日本 プロライフ ムーブメント

「罪の意識を感じない日本人」

一般的に、未成年のしかも日本の高校1年生くらいの、自分の子どもが同じ未成年の相手の女性を妊娠させたような時に、まず日本人の両親が最初に考えることは、どのように考えるのであろうか?

フィリピンとは違って日本では、新しい生命の誕生の子どもの問題よりも、自分たち親の立場のことばかりであるとか、しかもそれも世間体のみを気にするばかりで、思考力がまだ十分とは思えない半人前である思われる子どもに対して、起きてしまったことに対しての子どもに対する非難から始まり、親の権力を振りかざしながら、高圧的な態度で子どもに臨み、子どもとは十分に相談することもなく、また親の方も深くは考える能力もないために、いとも簡単に胎児を殺すという殺人者の道を、選択してしまいがちであろうと考えるのが、多くの人の一般的な考え方ではないでしょうか? 

これは世間体だけを気にする余り、胎児の人格(まだ十分な人格と呼べるものはないかもしれないが)を無視した親の身勝手な判断であり、簡単に殺人という道を選択させる、日本の法律上の欠陥が見え隠れするようである。 

中絶することを半ば強制的に言い渡し、自分の子どもである、正確な判断力がない幼い子ども達に、殺人者としての道を強く勧める結果になるのではないだろうかと考えられる。これは国民性とか宗教観の違い、その他色々の要素があると思われるが、私は個人的には日本の悪法が、(胎児の殺人を安易に認める結果が)、このような社会風潮を作っている大きな原因の一つとして、あるのではないかということを声を大にして指摘しておきたい。 

このような考え方は海外の法律や文化を知らない、島国の日本国内にいた場合は、当然のこととして私も受け入れていたことと思うし、また堕胎・中絶が悪いこととは、これっぽっちも、到底考えもしなかったことであったことであろうと思いました。 

しかし新しい生命の堕胎・中絶を行うということは、これは立派な殺人には違いないことは、誰が考えても判ることだと思います。しかし多くの日本人は殆ど罪の意識もなく、このような殺人行為を受け入れさせられているのは、日本にあるこの素晴らしい悪い法律が、日本国民を洗脳しているためであろうと思っております。 

しかしこの堕胎を認めるという法律がおかしいと、指摘する人は今なお、日本には誰もいないのでしょうか? 

厚生労働省の統計によれば、2008年に日本で行われた人工妊娠中絶は242,292件で、15~49歳女子人口に対する比率は0.88%、出生100に対する中絶数の比率は22.2件(全妊娠のおよそ5人に1人弱)である。過去に遡ると、1955年に約117万件(全妊娠のおよそ2.5人に1人)、1965年に約84万件(全妊娠のおよそ3人に1人)、1980年に約60万件(全妊娠のおよそ3.5人に1人)、1990年に約46万件(全妊娠のおよそ3.5人に1人)、2000年に約34万件(全妊娠のおよそ4.5人に1人)となっている。 

一般に中絶というと未婚若年者のイメージが強いが、妊娠者が中絶を実施する割合は10歳代と並んで40歳代が7割近くと極めて高い。1975年頃には、10歳代の妊娠でも出産の割合が過半数なのに対し、40歳代では9割近くが中絶と、さらにその傾向が強かった。分別があると思われる40歳代でなぜこのように高い傾向があるのは何故であろうか? 

ただし絶対数では、妊娠者自体の多さから20~30歳代が大半を占める。また、日本では他国に比べて中絶者に占める既婚者の割合が高いという特徴があり、産児調節の一端を担ってきたことが窺えるという解説もあったが、中絶・堕胎を行うことによって、産児調節を行うということが許されていいのかと、どうも納得がいかない気がいたします。 

産児調節を行うということであれば、先進国である日本は、これ以前の前段階での、知識や技術等の考え方などが、たくさんある筈ですが、日本という国は殺人の道をいとも簡単に、国として推奨しているようにしか見えません。 

他国に比べて既婚者の中絶の割合が高いということは、単に世間体だけを考えての身勝手な判断であると思われ、わが子の新しい生命の誕生を奪っているようであるが、わが子を殺した殺人者という罪の意識は、起きないのであろうかと、不思議な気持ちになります。 

そういう親から育てられた子どもは、当然親と同じような遺伝子を持っていると思われるので、将来は親殺しや、または自分の子殺しを行うようになるのでは、なかろうかというのは、少し言いすぎであろうが大変、おおきな不安感が生まれてくるのは、人間として当然のことだと思う。 

最近の日本の中絶件数は、多少は減少傾向をたどっているようですが、他の先進諸国と較べるとはるかに高い水準にあります。この事実は世界中で知られています。私はこのような事態は人として、とても恥ずかしいことだと考えております。 

さまざまなテクノロジーが人類を幸福にしてきました、現代日本人は世界各国を眺めても、最も先進テクノロジーを取り入れた生活をしているといっても過言ではないと思います。 

しかし人間本来のあるべき姿を、モラルという観点から見た時、日本は最悪の国に、なり下がろうとしているのが現状ではないでしょうか。 

Shimokawa, Masahiro (シモカワ マサヒロ) 
2010年1月18日~19日掲載 
『ラグナベイの風に吹かれて』 メイドNo34~No35 
http://tamaraw.sblo.jp/ 
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