「骨髄の布施行」
水無月と檀那 六月を意味する水無月の語源には多くの説があるが、「皆仕尽月」や「雷月」よりも、田ごとに水を張る「水の月」の方が最もらしく思える。水無月という名は稲作に関連して付けられたようだ。稲作はお釈迦様とも関係が深い。釈尊の父親は浄飯王で、その弟四人の名前にも皆「飯」が含まれている。
Continue reading重要な問題について明確に考える
水無月と檀那 六月を意味する水無月の語源には多くの説があるが、「皆仕尽月」や「雷月」よりも、田ごとに水を張る「水の月」の方が最もらしく思える。水無月という名は稲作に関連して付けられたようだ。稲作はお釈迦様とも関係が深い。釈尊の父親は浄飯王で、その弟四人の名前にも皆「飯」が含まれている。
Continue readingポーランドのローマ・カトリック教会のイェジ・ポピェウシュコ神父の名前をご存じだろうか。同神父は1984年10月19日、共産主義政権の秘密警察によって拉致され、殺害された。あれから今月で40年が過ぎた。 ポーランドでは先週末、国民的英雄のポピェウシュコ神父の追悼が行われた。アンジェイ・ドゥダ大統領とヴワディスワフ・コシニャク=カミシュ副首相は、ワルシャワにあるポピェウシュコ神父の墓に花輪を捧げた。ポピェウシュコ神父が務めていたゾリボジュ地区の教区教会で行われたミサで、ドゥダ大統領は「ポピェウシュコ神父や彼の世代の他の人々の努力のおかげで、今日のポーランドは自由な国となった」と述べ、共産主義時代に自由のために勇敢かつ決然と立ち向かった神父に感謝した。
Continue reading情報化社会と云われて久しい。学生たちもこぞってコンピューターを使い、世界中の情報を自由に取得できる時代になった……、かに思われているが、果たして本当にそうだろうか。
Continue readingキリスト教とは何か、をあらためて問うとき、キリスト教信仰の共同体的、社会的展望に触れないわけにはいかない。単なる個人の救いではなく、人類全体の根源的な一致回復こそがキリスト教の本質的救いであり、教会のカトリックたるゆえんである。 キリスト教における「救いの希望」について、それが個人主義的なものではなく、共同体的なものでることについて、教皇ベネディクト16世は、述べている。
Continue readingマルコ9:38-43,45,47-48 信徒の皆さんは、司祭の異動を通して次の経験をしたことがあるでしょう。「前の神父様はこうしていたけれども、今度の神父様は違う仕方をする。」ここで信徒の皆さんが偉いなぁと思うのは、以前のやり方と今度の神父様のやり方が違っていても、徐々に合わせてくれるという点です。
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