日本 プロライフ ムーブメント

研究対象としてのヒト胚に関するカトリック教会の教え

ヒト胚の研究を容認する法律に反対する中絶反対派のカトリック指導者たちは、そうした反対運動を効果的にするには体外受精を全面的に非合法化する必要があることを見落としている。彼らはクローン研究や体外胚のクローン形成にのみ言及し、体外胚そのものの形成には反対していない。例えばさまざまなタイプの遺伝子工学やクローン技術を指定して禁止することを目的としたカナダのC-6法案も実際は同じだろう。なぜか?それはこの法案が体外でのヒト胚の形成を禁止しなかったからである。方法に関わらず、人工的なヒトの生産は禁止されなければならない。体外受精はあらゆる胚研究プロジェクトの第1段階である。胚はその後の研究に必要な生物学的物質を提供する。 

体外受精とヒトクローン形成はなぜ禁止されるのか?

教皇ヨハネ23世は「人間の生命の伝達は自然な人間の意識行動にゆだねられ、神の神聖な法に支配される」補助生殖では「こうした行為が行われず、植物や動物の生命の伝達方法が用いられる。」(1)と述べている。教会はそれ自体が不正で、生殖と結合単位の尊厳に反するという理由で夫婦間の体外受精を非難している(配偶者間体外受精)。また配偶者の相互義務に違反し婚姻に不可欠な要素である結合を決定的に欠くことから、第三者の精子や卵子を使う体外受精(非配偶者間体外受精)も非難している。さらに、子どもから親子関係を奪い、個人としてのアイデンティティの成熟を妨げ、家族内の人間関係を損なう可能性があるだけでなく、市民社会にも影響を及ぼす(2)。体外受精は婚姻特有の行為の表現及び結実として達成されるものでも前向きな意思によるものでもない。 

ヒト胚は神の贈り物ではなく、技術の産物として扱われている。ヒト胚や遺伝子工学のさまざまな技術が使用される中で、ヒトはそのあるべき完全性を客観的に剥奪されている。体外受精が、ヒトの完全性を超える技術の優勢さを確立させている。こうした優勢は親と子に共通するはずの尊厳と平等性に反している(3)。したがって、体外受精は道徳的に容認できない。 

カトリック教会には福音書の法則のみならず、神の意志を表した自然法など、すべての道徳法の信頼できる解釈者として行動する権限がある(4)。聖 トマス‐アクィナスは、自然法を「理性的な創造物の永遠法への参加」と説明している(5)。また、教会は下記の教えも示している: 

「夫婦の行為が持つ2つの意味:結合と生殖の間には神の意思により切り離すことができないつながりがあり、それを人間が壊すことはできない。」 

政治的問題

この教えに鑑み、科学研究に使う胚の入手源として補助生殖を利用しようとする一部のカトリック教徒の政治的行為について検証する必要がある。世界では多くの国の政府が、精子を使って卵子を受精させる不妊治療クリニックで作られた胚を使う研究を容認する法律を可決している。そうした胚のほとんどは母親の子宮に戻されず、「余剰」として冷凍庫で保管されるか、そのまま放置されて死を待つことになる。その多くは研究目的で使用されるが、最終的には殺されることになる。そうした胚は体外受精で生産されるのである。 

ただし、研究に使う胚の生産方法は他にもいろいろある。例えば、体細胞核移植、前核移植、ミトコンドリア移植、胚細胞核移植、胚盤胞分裂、人工組み換え遺伝子導入などである。ヒトと動物の遺伝物質を組み合わせたヒト/動物キメラも作成されている。これらの作成はほとんどが研究室で行われている。例えば、イギリスのケンブリッジ大学の研究チームが最近、カエルの卵とヒト細胞の核の融合に成功した。その結果、彼らは遺伝的起源の一部がカエルで一部がヒトという生物を創り出した。 

この事実は我々に次の疑問を投げかけた。どのような法律があればこうした道徳的に不当な行為を確実に防止できるのか?体外受精そのものが道徳的に不当なのである。ヒトはすべて単細胞組織、つまり単細胞胚を存在の起源としなければならない。こうした不道徳な行為の多くは、まずその単細胞胚の存在が必須条件となることから、ヒトの単細胞組織の人工的な形成を禁止する法律の設置が唯一理にかなった方法である。ヒトと動物のキメラ形成も禁止するべきである。利用の趣旨が技術の利用なのか、生物学的な研究か、あるいは治療目的かに関わらず、強制的且つ恒久的にこれを禁止すべきである。 

現在まで、ヒト胚の研究を禁止する法律はさまざまな理由で成立していない。その理由として、技術や科学の急速な変化、民間企業に法律が適用されないという事実、法律立案者側の専門用語の使用に不一致、不明瞭、虚偽があり、その結果法律に多数の抜け穴ができていることが挙げられる。下記はいわゆる「権威者」の資料に見つかった意味的抜け穴の例だが、これらが結果的に法律に反映されることになる。ヒト発生学の科学論文で「ヒト胚」は受精又はクローニングにおいて単細胞として始まり、成熟後は数十億個の細胞で構成されるヒト組織を意味する。しかし、1978年に、GrobsteinとMcCormickが子宮に着床する前は「前胚」しか存在しないと主張した。 

非科学的な造語である「前胚」が発表されると同時に、道徳的・感情的意味合いを持った「胚」という言葉が徐々に消えて行った。最近では、胚は「受精した卵母細胞」に過ぎないと主張する研究者もいる。Irving WeissmanやMichael Westなどの研究者は、受精や体細胞核移植クローン形成の産物を「細胞」、57日の胚 を「細胞の玉」と呼んでいる。この調査の産物には間違った定義が行われている。同時に、彼らは体細胞核移植クローン形成の技術を「治療目的での幹細胞研究」として正当化しようとしている。ここでも技術の誤った定義が行われている。非難めいた意味を持つ「クローン形成」という言葉が消え、「治療目的での幹細胞研究」とされている。人々に「不快感」を与える「クローン形成」や「胚」という言葉を排除することが彼らの目的なのである。 

受精やクローン形成の直接の産物は細胞であるが、同時にそれは単細胞組織であり、ヒトであり、人間であるというのが偽りのない事実である。つまり、ヒト胚の研究を阻止するには、法律を用いて、手段に関わらず官民双方でのあらゆる体外受精を総合的に禁止しなければならない。中絶やヒト胚研究に反対するだけでは不十分である。人間性に対するこうした2つの罪を法律で禁止するには、徹底した対応を行う必要がある。我々は(外科的及び化学的な)避妊並びに受精やさまざまなクローン技術を用いたヒト胚の生体外形成をその方法に関わらず積極的かつ持続的に反対していかなければならない。 

(巻末の注:英文記事の末尾) 

Shea, John B. (シー・ジョン)
© 1997-2004 Catholic Insight
Copyright ©2005年4月6日
2009.8.14.許可を得て複製
英語原文より翻訳: www.lifeissues.net