日本 プロライフ ムーブメント

私には本当に友達と呼べる人が一人もいません。 若者と愛: 十代の性

質問:私は自分も友達のようだったらいいのにと思います。彼女は美しく、歌も上手に歌うことができます。水泳も得意で、彼女は誰からも好かれています。それに比べ、私は何も得意なものがなく、私に興味を持つ人は誰もいません。私には本当に友達と呼べる人が一人もいません。 

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死刑の一時停止支持

一般的に、死は私たちの誰もが望まないものです。実際、それは考えることさえしたくないものです。死が自然に起きるとき、それは私たちの力の及ばないことですが、死が意図的にもたらされる場合、それは非常に不幸なことです。もちろん私たちの法体系においては、死刑を用いるある理由と目的があると言われています。それは犯罪者を罰するために、犯罪者が犯罪を繰り返すことを防ぐために、そして他のものを思い止まらせるために用いられます。しかし、その状況をもっと注意して調べてみれば、それが本当の解決になっていないことがわかるでしょう。

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愛に呼ばれて不確実の時代における愛と結婚のキリスト教的ビジョン

  今日のテーマにはちょっとした難しさがあります。私たちが夫婦として、また家族として経験することは、 人類各々が経験していることです。ですから、このような話をする時に使う「言葉」は、 それぞれの文化の影響を受けているため、お伝えしたいことが真に伝わるように、 なるべく分かりやすく話したいと思います。 

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子どもたちを私のもとに来させなさい。妨げてはならない

(司会) 今日はローマから教皇庁家庭評議会局長のジャン・ラフィット司教様をお迎えしました。 本日の講演会のテーマは「子どもたちを私のもとに来させなさい。妨げてはならない」です。 司教様は、フランスのサントマリーで1952年にお生まれになり、現在58歳です。 1989年21年前に司祭に叙階され、2009年10月に教皇庁家庭評議会の局長に任命され、 12月12日に司教に叙階されました。カトリック信徒の団体である、エマヌエル共同体のメンバーでもおられます。 

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避妊に対する教会の道徳的教え

  イエスは、もし誰かが教会の教えさえも聞くことを拒否するなら、あなたが異教徒や収税役人を扱うごとくにその人を扱えと言われるとき、私たちに非常に厳しい警告を発せられているのです。言い換えれば、もし教会の教えを聞くことを拒否すれば、とても困ったことになるとイエスは私たちに言われたのです。ある特別な道徳的問題が一つあり、その問題に関しては、多くのカトリック教徒が教会の教えに即した考え方をしていない、又は行動をしていないことが調査によってわかっていますが、それは、実際かなり不幸なことなのです。

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