日本 プロライフ ムーブメント

コミュニケーションの大切さ(2)

きくこと

コミュニケーションをするにあたって欠かすことのできないことは、相手の話を「きく」ということではないでしょうか?でも「きく」といっても、いろいろな意味合いがあります。 

まず、「聞く」ですが、辞書では、「音声を耳にする」という意味があります。「音楽を聞く」とか「音が聞こえる」とかいったときに使われ、注意していなくても聞こえてくる時に使われます。ですから、しばらくすると忘れてしまうこともあり得ます。また、もう一つ「きく」という字があります。それは、「聴く」という字です。この意味も辞書で調べてみると、「念を入れてきく」、「ゆるす」、「ききいれる」というような意味があります。この「聴く」には、耳を傾けて聴き、相手を受け入れ赦すという意味が含まれているのです。このように、「聞く」と「聴く」は音は同じでも意味の上では大きく異なることがお分かりになるでしょう。そして、コミュニケーションにおいて必要とされるのは、後者の方です。前者の「聞く」では、ただ呆然と相手のいうことを聞いているだけで、そこには感情の動きは必要ではありません。つまり、相手のことに対して共感するといった姿勢が感じられないのです。これに対して後者の「聴く」は、相手の胸の内を感じ取り、共感するということが含まれており、ともに痛みを分かち合うのです。 

さて、この「聴く」姿勢ですが、これに対して柳田邦男さんの「『死の医学』への序章」(新潮社 1986/1991)が大変参考になります。このうち「病者に立った治療者」への心得としてあげられている項目があります。これは、医療従事者(医者や看護婦(士)など)に対してのものですが、そのうち私たちに関係のあるものを抜粋して紹介してみたいと思います。(以下の患者を相手の方と置き換えると分かりやすいでしょう。) 

  1. 患者の心の先取りをしてはならない。
  2. 患者の代弁をしてはならない。
  3. 患者の発言を待たなければならない。
  4. 患者に対し優位に立とうとしてはならない。
  5. 患者は本来自己中心的であることを理解する。(前掲書 p110-111参照)

まず、(5)ですが、自分のことを訴えようとする場合、私はこんなに大変だと自分中心に訴えがちです。ですから、聴く側としては、共感はしなければなりませんが、のめり込みすぎると本来の問題点が見えてこなくなる危険性があります。特に対人関係の話の場合、一方的に話をきいてしまうと相手の方が一方的に悪いように感じ取る危険性も生まれます。ですから聴く側としては、中庸を保って聴かなければならないことになります。また、(1)と(2)ですが、こちらの方から相手の気持ちを先取りして代弁をしがちです。話を聴いたときに「ああなんでしょう」とか「こうなんでしょう」とこちらの方からどんどんしゃべってしまっては、相手の方は、何も話さなくなってしまいます。話しても無駄であると感じたり、話させてもらえないといった不満がたまっていきます。そうではなく、話を聴くときには、ただひたすら聴く姿勢が大切なのです。相手の言ったことに頷き、相づちを打ったり、ある時には話を引き出すための言葉を本当に一言、言うにとどめておく方がよいでしょう。(3)ですが、しばらく沈黙が続くと人はだんだんと落ち着かなくなります。そして、我慢できなくなってこちらから話してしまいます。それでは、相手の気持ちを引き出すことはできません。沈黙が続くとき、10秒でも長く感じます。でも10分、20分待つぐらいの心の余裕を持って待ってあげましょう。そうすれば、ゆっくりと口を開いて話を始めるでしょう。沈黙も「聴く」と言うことにはいるのです。(4)ですが、話を聴こうとする場合、相手よりも優位に立ってしまいがちです。「聴いてあげる」とか「教えてあげる」と言った感情は、もうすでに相手より上に立った証拠です。そうではなく、相手と同じ目線で、あるいは、相手よりも少し低い位置で話を聴くこと、それが必要なのです。そうすることによって、相手の人は安心感、信頼感を持ち、話し始めるでしょう。 

この前洗礼を受けた人がこのように言っていました。「神父さん、今まで私の話を聴いてくれた人は誰もいませんでした。神父さんが初めてです。」今、話を聴いて欲しいと思っている人はたくさんいます。でも話を聴いてあげることができる人はあまりいません。そこで、私が叙階を受けたときに各地を挨拶回りに言ったときのエピソードが頭をかすめます。あるところで私が話すことができないことをみて「神父さん、話ができないことは神父として大変ですよ」と言ったようなことを言われました。でもそのとき私は、たとえ話すことはできなくても聴くことが自分の使命であると感じていましたが、まさにその答えを先の洗礼を受けた人が証明してくれたのです。 

人の話を聴くには、膨大なエネルギーが必要です。そして自分の意見や考えを前面に押し出さないで相手のペースで聞くというのも大変なことです。でも今の時代この姿勢が求められています。みんな自分の悩みや心の痛手を話したがっているのです。でもそれを聴いてくれる人がいないのです。 

この「聴く」という姿勢をお互いに持つならば、よりコミュニケーションは深まり、より深い人間関係となるでしょう。そして、完成された人間へと成長していくことでしょう。また、この「聴く」と言うことは、愛の実践に他なりません。愛は、相手のことを受け入れあい、心配り、気遣い、相手のペースに自分が合わせていくことです。その姿勢の一つの表れが「聴く」姿勢なのです。

Shimazaki, Hiroki (シマザキ・ヒロキ) 
嶋崎浩樹 
2001年5月霊性センターニュース 
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