日本 プロライフ ムーブメント

ヒト胚性幹細胞の研究

この25年間、体外受精(IVF)クリニックでのIVFといういわゆる「有性生殖」方法により生成されたヒト胚に関する実験が行われてきた。こうした実験の目的は IVF技術の進歩であると公言されてきた。 

2004年、体細胞の核移植クローニングという「無性生殖」方法によるヒトの受精が初めて成功した(1)。こうした実験が行われていることは、世界が死の文化に益々脅かされていることの証である。 

先日、ヒト胚を生成又は破壊することなくヒト胚幹細胞を生成する方法について生命倫理に関する大統領評議会に4つの提案がなされた(2)。成果を上げることがこうした提案の目的であることは間違いないが、道徳的懸念も残る。 

I. 第1の提案:

コロンビア大学の2人の医師、Donald W. LandryとHoward A. Zuckerは、保管期間が5年に達し、本来の生殖目的では不要になった体外受精胚を解凍する提案を行った。これらの胚は812細胞期まで発達している。これらを24時間慎重に観察し、その時点で発達が不十分な胚についてはさらに24時間観察する。数百個の胚を観察した後、発達が止まっていた胚が分割を再開する可能性がなくなる時間を判断する。Dr. Landryは、解凍後、この時間まで分割しなかった胚はその後分割せず、「有機体」として死んでいると結論付けた。彼は、「有機体」としての死という基準を用いることで、胚のすべての細胞の死ではなく、細胞分割の不可逆的な停止を提唱した。これらは「有機体」としての死の犠牲者であるが、これらの胚は胚の内細胞塊から取り出した正常な胚性幹細胞の源として利用できる、とLandryは述べている。 

この提案のどこが道徳的に正当化なのか?有機体として死んだ胚は、細胞の分裂、成長及び分化の機能を不可逆的に失っている。こうした機能の喪失はLandryが支持する脳死の基準を満たしており、ハーバード医科大学の臨時委員会の昏睡の定義に基づいている(1968年)。早期胚では、各細胞が他の細胞の分化に関わることで、結果的に胚全体の成長と発達に関与する。これらの細胞の役割は、脳の発達後に人の組織や器官の作用を統合すると言われる神経系の役割に似ている。(3)、(4) 

II. 第2の提案:

スタンフォード大学の医師で生命倫理学者でもあるWilliam B. Hurlbutは、「卵母細胞補助再プログラミング」と名付けた別の方法を提案した。これは胚性幹細胞の特徴を持つ転写因子を強制的に発現させることで体細胞核の後生的再プログラミングを行い、多能性幹細胞を生成するという方法である。 

これをどうやって行うのか?最初の想定は、後生的再プログラミングによってある種の細胞を別の種類に転換させる、この場合は体細胞を多能性幹細胞に転換させるというものである。「nanog」遺伝子と呼ばれる遺伝子は転写因子である〔「nanog」〕 蛋白質を生成するが、これは細胞の多能性の維持を正常化する主要因子として機能し、その細胞が全能性になることを防ぐと考えられている。多能性とは細胞をその他様々な種類の細胞に変化させる能力であるが、新たに単細胞の胚に戻す能力ではない。Nanogはまず桑実胚に現れ、その後、胚の内細胞塊ではより高い濃度で含まれる。nanog遺伝子はメッセンジャーRNA(リボ核酸)、すなわちmRNA(伝令リボ核酸)の影響下でこの蛋白質を生成する。 

2つの実践的な方法が提案されている。第1の方法では、核を多能性にすると考えられている転写因子、すなわちnanogに体細胞、例えば皮膚細胞を曝露する。次にこの核を核摘出した卵母細胞に移植し、多能性幹細胞を生成する。第2の方法では、nanogなどの転写蛋白質のmRNA(伝令リボ核酸)を核移植の前に卵母細胞に交替で、あるいは同時に注入する。また、こうして生成された多能性の「幹細胞」核は全能性の胚に入り込んだり、通過できないと考えられる。(5)全能性とは200種類を超える体内の細胞に分化する能力であり、また単細胞胚、すなわち接合子に変化する能力でもある。 

A. Landry/Zuckerの提案に対する意見

1. ハーバードの委員会は不可逆的な昏睡に陥っている人を「脳死」と見なすべきであるとしている。また、不可逆的な昏睡に陥っている人は実際に死亡していなくても、事実上死亡しているという見解も示している。残念ながら、西洋社会の議会、学術機関及び裁判所はこの相反する考え方を容認している。ハーバードの委員会は脳死を死と同等視しなかった。 

2. Dr. Landryは細胞間の化学物質の伝達や表面認識の欠如により細胞分裂が不可逆的に停止した胚は完全な結合が不可能で、有機体として死んでいると考えた。彼はこの状態が脳死の道徳的定義に一致すると決め込んでいる。では、脳死の道徳的定義とはどういうことか? 

3. 教皇ヨハネパウロII世は、2000年8月の第13回国際移植学会議で行った演説において、「科学団体から共通の支持を得た明確な規定要因が存在し、それによって医師が「脳死」、すなわち死亡を宣告している」事態を指摘した(6)。2005年2月3日、彼はクリスチャンとしての見解から「人の死の瞬間には心身を構成する結合が決定的に失われる…本来の意味での人の死は、科学技術や経験によって直接特定できない出来事である」という意見を述べている(7)。彼は前任者の教皇ピウスXII世の次の言葉を引用した。「…死と死の瞬間を明瞭かつ正確に定義するのは医師である。」ヨハネパウロII世は、脳死の定義において、科学者はCongregation of the Doctrine of the Faith(信仰の教義の集会)に頼ってもよいのではないかと述べた。Chancellor of the Academy(アカデミー総長)のMarcelo Sanchez Sorondo司教は、ヨハネパウロII世は「死の印を改めて研究し、純粋な科学として脳死基準の妥当性を確認するために2005年の会議を招集した」と述べている。(8) 

4. 事実、「死の明瞭かつ正確な定義」について医師の間で意見の一致はない。E. Wijdicsは診断基準について国際的なコンセンサスがないことを指摘している(9)。W. Haupt 及び J. Rudolfは欧州全土で脳死を判断するガイドラインが国によって異なることを指摘している(10)。Michael Wangらは、彼らが所属する医療機関において認定ガイドラインのコンプライアンスが不十分であることを示した(11)。米国の医師は、死の宣告には脳と脳幹の機能の喪失が必須であるとしている。イギリスでは、脳幹のみの機能の完全かつ不可逆的な喪失を脳死と定義している。カナダのNeil Lazarらは、脳死を人の死を宣告する基準にしているのは「臓器提供や移植を正当化するためであろう」と述べている。脳死基準が「人の死」を決定するとは述べていない(12)。The New England Journal of Medicineは、2001年に脳死を実際の死と同等視することについてコンセンサス を得るには、形而的、文化的、法律的、及び医学的議論は避けられないとする記事を発表した。D. Alan Shewmonは、特に死を迎える局面において「 全体としての有機体」の構成要素を身体的な条件で判断できるかどうかに疑問を呈している。(13) 

5. 細胞分割の停止を胚の「有機体としての死」とする考えに疑問を持つべきである。単細胞の胚が約50兆から100兆個の成熟した細胞に発達する生物学的機序は途方もなく複雑なものである。このプロセスでは一秒間に数十億もの相互作用が起こっている。そうした複雑な有機体において集成的な結合が失われた今、十分な正確性と道徳的な確実性をもって現実的にそうと主張することができるであろうか? 調和のとれた細胞分裂が失われることは、生存している有機体に生じたプロセスの乱れに過ぎず、たとえそれが有機体の死につながるとしても、すでにその死が起こっているとは言えない。 

6. 脳が身体の集成的な結合をつかさどるという前提は重大な問題を生じかねない。脳死を宣告された人の多くは、身体が水を分泌する機能を制御する遊離水の恒常性血圧上昇、抗利尿ホルモンを維持していた。脳は唯一の血圧上昇、抗利尿ホルモンの供給源である。脳は物質の吸収、水の排出と解毒、あるいは受胎を統合しているわけではない。脳死と判断された女性がその数カ月後に出産している。(14) 

B. Hurlbut の提案に対する意見

1. Hurlbutが述べているように、桑実胚と内細胞塊にnanogが含まれるという事実はあるが、そうした状況下にある細胞の多くは全能性を保っている。それらのすべてが単に多能性というわけではない。nanogやmRNA(伝令リボ核酸)を細胞質に挿入してもすべての細胞が多能性になるとは限らないため、Nanogの存在は無関係と考えられる。発達早期のヒト胚の細胞の大半は、生体外か生体内か、有性生殖か無性生殖かに関わらず、多能性ではなく、全能性である。これは、調整を行うことでこれらの細胞が接合子、すなわち単細胞胚の状態に戻れることを意味している。(15)、(16)受精やクローニング後14日以内に起こる「結合」という経験的事実でこれは証明されている。 

2. Hurlbutの提案で用いられるプロセスである核移植によるクローニングでは、それ自体、接合子を生成できる。卵母細胞の細胞質による核の再プログラミングの直接的結果、あるいはnanogやmRNA(伝令リボ核酸)を使った処理で最初に生成される多能性細胞の自然統制の結果として、体細胞の核をnanogに曝露する、あるいは核移植前に卵母細胞にmRNA(伝令リボ核酸)を移入する方法で必ずしも体細胞によるクローン胚の生成を防げるとは限らない。 

3. 動物実験の結果がヒトを対象にした実験の結果と必ずしも一致するとは限らない。動物で上手く行ったことがヒトでも上手くいくとは限らない。 

4. 排卵誘発によりヒトのドナーから卵母細胞を採取することを正当化するのは倫理的に問題がある。排卵誘発により卵巣癌、乳癌、血栓、肝臓や腎臓に有害な電解質の不均衡、並びに将来的な不妊のリスクをドナーが被るというリスクを考慮すべきであるという事実があってもなお、研究目的ということで正当化できるであろうか? 

5. 核移植によるクローン胚にはミトコンドリアDNAが含まれ、そのミトコンドリアDNAはレシピエントの免疫系によって拒絶され、有害な免疫抑制剤の投与が将来必要になる。 

6. クローン細胞は腫瘍などの異常を生じる。 

III.第3の提案:

体外受精で誕生した生きている8細胞期の胚から細胞、分割球を抽出し、胚性幹細胞と共に培養皿で培養する。マウスを使った実験において、胚性幹細胞から分泌される化学物質により幹細胞になる前の分割球に変化が生じることが確認されている。変化した分割球からはより多くの幹細胞が生成される。倫理的懸念として、胚に対する悪影響や胚のためにならない抽出が行われるという事実がある。マウスを使って先日行われた研究では、精子が卵子に浸透すると同時に胚のN極とS極が決定し、2つの前核が融合する〔配偶子合体〕12から14時間前に単細胞の新しいヒト有機体が生成されることが証明された。わずか4個の細胞で構成される胚であっても、それはアイデンティティを主張し始めているのである。研究者らは、間違った細胞を取り除くことで胚の発達能力に悪影響が及ぶのではないかと懸念している。(17)研究の内容を体外受精のプロセスに取り入れることで、そもそも不道徳な行為が承認されることになる。 

また、8細胞期胚の分割球は単細胞ヒト胚の状態に戻る可能性があることも念頭に置かなければならない。 

IV.第4の提案:

胚性幹細胞の多能性が維持されるよう体細胞を再プログラムする。これは体細胞核を胚性幹細胞に融合し、その後幹細胞核を取り出す方法により実行できる。体細胞核は胚性幹細胞の細胞質により再プログラムされる。 

再プログラムによって全能細胞、すなわち単細胞のヒトであるヒト接合子が生成された場合、幹細胞の培養で通常用いられているプロセスでそれが殺生されるという問題が生じる。一部の胚性幹細胞が通常の結合にも関わるプロセス、すなわち「調整」と呼ばれるプロセスによって自発的に接合子になるという事実は科学的に確立されている。(18)、(19)再プログラミングの結果、こうした事態が起こらないとは現時点で断言できない。 

さらに、再プログラミングの実施に提案されている方法には本質的な核移植クローニングが含まれる。このクローニングにより幹細胞が生成されるだけでなく、腫瘍などの細胞異常が発生したり、幹細胞の生成プロセスで殺生される単細胞胚も生成される。また、クローニングにより寄生生物の宿主の組織が拒否反応を起こす異種ミトコンドリアDNAを含む幹細胞も生成される。 

結論

胚の地位に関する記述において、Mauro Cozzoliは「我々が人間を扱っているかどうかについての不確実性は、理論、原理、又は教義上の立場(dubium uris)において抽象的な疑念ではない。したがって、それはヒトの生命、ヒトが今ここに存在することに関する事実(dubium facti)についての疑念なのである。真の意味において、「確実性と同じ義務が生じるのである。」と記している。(20)このことは、その研究でヒトを傷つけたり殺したりする可能性が疑われる場合、そうした研究を行う人は道徳的に自由でないことを意味する。 

4つの提案のすべてにおいて彼らが生成する細胞は全能性ではなく多能性であるという誤った仮定が行われ、それゆえにこれらの提案ではヒト胚を人工的に生成し、殺傷することが禁じられていない。したがって、これらの提案は道徳的に容認されるものではない。カトリックの神学者、哲学者、ヒト発生学者及び医師は、ヒト発生学と遺伝子工学の分野における最新の研究や技術開発を慎重に観察し、評価しなければならない。 本当の意味で公共の利益になる技術の進歩もある。そうでないものもある。これら2種類を区別することが非常に重要である。Cardinal Ratzingerは、2005年4月11日にイタリアのスビアコで開催された生活と家庭生活向上のための聖ベネディクト賞(Saint Benedict Award for the Promotion of Life and Family)の授賞式で「…道徳の力は科学の進歩と共に広まるどころか、逆に衰退している。…現代社会において最も深刻な危機は技術的な可能性と道徳力とのアンバランスである。」と述べ、ヒトの生命の起源を操作する可能性について例を挙げて説明した。(21) 

ヒトの生殖に関する政策作りに道徳的な責任を負うカトリック教徒は、カトリックの道徳的教えを徹底的に理解するだけでなく、それに関連する科学的事実を十分に習得すべき時期に来ている。ゆえに、ヒトの生命の起源の操作に関する公の議論にヒト発生学者を含めることが肝要である。また、ジョージ・ブッシュ大統領やビル・クリントン大統領による生命倫理に関する大統領評議会にヒト発生学者が全く指名されておらず、実際には彼らが数十年間も公の議論から除外されていることにも注意すべきである。 

Shea, John B. (シー・ジョン)
July 24, 2005
Social Justice Review
2011.2.5.許可を得て複製
英語原文より翻訳: www.lifeissues.net