようです。水子というのは、ご存じのように流産や堕胎など不幸にしてお母さんの胎内にいるときに亡くなった胎児のことです。この水子供養をしている場所に行ってみると、無数のおもちゃやお菓子、また子どもの衣料品などが祭られているのが目につきます。また、水子供養のために訪れるのは、男性よりも女性の方が多いのではないかと思います。この状況は、一つのことを表しているのではないかと思います。それは、多くの人が自分の行った行為に対して、ものすごく後悔の念を持っているということです。 

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研究対象としてのヒト胚に関するカトリック教会の教え

ヒト胚の研究を容認する法律に反対する中絶反対派のカトリック指導者たちは、そうした反対運動を効果的にするには体外受精を全面的に非合法化する必要があることを見落としている。彼らはクローン研究や体外胚のクローン形成にのみ言及し、体外胚そのものの形成には反対していない。例えばさまざまなタイプの遺伝子工学やクローン技術を指定して禁止することを目的としたカナダのC-6法案も実際は同じだろう。なぜか?それはこの法案が体外でのヒト胚の形成を禁止しなかったからである。方法に関わらず、人工的なヒトの生産は禁止されなければならない。体外受精はあらゆる胚研究プロジェクトの第1段階である。胚はその後の研究に必要な生物学的物質を提供する。 

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緩和ケア「楽に死なせて」

緩和ケアとは死が間近に迫った人に提供される介護である。「苦痛緩和」には死に行く人の苦しみを軽減するという意味がある。そのやり方について、現在活発な議論が行われている「死に行く人」という言葉は、正しく解釈するならば、最大48時間以内に死亡すると合理的に予想できる人に当てはまる。ただし、「差し迫った」という単語の意味についても活発な議論が行われている。こうした議論に拍車をかけているのが、『生命の質』、ある種の生活に「生きる価値があるかどうか」、並びに「生きる価値がない」と思われる生命を維持することの「費用対効果」に対するさまざまな判断である。 

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臓器提供:困った真実

「心臓死」の宣告後、臓器移植が2006年6月にオタワ病院で初めて実施されて以来、カナダ国民は、臓器移植に賛成するメディアを利用して世論を操作しようとする雄弁な人々の絶え間ない宣伝活動にさらされてきた。下記の論評は、移植目的でヒトの臓器を提供および収集することの道徳的原理ならびに科学的事実の双方について、真実を一般大衆に知らせる目的で提供されている。医師の多くが、ヒトの臓器移植の道徳性および臓器が回収されるときに実際に何が起こっているかについて正しい情報がないという事実について、重大かつ熟慮された懸念を抱いている。 

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