日本 プロライフ ムーブメント

キリスト教における「死の神秘」

人間は誰でもやがて死ぬ。これほど明らかな現実はない。仏教では「生老病死」の四苦を唱えているが、その指摘を待つまでもなく、「死」は人生最大の苦であり悩みである。それゆえ、大昔から、死の意味を理解し、死を克服するために人類はあらゆる努力を傾けてきた。はたしてその努力は報われたであろうか。

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確実性への要求は必ずしもスッキリするとは限らない

前回の記事では、同性愛に関するカトリック教会の公式な客観的教えに触れた。「真実:カトリック教会とLGBTQ+」の記事である。今回はその続きとして、カナダの小教区で助祭を務める親友のダグラス・マクマナマン氏からいただいた記事を紹介し、主観的/司牧的アプローチについて述べたいと思う。ダグラス・マクマナマン助祭は、Lifeissuses.netのライターであり、高校生にカトリックの性倫理を教える教師であり、多くの書籍や記事を書いている。この記事の掲載を許可してくださったダグ助祭に感謝します。同性愛を扱う場合、客観的側面と主観的側面の両方に重点を置くことが必要だと思う。どちらか一方を避けることは混乱につながるからです。

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司教の手紙 ㊵ 「いのちの福音」について

教区の皆さま、お元気でしょうか。 今月は聖ヨハネ・パウロ2世教皇の回勅「いのちの福音」の内容についてお話いたします。 聖ヨハネ・パウロⅡ教皇回勅「いのちの福音」 1995年に発布されたこの回勅は、声も出せない弱い立場に置かれている人間のいのちに関するものです。具体的には、人工妊娠中絶で葬りさられる胎児や自らの意志を提示できず、他者の手に委ねられる末期患者のいのちが、合法的に容認される社会ができつつあることへの警告を発する内容になっています。この主題を取り上げたのは、二つの理由があります。一つは日本の事情で、2000年7月13日、「優生保護法」が改訂され、「母体保護法」として、再施行されたことと、もう一つは、アメリカの事情で、今秋の大統領中間選挙の争点になっている、各州の人工妊娠中絶法の是非です。

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真理:カトリック教会とLGBTQ+

「真理はあなたがたを自由なものとするだろう」(ヨハネによる福音書 8:32)とイエスは約束された。 若い頃、私はアメリカのミネソタ州の農場に住んでいた。農夫なら誰でも言うだろうが、農作業で最も困難なことのひとつは、種を受け入れるための土づくりである。掘り起こし、移動させる必要のある木や潅木、岩石を取り除き、土地を整地するのは大変な作業だ。土が整ったら、肥料を与え、生育に必要な十分な栄養素があることを必ず確かめなければならない。最後に、土壌に十分な灌漑を施さなければならない。そうして初めて、植える種を支える土壌の準備が整うのだ。

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未来へのバトン

レイチェル・カーソンは、1964年4月14日、「沈黙の春」が投げかけた波紋が広がるなかで、この世を去った。 「沈黙の春」の出版は、20世紀をふりかえるとき、忘れることのできない画期的な出来事であった。「沈黙の春」は、1962年6月に「ニューヨーカー」に発表され、その9月に単行本として出版されたのだが、発表と同時にたいへんな反響をよんだという。

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子どもたちに対する戦争: ダウン症ジェノサイド – 90%が殺害された(パート13)

(この記事は、「子どもたちへの戦争」を引き起こしている大人の強迫観念を明らかにするノボトニー 神父による継続中のシリーズの一部です。) テレビでニュースを見たり、朝刊を開いたりするたびに、毎日世界中で、人と人との憎しみがもたらす影響を目にする。暴力は家庭、職場、公共機関、学校、医療施設、そして街頭で起こる。それは実に多くの無意味な形で起こり、女性や子どもたちがしばしば犠牲となる。私たちはまた、戦争状態にある世界の多くの場所で、暴力と憎悪がもたらす壊滅的な影響を目の当たりにしている。その典型的な例がウクライナだ。かつては家族を養い、生計を立てていた人々がいた場所には、焼け落ちた家や事業の灰しかない。私たち人間は怒りに満ちて、その過程で誰を破壊しようとも気にしなくなることがある。この世で起こるすべての破壊は、人間の心の中に潜む罪という一つの源を持っている。私たちは他人を非難したくなるかもしれない。世界の不幸を政府やその他の組織のせいにするかもしれない。しかし、結局のところ、憎しみと暴力は、神と神の愛を拒絶する人間の心から生じている。

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vol.423 許せない苦しみがあなたをやさしくする

「傷つけた方と傷つけられた人どっちが悪い?」聞かれたらきっと多くの方は「傷つけた方だ」と言うと思います。でも日々カウンセリングをしていると、傷ついた人への風当たりは結構強いなあと思うんです。 機能不全の家庭で育った痛みをもつ人が自分の親について語ると「親を悪く言うべきじゃない」「甘えてる」という言葉に再び傷つくことが多いからです。

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人生の奈落から立ち上がった「命の授業」講演者の腰塚さん

以前も、村上和夫先生(筑波大学名誉教授)のお蔭で、JR福知山線事故に遭遇し医者も諦めた(脳がぐしゃぐしゃ)女性が、北京パラリンピックの水泳に出場できるまでに回復したことを紹介した(http://okinaka.jasipa.jp/archives/26)。その記事の中で、「良い遺伝子を目覚めさせるのは、感謝、感動、利他の心、笑い、何事にも一生懸命になる素直さ、病気も落第も自分に与えられた試練でありがたいと思う心など、人生を前向きに目標を持って励めば遺伝子のスイッチはオンになっていくそうです。本来人には優劣が殆どなく、成功者とそうでないのは、どれだけ遺伝子をオンに出来るかということだそうです。」との村上先生の話を紹介した。

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霊性を生きる宗教の本質は「祈り」

肉体をもちながらも霊的な存在である人間の生活の本質は「祈りの生活」であると言ってよい。つまり、祈りなくしては人間の生活は成り立たないというわけである。そして実際、昔から人間は何らかの形で神性を信じて祈りをささげてきた。そこで今回は、祈りの生活について考えてみたい。

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「彼岸と免疫」般若波羅蜜

般若波羅蜜 もうすぐ春彼岸、春分の日の前後各三日間に古くから追善供養の風習がある。 春分の日は、国立天文台からの情報に基づいて、春分の時刻を含む日に決定され、前年二月の官報で公表される。法律で「自然をたたえ生物をいつくしむ日」とされているが、明治十一年からの宮中行事「春季皇霊祭」で祝日となった。

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「待降節」

カトリック教会が11月27日から「待降節」に入りました。それは、クリスマスを待望する日が始まったということです。 待降節にあたり、聖書は、「目を覚まして祈ることの大切さ」を教えています。目を覚ましている状態とは何でしょうか。教皇フランシスコによると、それは、気をそらせることなく、注意しているということであります。すなわち、「心が鈍くならないように」、霊的生活が生ぬるいものにならないようにということです。自分の精神を鈍くしているものは何なのか、自分の生き方を麻痺させている生ぬるさは何なのか、自分を地面に押し付けて頭を上げることを妨げている悪い習慣は何なのかを自問するのは有意義なことであると思います。

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2023年幼子イエスさまはどこにおられるの?

今年もこの季節がやってきた。クリスマスだ。パンデミック(感染爆発)、地上の軍備増強、独裁者の人権抑圧、生まれている子どもと生まれてくる子どもへの戦争、トランスジェンダー男性が女性スポーツを乗っ取ること、日々のフェイクニュースなど、朝刊の見出しを見ればこれらのニュースは星の数ほどある。そして2023年のクリスマスは、確かに祝日としては到来した。しかし、今日の問題だらけの世界に欠けているものは何だろう?簡単に言えば、クリスマスが欠けている。キリストが欠如しているのに、12月25日を祝えるはずがない。私たちはキリストなしでクリスマスを祝おうと主張している。それは、あなたのいないあなたの誕生日を祝うようなものだ。

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さまざまな立場

このところ墓地内に建設中の永代供養墓のことでいろんなことを考える。大勢の人々がそれぞれの立場から協力してくださり、それがとてもありがたいのだが、時にはその立場の違いで意見の違いが出てくる。今問題になっているのは、屋根の上まで伸びてきている桜の大きな枝である。枝先が少し枯れているのだが将来的なことも考え、どこで伐ろうかと議論が盛んなのである。

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「いのちだいじに」ーいのちの行進  #5

待降節前日は産まれる前の子どものために祈る土曜日ベネディクト16世の呼びかけに応えて その日を「The Unborn Saturday 〜 産まれる前の子どものための土曜日」にしましょうー2010年、前教皇ベネディクト16世は、全世界の教会に向かって、そう呼びかけられました。教皇ベネディクトは昨年12月に帰天されましたが、日本のマーチは今年、その尊い呼びかけにこたえます。夏につづいて12月2日土曜日に、ふたたび「いのちの行進」をおこないます。御子の誕生を待ち望む日々を迎える前に、産まれる前のすべての子どもの霊魂のために祈ります。産まれる前の胎児のために祈る。産まれることができなかった胎児のために祈る。冷凍保存されている胚のために祈る。冷凍庫から棄てられた胚のために祈る。プロライフにとってとても大事な日になるにちがいありません。黙想し、ミサを捧げ、そして行進します。新しいマーチが始まる日本のプロライフが集まる場所は、調布のサレジオ神学院です。

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「排除される胚の立場を考える」産婦人科医・久具宏司さんとの対話

「ダイアログフォーライフ」第1回 着床前診断が事実上解禁となった今、誰よりもこの本の著者に会いたいと思った。本のタイトルは『近未来の<子づくり>を考える〜不妊治療のゆくえ』(春秋社)で、その著者が久具宏司(くぐ・こうじ)さん。体外受精の導入期から30年以上の長きにわたって不妊治療に携わってきた産婦人科の医師である。不妊治療(あるいは生殖医療)の現場で個々の患者と向き合ってきた経験と肌感覚が書かせた渾身の書き下ろしである。無自覚に、ただ資本の欲望のままに、坂を転げ落ちるように突き進む社会の未来に警鐘を鳴らす。欲しいときに欲しいこどもを計画的に作り出す「デザイナーベビー」が当たり前になる時代がすぐそこまで来ている。これは本当にわたしたちが望むゆたかな未来の姿なのだろうか?

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難民はただの人間ではない

化学の学生だったブルンジからの難民は、母国での暴力と政治的な迫害を逃れ、ケニアの難民キャンプに行き着きました。 5年前、彼は難民キャンプで石鹸を作り始めました。 多くの人がコロナウイルスとの戦いで主要な武器となった石鹸を探しているので、Covid-19パンデミックは彼のビジネスを後押ししました。ウイルスを遠ざける一つ方法は、頻繁に手を洗うことです。この男性が英国BBC放送局に話しかけた時、彼は「誰もが石鹸を必要としているが、誰もがそれを買う余裕があるわけではない。それで、利益よりも人々を守ることが重要だったので、価格を下げた」と述べました。 さらに、「パンデミックが始まったときの需要を満たすために生産量を75%増やす必要があったので、Covid-19は私のビジネスに適していました。しかし、高齢者などの脆弱な人々に無料の石鹸を与えるようにしました」と話しました。

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なぜ、この世に罪があるのか

この世は罪悪に満ちている。「思い、言葉、行い、怠り」による大小様々の罪のことである。と言えば、「自分は罪を犯したことがない、自分は潔白だ」、と言い張る人がいるかも知れない。しかし、聖書は言う。「もし、わたしたちに罪はないと言うならば、自分自身を欺くことになり、真理はわたしたちの中にありません」(1ヨハネ1,8)。それほどに聖書がこだわる罪とは何なのか、教会の教えの中にその神秘を探してみよう。

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いのちを守るために~原発のない世界を求めて (その2)~

【5.神のことを思わず人間のことを思う】 ここでイエス様のみ言葉に耳を傾けたいと思います。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」(マルコ福音書8章33節)これはイエス様がペトロに向かって言われた叱責です。この叱責の意味することは、人間のことを思ってはいけないというのではなく、忘れてはならない順序があるということに気づくようにということではないでしょうか。神のことを思わず、人間のことを思う、経済優先はいのちを貴ぶか、原発事故から考えさせられることを思い巡らしたいと思います。忘れてはならない順序とは、いのちを大切にするということを第一に置くということです。この思想は、ほとんどの人の共通項でしょう。しかし、「神の存在を全く考えていないか、たとえ神を信じていても、人間は怒りやねたみ、独占欲や支配欲に突き動かされたり、金銭や物に心を奪われてそのとりこになったりする時、神を忘れ、理性を失い、他の人のいのちさえ奪ってしまうことがあります。神なしだと人間は、権力、体力、知能、所有物などの点で自分より劣っていると思う人に対して、そのいのちを自分より軽く見る傾向がある」(社会司教委員会「非暴力による平和への道」13頁より)と言われています。

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循環経済のすすめ

20世紀文明の「負の遺産」ともいうべき環境問題が顕在化するなかで、人類は「持続可能な開発」(Sustainable Development)という概念を見つけました。  この「持続可能な開発」という概念は、1987年にまとめられた「環境と開発に関する世界委員会」の報告で「将来の世代の欲求を充たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発」と定義されました。1992年、リオで開催された「地球サミット」は、この概念を「気候変動枠組条約」「生物多様性条約」「アジェンダ21」などの環境政策に具体化する機会になりました。

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令和5年 長崎平和宣言

 「突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ、道路に叩きつけられました。背中に手を当てると、着ていた物は何もなく、ヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。3年7か月の病院生活、その内の1年9か月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨の間から心臓の動いているのが見えます。」 これは16歳で被爆し、背中に真っ赤な大火傷を負った谷口稜曄さんが語った体験です。 1945年8月9日午前11時2分、長崎の上空で炸裂した1発の原子爆弾により、その年のうちに7万4千人の命が奪われました。生き延びた被爆者も、数年後、数十年後に白血病やがんなどを発症し、放射線の影響による苦しみや不安を今なお抱えています。

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広島市長による平和宣言 令和5年 2023年

78年前の原爆投下の日を、まるで生き地獄のようだったと振り返る当時8歳の被爆者は、「核兵器を保持する国の指導者たちは、広島、長崎の地を訪ね、自らの目で、耳で、被爆の実相を知る努力をしていただきたい。あの日、熱線で灼(や)かれ、瞬時に失われた命、誰からも看取られず、やけどや放射能症で苦しみながら失われていった命。こうして失われた数え切れない多数の人々の命の重さを、この地で感じてもらいたい。」と訴えています。

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「いのちだいじに」—いのちの行進  #4  

『いのちが自然にうまれるところ』が真の科学者べシャンの居場所。 アントワーヌ・べシャンが公式デビューを果たした真夏の「いのちの行進」が終わりました。猛暑の中ご参加いただいたみなさま、ならびにクラウドファンディングにご支援いただいたみなさま、この場を借りて御礼申し上げます。真の科学者としてのべシャンの名誉を回復するための運動は着々と歩みをすすめています。次の「いのちの行進」は助産院から出発します。”いのちが自然に産み落とされる”場所が、わたしたちのマーチの母体になります。助産院には自然に産み落とすためのメソッドがたくさんあります。しかしパスツールを起源とする現代の科学は助産院に蓄えられた知識をすべてエセ科学とみなします。パスツールが目の敵にしたべシャンがもし失脚していなかったら、助産院は科学の殿堂だったでしょう! 

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「涅槃と世界平和」死の渇愛

二つの涅槃  もうすぐ二月十五日、日本の寺では涅槃会が行われる。スリランカなどの上座部仏教では涅槃会と共に降誕会と成道会が同じインド暦第二の月ヴァイサーカ月の十五日に行われている。十五日は満月であり布薩という仏教徒定期集会の日なので、これに合わせて十五日にしたようだ。ヴァイサーカ月は太陽暦の四月から五月頃に当たるが第二の月なので二月と訳された。前にも書いたが、実際の釈尊の入滅は雨安居が明けて三ヵ月の後であり、陰暦十月頃だと思われる。 釈尊が説いた涅槃は現世において到達すべきものであったが、次第に涅槃は死と関連づけられるようになっていった。ジャイナ教などの影響をうけて、生きている間は有余涅槃、死んで無余涅槃といわれるようになったのだ。涅槃は苦の消滅であり、四苦八苦を総称した五つの執着である色受想行識という我執の滅尽を意味する。これが、生きた肉体がある間は未だ完全でないと解釈された。涅槃会というときの涅槃は般涅槃(パリ・ニルヴァーナ)で、完全な涅槃、無余涅槃を意味する。 無余涅槃の前提に有余涅槃があるのだから、単に死ぬことは涅槃ではない。しかし、仏教は自殺を宗教的実践にしたという一部の誤解もある。自殺に関する有名な著作であるデュルケーム『自殺論』には多くの宗教的自殺が挙げられているが、仏教は自殺を禁じたと正しく指摘している。 お釈迦様は集諦で、苦の原因が生殖欲と生存欲と死亡欲等の渇愛であると説かれている。そして滅諦すなわち涅槃は、これらの渇愛の滅尽であり、苦の消滅であり、無執着であると説かれた。従って、生殖にも生存にも執着せず、自殺もしないのが涅槃なのだ。

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いのちを守るために~原発のない世界を求めて(その1)~

【1.はじめに】 「いのちを守るために、原発のない世界を求めて」、このテーマは重いものです。そして重要なものです。私は原子力発電のことを科学的に、技術的に知る者ではありません。それは門外漢です。しかしキリスト者として、人間として生きるためには、これは関心を寄せていかなければならない大切なテーマであると思います。原子力発電というシステムを、今、私たちはどのように考え、理解していけばよいのでしょうか。

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ファティマの聖母とロザリオ

過日、“The True Story of Fatima”(本当のファティマ物語―聖母ご出現の一部始終)という96ページの小冊子がファティマ・センターから送られてきた。ファティマにおける聖母のご出現とそのメッセージについては、若いころ読んだたしか『ファティマの牧童』という本で承知していたが、この本を読んで、今あらためてファティマのメッセージの重要性を生々しく感じた。

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「いのちだいじに」—いのちの行進  #3

3つの「祈りのうちわ」をあおぎながら、きょう「いのちの行進」 きょう、猛暑の中、「いのちの東京銀座大行進」がおこなわれます。みんなが元気で笑顔で歩きつづけられますように。うちわがあれば少しは暑さも凌げるでしょう。10回目のターンに向かう今年のマーチは3種のうちわを用意しました。デモ用プラカードの代わりですが、「祈りのうちわ」です。まず、はじめの祈りはお詫びから。赤ちゃんに「ごめんなさい」を言いましょう。最も小さい者の一人である赤ちゃんのために、いつもわたしたちは「しなかったこと」(マタイ25-45)だらけです。とくに胚の状態にある赤ちゃんのためには「しなかったこと」しかないでしょう。受精して「いのちの光」を放ちながら、棄てられる膨大な数の胚。ひたすら謝らなければなりません。損なわれた霊魂を少しでも救うために。

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「いのちだいじに」ーいのちの行進 #2

どの精子がどの卵子にどの角度から侵入するか−すべては神の御計画 今夜は七夕です。天の川で彦星と織姫が出会うという伝説です。ロマンティックなストーリーはもちろん、子どもたちと”出会いの神秘”について想いめぐらす夜になるといいですね。 彦星と織姫はきっと神に導かれる二人です。出会う場所も神が指定したでしょう。誰か人間のお膳立てによって(マッチング?)成立した二人の出会いだったとしたら、こんな毎年のお祝いにはならなかったでしょう。精子と卵子が結合する受精も、男女のロマンあふれる奇跡的な出会いです。見えない神の手が特定の精子と卵子を選び出し、精子が卵子に侵入する入射角度も強度も神が決められたと思えることは、信者のおめぐみです。昔も今も「いのちは授かりもの」と捉える日本人の感性もクリスチャンの信仰と変わるところはありません。 

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