日本 プロライフ ムーブメント

エイズと『フマネ・ヴィテ』に照らした責任ある産児

始めに エイズウイルスの伝染が特に著しい状況がいくつかあります。たとえば、エイズウイルスに感染している母親から生まれる子どものような罪のない者が、「母から子へ垂直感染」する場合がそうです。エイズウイルスは感染している母親から子どもへ次の3種類の経路で感染する可能性があります。

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産児制限する前に考えよう

なぜ私たちは「産児制限(バースコントロール)」について語るのだろうか。この表現は一九一四年にバース・コントロール運動のリーダーであり、家族計画連盟の創始者であるマーガレット・サンガーが婉曲語句として初めて用いたものである。本当の主題は避妊、つまり受精の阻止である。ここでは結婚、性、出産、そして避妊に適切な人間の責任感といった神学的議論に触れているだけの余裕がない。しかし、聖書の中には避妊に直接関係のある題材がいくつかあるので挙げてみよう。 

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安楽死と過剰な医療

第I部 ヒュー・フィンの栄養管が外された事件は、世間の大きな関心を集めました。永続的な植物状態にある患者に対して必要な通常の医療および過剰な医療について教会の見解をお聞かせください。また、経済力、医療費、年齢など、家庭の事情はこの問題にどのような影響を与えるのでしょうか? 

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「命を選びなさい」―現代の性教育を考えるために

アメリカで、ある先生が授業で語った話です。  「先生の親しい友達が、ある夜、突然たずねてきて、何も言わず泣き崩れた。彼はハンサムでスポーツマン、 いつも自信に満ちていた。なぜ泣いているのか、しばらく落ち着くのを待つしかありませんでした。彼は、 苦しそうに打ち明けはじめました。 

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クリスマスと間引き

二十年程前の事、数人の婦人たちが「あの人赤ちゃんを産んで、御不浄(ごふじょう)に捨てちゃったんだって」 と話しながらお茶菓子を食べていたのを、私は今でも覚えている。特にここ数年、 折あるごとにその時の状況と産み落としたおばさんの顔が鮮明に浮かび上がってくるのだ。もちろん当時、 間引きが頻繁にあったのではない。しかしそれでもあの婦人たちは、 それが新聞に殺人事件として報道されるような事柄だとは、だれも意識していなかったのではないか、と思う。 私は彼女たちが間引きに何の罪も感じない時代に生きていたと言うのではない。 近世はもちろん近代にもあった間引きという現実を、あれは殺人行為だと捕えないような意識、 あるいは親の方に何か特別な事情があったと受けとる観念の名残を、今になって私は、 そんな記憶の内に見るような気がするのである。 

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”封印”された人生の復活自殺と中絶

カトリック教会では、十一月を「死者の月」と定め、特に死者のために祈ることを呼び掛けている。しかし、 自殺や中絶をめぐっては、遺族や当事者、また第三者も、その出来事とどう向き合い、 どう声を発していいのか戸惑っている場合が少なくない。長年、自殺や中絶といった、 人生のつらさを体験した人々と多くの身近なかかわりを持ち、 カトリック教会の教えと死をめぐる問題を見つめてきた東京教区の坂倉恵二神父に、 これらの問題と死者の祈念について聞いた。 

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曲がっている

幼稚園付きの教会で働いていた時、園児の父母を対象に、宗教講座を受け持っていた。 平日の日中なのでお母さんばかりだったが、運動会や発表会などにはお父さん も来ていて、その子のお兄ちゃんやお姉ちゃん、小さな赤ちゃんも来ているので、家 族の暖かな姿が羨ましかった事を覚えている。その中の一人の女性は、ミッ ションスクール卒業で、それで子供をカトリックの幼稚園に入れていた。その彼女は ミッションスクール在学中も「公教要理」を受けていたし、教会でも勉強は続け ていたが、何故か洗礼を受けようとはしなかった。前の年の復活祭の時も受けません かと薦めたが、断って来た。それでもイエスの魅力には惹かれていて離れる事 ができず、ずっとここまで来てしまったとの事だった。 

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本物の性と愛の選択を一若い世代へのメッセージ

現代は性について、本当の愛についての誤った情報(映画・テレビ・雑誌・インターネットなど…)が爆弾のように降っています。そのため人間が本来もっていた良心の声・清さを失わせ、多くの若者は何が本物なのか判別出来ないほど、この世の誘惑に惑わされていると思います。 

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寄稿「原発とトイレ」

トイレがダメになって取り替えた。立ち上がると水が流れる。至れり尽くせりである。そんなにしなくてもと思うものの、便利であり、快適である。そんなにしなくてもという思いの中に、とにかく水が流れて、そして詰まらなければよい、つまり、水が流れず詰まったらどうしようもない、生活が成り立たないという思いがドンとある。 

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無知ゆえに幻想を抱く私達

文学作品に描かれている悲劇の中で最も悲惨なもののひとつに、聖書に出てくるサウルの話がある。サウルは、例えていうなら、ディズニ-アニメ版「ハムレット」といったところか。本家「ハムレット」には、少なくとも主人公を陥れる正当な理由と言える悲劇が起こるのに対し、サウルは、もって生まれた資質からすれば、もっともっと明るい人生を送るに値したと思われる。 

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自殺についての私達の誤解

私は自殺に関する記事を毎年書きます。なぜなら、あまりにもたくさんの人々がこの方法により愛する人を失った痛みをかかえて生きなければならないからです。私達の親しい誰かが自殺の犠牲者になった時、たくさんの混乱(なぜ?)や罪(私達は何かをしたかもしれない?どうしてもっと早く気が付かなかったのだろう?)や誤解(これは絶望の究極の形)と共に私達は生きることになり、そして、もし、私達が信仰を持つ人なら、宗教的心配も同じように出てきます。(神はそのような人をどうやって扱うのでしょうか?彼あるいは彼女の永遠の運命はどうなるのでしょうか?)

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道徳上の孤独

「神秘主義的な祈りの指針」という彼女の本の中で、ラス・ブロ-ズはテレ-ズ・リジックスについて興味深いコメントをしています。彼女の写真を見て、ブロ-ズは、集団の中にいてさえも、テレ-ズの顔には分離の素質、1人でいる素質があることを表わしていると指摘しているのです。彼女はとても社交的な人だけれども何かがいつも彼女を分離させています。何ものも全く消すことができないようなそれほどの孤独が彼女の中にあります。

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家庭内修道院

半世紀前の代表的な信仰小説家の一人、カルロ・カレットは十数年間宗教的理由からサハラ砂漠で隠者として過ごした。聖餐のパンのみを友とし、食料のためにヤギの乳を搾り、現地のベドウィン語に聖書を翻訳しながら、独りで何時間も祈りを捧げた。ある時、母を訪ねるためにイタリアに帰国した彼は、あることに気付いてはっとした。それは30年以上も家族の世話に明け暮れ、自分の時間などほとんど持てなかった母の方が、自分より黙想的な生活を送っていたという発見であった。

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友を作るための戒律

今から二千五百年以上も前、人はモーゼから十戒を授かった。それから何世紀が過ぎ、18世紀の啓蒙主義を経ても、いまだにその戒律の有効性と重要性に疑いを差しはさむ余地はない。しかしなんとかそれを実行しようと苦労している時に、再びモーゼが二枚の新たな石板を手にかの山から下りてきて、人が他人、神、人生、そして自分自身とよりよい関係を築くためのルールを説き明かしてくれたなら役に立つに違いない。その新たな十戒とはおそらく次のようなものになるであろう。

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