日本 プロライフ ムーブメント

結婚をしない女性たち

日本だけの現象ではないようである。アジアでは、女性が結婚を望まなくなっているという。その社会的な影響は深刻だ、 とい文章が英国エコノミストに発表されている。(これは後で紹介をいたします)。 

最近、非婚化や未婚現象ということばをよく聞くようになった。数年前に、未婚・子ナシ・ 三十代以上の女性を負け犬と定義した「負け犬の遠吠え」(酒井順子2006)が三十四万部を売り上げ、 ベストセラーになった。10代や20代の独身女性にとって、結婚がもし興味深いトピックスのひとつであるとしたら、 それに関連した「未婚化が進行している」という情報や負け犬の存在に注目が集まることにも頷ける。 

結婚は契約関係の一種である。広辞苑(第5版)によると、婚姻は「 一対の男女の継続的な性的結合を基礎とした社会的経済的結合で、その間に生まれた子どもが嫡出子として認められる関係 。民法上は、戸籍法に従って届け出た場合に成立する」と定義されている。この上、 結婚にはそれに関連した単語の意味だけでは図りきれないさまざまな事情が存在しているように思う。 

未婚現象はそのうちのひとつである。未婚は、結婚していない独身の状態を指すことばである。 現代の日本で未婚化が進行しているということは、結婚をしないで独身の状態でいる人が増えているということである。 なぜ結婚を選択しない独身者が増えているのだろうか。独身女性の結婚観を調べることで、 未婚現象のメカニズムと未婚化はなぜ進行し続けているかについて考えることができると思う。 

未婚と非婚という2つのことばの差について考えてみよう。広辞苑によると、 未婚と非婚の意味はそれぞれ次のように定義されている。未婚は「まだ結婚していないこと」であり、非婚は「 生き方として、結婚しないことを主体的に選択すること」である。ともに独身者に用いられることばであるが、 未婚というのは未だ結婚していない状態であることから、結婚を経験したことがなく、 今後結婚する未来が可能性として含まれているのに対し非婚には結婚をあえて選択しないという説明がされており、 結婚について「しない」という当人の意志が存在すると捉えられる。 

また、未婚は既婚の対義語として位置づけられており、状態を表すことばだと捉えることができるのに対し、 非婚は当人の結婚に対する意志を表明することばだということもできる。 

未婚現象の実際 

現代の日本において、未婚化は本当に進行しているのだろうか。総務省統計局時系列データによると、 平成17年度の配偶関係別割合(%)における20代独身女性の割合は73.9%である。 21年前の平成2年度の配偶関係別割合における20代独身女性の割合は、62.6%であるから、 20代女性の未婚化は実際に進行していると言える。 

未婚化が進行すると、社会にどのような影響があるだろうか。ひとつとして、少子化への影響が挙げられる。 日本では核家族化とともに少子高齢化の道をまっしぐらに突き進んでいるための問題点がいろいろな分野で浮き彫りになっ てきている。 

厚生省の人口動態調査によると、合計特殊出生率は減少しているが、 一組の夫婦が持つ子どもの数は大幅に減っているわけではない。 シングル親制度や事実婚に対する理解が実質的に整っていない状況を考慮すると、 一般的には結婚が子産みへの前提条件となる場合が多いのではないだろうか。 

「デキ婚」もその意識の現れと言うことが出来る。子どもを授かったときに、 シングルのまま子どもを産むという選択肢は特別な事情を除いて望まれにくいものではないだろうか。 未婚化の進行が社会に与える影響のひとつとして少子化問題が挙げられることは事実である。 

未婚化の原因 

未婚化はなぜ進行したのだろうか。女性の未婚化が進行した原因についてメディアではさまざまな推論が主張されている。 非婚・未婚化や結婚についての特集を扱った5つの雑誌を調査対象として使用し、 その中で未婚化が進行している原因ではないかと推測されている説を抽出してみた。 

未婚化の進行における主な原因として挙げられていること 

1. 結婚をしても失敗するのではないかという恐怖が増えたため 

(cf.「これから結婚を控える世代は、周りに溢れる「失敗例」を気にせずにはいられない」 したい結婚したくない結婚AERA2006.2.13,14-19))暴力夫・借金夫など、結婚した後に「 こんなはずではなかったのに」という例が周りからの情報として独身女性の耳に入ってくる。 

マスコミは「結婚したらこんな恐怖が待っていた!」等の情報を大げさに流す。また、海原純子(2001) は未婚女性の結婚観は親の価値観に大きく影響されることを指摘しているが、現代の独身女性の親世代には「 熟年離婚ブーム」が存在した。これらの情報を大きな影響として受け取り、 失敗をよくないこととする価値観を内在化させている独身者は、自身の結婚に対しても大きな不安を持ってしまう。 パラサイト・シングルの増加などにより、結婚しなくても生活している環境が整ったことが間接的な要因となっている。 

2.理想を追い続けるため 

(cf.「どうしても自分よりちょっと上の人がいい、と思ってしまうところが問題」特集・非婚化社会がやってくる) 中央公論2005.12,P36)以前の日本では、結婚は外部からの圧力により行われることも多かったが、 そのような社会規範が緩んだ後、独身者は自由に結婚相手を選ぶことが出来るようになった。また、パラサイト・ シングルの増加などにより、結婚をしなくても生活していける環境が整い、 以前に比べて結婚について焦ることがなくなった。その結果として「結婚相手の品定め」 が可能になり自分の求める理想を追い続けることが可能になったため未婚化が進行したという説である。 

3.結婚によって自分の資源を犠牲にされることに否定的 

(cf.「どんなキャリア女性に聞いても、自分のためには働きたいが、夫や子どもを養うほどに、とは思っていない」 結婚難男女の本音AERA2005.1.3-10,P18) 自分で稼いで得た金を結婚した後の生活資金としてあてにしたくない意志が働くと指摘する説。経済的な面だけではなく、 自分の時間を結婚生活に取られることに否定的な面もある。それは、上記の2の中で述べたように、 結婚をしなくても生活していける環境が整い、結婚を完全な「選択」 として捉えることができるようになったという条件が前提にあると考えることができる。 

4.独身男性の経済力の低下 

(cf.「結婚難に陥る男の事情、女の本音」山田昌弘中央公論2005.12,P44)山田(2005)は「 女性は経済的責任を男性に求める。しかし、女性を満足させる経済力をもつ未婚男性の数は、 1975年以降徐々に減っていく」と指摘する。女性が経済的責任を男性に求めるという指摘内容は、上記の2の説「 理想を追い続けるから」という理由の具体的な内容のうちのひとつである。 結婚相手に経済力を求める女性の数が以前と変わらない、もしくは増加したと仮定したら、 独身男性の経済力の低下で結婚するカップルの数は減るだろう。また、不確かな情報ではあるが、ネット上には「 結婚は1億円の無駄遣い」という表現も存在する。 結婚をするためには金が必要だという意識が男女ともに結婚を遅らせていると考えることも出来よう。 

5.社会における結婚に対する価値の低下 

(cf.「結婚しなければ大変なことになるという恐怖―一人で老いるのが怖い、世間の目が怖い、親の目が怖い― を持てずにいる人が、負け犬の女性には多いのではないか」特集・非婚化社会がやってくる中央公論2005.12, P42) 

以前の日本社会には「結婚しなければならない」「結婚しなければ生きていけない」 という意識が内在化された規範が存在した。しかし、パラサイト・シングルの増加、女性の社会進出、性規範の変化、 一人でも淋しくないツールの発展など多くの要因からライフスタイルは多様化し、 結婚をしなくても生きていけるようになり、結婚の価値が相対的に下がったため結婚をする人が減ったという指摘である。 

以前は結婚が生きていくための手段として大きく捉えられていたが、 多様なライフスタイルの出現によりその役割が減少していったためと考えられる。 

6.自分の世界の完結による理由 

(cf.「自分の世界が完結しすぎているので、そこに異性を組み込めるかという心配」特集・ 非婚化社会がやってくる中央公論2005.12,P43)多様なライフスタイルの出現により、 結婚しなくても生きていける社会規範の中で自身が選択的な態度で結婚への判断に臨んだ際、 独身のときに出来上がった世界観を捨てられないという指摘である。結婚をするということは、 生活の中に他人を組み込むことである。それをわかっているからこそ、 異性を組み込めるか心配であるという意識が生まれてくるものと考えられる。 

7.結婚に対して絶対的な価値を見出さなくなった 

(cf.「結婚のような曖昧なものの場合、損得を理詰めで考えてしまうと、 やっぱり結婚しないほうがいいという結論になりかねない」特集・非婚化社会がやってくる中央公論2005.12, P41) 

以前は漠然と存在した結婚への憧れが減少したという指摘である。たとえば「およめさんになりたい」 という意識の低下などが考えられる。 多様なライフスタイルの出現が結婚するカップルの数の相対的な減少の理由として挙げられていることに対し、 結婚そのものに対する価値が減少したため、能動的に結婚を選択する人の数が減ったという指摘である。 

8.恋愛から結婚へという社会的通念の浸透 

(cf.「結婚も昔は多くの人がお見合いだったけど、いまは恋愛という「業績」の結果としての結婚を求めている」 結婚は画竜点睛かAERA2006.1.2-9,P40・「感情より遠い未来の理想像を頭で描くから行動に移れない」 結婚難男女の本音AERA2005.1.3-10,P21) 

以前と比べ、「恋愛結婚が主流」という社会的通念が浸透した。その結果、 結婚したいけれど恋愛する相手がいないから結婚できないと考える独身者が増えたという分析である。 昔は結婚の多くはお見合いによるという通念が存在したが、現在ではお見合い結婚は人気がなく、 感情的な結びつきを結婚への価値観として重視するようになった、それが未婚化の進行を導いたという指摘である。 

もうひとつは、恋愛から結婚へという社会的通念の浸透において、 感情の結びつきで結婚を決断することに危機感を感じて結婚が出来ないというパターンがある。 恋愛結婚をする段階になって、感情的な結びつきを大きな判断理由として選択し、結婚することに違和感や疑問を抱き、 結婚に踏み切れないケースを指摘している。 

9.男性の結婚願望の低下 

(cf.「女性のやる気ばかりが目立って、男性は俯いてしまっているという印象です」特集・ 非婚化社会がやってくる中央公論2005.12,P36)斎藤環は中央公論(2005.12) の中で男性の結婚願望の低下について主に2つの理由を挙げている。 

1つは「男性は結婚相手に「所有」できそうな、自分に従ってくれるタイプの女性を望んでいる」が、「「所有」 の欲求を生身の女性以外で充足してしまって、現実の男女関係に踏み出さなくなった感がある」。もう1つは「常に「関係 」を求める女性に対して、男性は単独行動に慣れてしまいやすい」。 

この2つの理由が本当にすべての男性に当てはまるかはわからないが、斎藤の言うような男性が実際に増えたとすれば、 女性が結婚をいくら望んでいたとしても未婚の状態にとどまらざるを得ないだろう。これは、 女性の意志に関係なく結婚を取り巻く環境がこのような状況に変化したため、未婚化を進行させていると考えられる。 

以上が未婚化の進行の理由として主張されている説のまとめである。それぞれの推論は複雑に絡み合っており、 完全に独立したものだといえないかもしれない。しかし、 特徴的なものとして分類してみると以上のような9項目に分けることができた。次には、 独身女性の価値観を実際に検討する必要もあるのではないかと思われる。 

結婚願望と時間的展望の調査 

実際の独身女性は、自分の結婚について願望や展望をどれくらい持っているだろうか。また、 女性が自ら結婚をしない判断を行っているとされるいわゆる非婚感情を未婚化の進行の原因であると指摘した説に対し、 結婚したいと考えているがさまざまな理由によって結婚が難しいことが未婚化の進行の理由であると指摘した説があった。 

ここまでを前提にし、英エコノミスト誌2011年8月20日号にアジアでは、女性が結婚を望まなくなっている。 その社会的な影響は深刻だ。という記事が目に付いた。今から20年前、はっきりした「アジア的価値観」 は存在するかという議論が巻き起こった。その際、注目を集めたのは、 民主主義はアジア的価値観には含まれないとする独裁者たちの怪しげな主張だった。だが、 さほど注目されなかったかもしれないが、より興味深い意見として、アジアでは伝統的な家族の価値観が欧米より強く、 それがアジアの経済発展の一端を担っているという主張があった。 

シンガポールの元首相で、アジア的価値観の熱心な提唱者であるリー・クアンユー氏の言葉を借りれば、中国人の家族は「 学問、努力、倹約、将来の利益のために今の楽しみを先延ばしすること」を奨励するという。表面的には、 リー氏の主張は今でも説得力を持つように思える。アジアの大部分では結婚することが当たり前で、 婚外子はほとんどいないとしているが、多分これはフィリピンを除いてということではないかと思う。 

これはフィリピンで生活をしている我々にとっては、 結婚はしていない若い女性の大部分は子どもがいる女性が実に多いように思える。これに対し、 欧米の一部の国では結婚の半分が離婚に終わり、子どもの半数が婚外子として生まれる。英国各地で起きた暴動の根底には 、親からの教育や親への尊敬の念の欠如があると考える人は多く、 この暴動は東洋と西洋の大きな違いを浮かび上がらせているように見える。 

結婚からの逃避 

しかし、結婚のあり方は、各地域が異なる伝統を持つにもかかわらず、東アジア、東南アジア、 南アジアの全域で急速に変化している。その変化は、20世紀後半に欧米で起きたものとは様子が異なる。離婚は、 一部の国で増えているものの、欧米に比べると少ない。現在アジアで起きているのは、結婚からの逃避だ。 

結婚率の低下の一因は、結婚が先延ばしにされていることにある。結婚年齢は世界中で上昇しているが、 中でもアジアは際立っている。アジアの人々は欧米よりも結婚が遅くなっている。日本、台湾、韓国、 香港といった特に豊かな国や地域では、平均結婚年齢がここ数十年で急上昇し、現在は女性が29~30歳、男性が31~ 33歳となっている。 

多くのアジア人は結婚を先送りしているのではない。一生結婚しないのだ。日本では、 30代前半の女性の3分の1近くが未婚で、恐らく、その半数は今後も結婚しないだろう。台湾では、 30代後半の女性の5分の1以上が未婚で、その大部分が一生独身だ。さらに未婚率が際立っている場所もある。40~ 44歳の女性の未婚率は、タイのバンコクでは20%、東京では21%に上る。シンガポールでは、 この年齢層の大卒者は27%が結婚していない。 

現在のところ、アジアの2大大国である中国とインドでは、こうした傾向は見られない。しかし、 この傾向を加速させた経済的な要因が中国とインドに広がるにつれ、両国もいずれ同じ運命をたどる可能性が高い。 中国とインドでは1世代にわたって男女を生み分けるための中絶が行われてきたため、事態はさらに深刻化するだろう。 両国では2050年までに、結婚適齢期の男性が女性を6000万人も上回る見通しだ。 

シングルライフの喜び 

女性たちは社会進出に伴って、結婚を避けるようになっている。アジアでは、仕事と結婚の両立が難しいことが一因だ。 アジアの女性は夫、子ども、そしてしばしば年老いた両親の世話をほぼ一手に引き受けなければならない。しかも、 たとえフルタイムの仕事に就いても、同じ役割を続けることを期待される。そのこと自体は世界共通だが、 アジアの女性は特に負担が大きい。例えば日本の女性は一般的に週40時間働き、さらに平均30時間の家事をこなす。 

夫が家事を手伝う時間は平均3時間だ。また、アジアの女性は育児のために仕事を辞めると、 子どもが大きくなってから仕事に復帰するのが難しい。これでは、 アジアの女性が結婚に対して非常に悲観的なのも無理はない。今年行われた調査によると、 日本人女性で自分の結婚に前向きな人は、日本の男性や米国の男女に比べてはるかに少なかった。 

仕事は、女性の結婚を難しくすると同時に、女性に別の選択肢を与える。多くの女性が経済的に自立し、 単調な伝統的結婚生活より魅力的な独身生活を求めることができるようになった。高等教育も結婚率の低下に寄与している 。アジアでは、高度な教育を受けた女性ほど結婚に消極的な傾向があり、 現在は高度な教育を受ける女性が増えているためだ。 

つまり、アジアで起きている結婚からの逃避は、現代の女性が大きな自由を享受できるようになった結果であり、 それ自体は祝福すべきことだ。しかし、この事実は社会問題も引き起こしている。アジア諸国は欧米に比べると、 年金をはじめとする社会保障にあまり投資してこなかった。身内が年老いたり、病気になったりしたら、 家族が世話をするという前提があるためだ。 

結婚なくして子どもなし 

その前提はもはや通用しない。結婚の減少は出生率の急低下にもつながっている。 東アジアの出生率は1960年代後半には女性1人当たり5.3人だったが、現在は1.6人まで減っている。 特に結婚率が低い国では1.0人に近づいている。出生率の低下は、人口動態上の深刻な問題を引き起こし始めている。 驚くべき速度で人口の高齢化が進んでいくためだ。 

あまり目立たないが、問題はほかにもある。結婚は男性を社会に適合させる効果がある。結婚は、 男性ホルモンと犯罪行為の減少と関連しており、結婚が減少すれば、犯罪が増加する恐れがある。では、 アジアで結婚を復活させることはできるだろうか?男女に期待される役割が変われば可能だろう。しかし、 伝統的なやり方を変えるのは難しい。政府がいくら法律を制定しても、広く浸透した偏見を取り除くことはできない。 それでも、変化を促すことはできる。 

法的に離婚をしやすくすれば、逆説的に、結婚を増加させられるかもしれない。今は結婚を避けている女性も、 結婚を解消できると分かっていればもっと積極的になる可能性がある。うまくいかなければ別れられるだけでなく、 離婚の自由があれば夫の注意を引きつけておけるということもあるだろう。 フィリピンでは宗教上の問題で法律化されているので基本的には離婚できないということになっていることも社会構造の問 題点があるのかもわからない。 

家族に関する法律を整備して、離婚後の女性が夫婦の財産をより平等に手にできるようにする必要もある。 雇用主に対しては、男女双方の育児休暇を法的に義務づけるべきだ。さらに、 子育ての支援や補助金も整備しなければならない。このような支出によって家庭生活を送る人が増えれば、 高齢者の面倒を見る国の負担も減るかもしれない。 

アジア諸国の政府は長い間、家庭生活の優越性が欧米に対する大きな利点だと考えてきた。そのような自信には、 もはや裏付けがない。各国政府は自国社会で起きている大きな変化に目を向け、 その結果にどう対処すべきか考えなければならない。 

Shimokawa, Masahiro (シモカワ マサヒロ) 
下川匡洋 
2011年8月26日~9月1日掲載 
出典『ラグナベイの風に吹かれて』 
Copyright ©2011.12.12.許可を得て複製