こうのとりのゆりかご設立にあたって
昭和44年、当院に赴任してきた頃、慈恵病院の隣に愛児園という子供の施設があり、 小さな子供達が沢山暮らしていました。その頃、島崎教会の司祭館の軒下に早朝、 産着に包まれたかわいい赤ちゃんが捨てられており、保護しました。
Continue reading重要な問題について明確に考える
昭和44年、当院に赴任してきた頃、慈恵病院の隣に愛児園という子供の施設があり、 小さな子供達が沢山暮らしていました。その頃、島崎教会の司祭館の軒下に早朝、 産着に包まれたかわいい赤ちゃんが捨てられており、保護しました。
Continue reading(定義によれば、文明社会は弱者を権力で押さえつけたり殺したりしないとしている。それを行う社会は、自らを文明社会と称する権利を失うのである。)—マーク・ピックアップ
Continue readingこの5月、サイエンス誌は、注目に値する記事を掲載しました。それは、世界的なエイズ予防の優先順位を、特に最も打撃を受けているアフリカ南部で、根底から転換するよう、呼びかけるものでした。(1)記事は、技術的な“リスク軽減”戦略、すなわちコンドームの使用、カウンセリングと検査の奨め、エイズ以外の性感染症の治療という“三連勝単式”が、その推進者たちの期待をはるかに下回る効果しか上げていないにもかかわらず、エイズ感染を食い止める世界的努力のかなめとして定着しつづけていることを認め、異議の声を上げています。国際的な権威は、過去20年近くのあいだ、この方法にすっかり頼ってきているのです。最先端を行く学術機関の科学者たちによって書かれたこのサイエンス誌の記事は、アフリカにおけるエイズの発生を減らすためにはるかに効果のあった方法を明確にし、力を入れるようにと呼びかけています。それは、行動の変化、すなわち[未婚の人々の]貞潔と[夫婦のあいだの]忠実、そして男性の割礼(陰核切除)です。
Continue reading赤ちゃんが何を考えているだろうかとか、赤ちゃんの心に何が起きているのだろうかとか考えたことがありますか。私は赤ちゃんに本当に戸惑った時がありました。私は赤ちゃんにどう話しかけ、赤ちゃんとどう関係を持ち、さらにはどう理解したらいいかわかりませんでした。どうしてお母さんが赤ちゃんが求めているものや、どこが痛いのかや、赤ちゃんの喜ばし方がわかるのか私はよく不思議に思いました。というのはお母さんは普通の言葉で赤ちゃんと意志疎通はできないからでした。
Continue reading序論 現在、新しい千年期の最初の復活祭のシーズンを迎えています。私たちは復活祭の重要性と、神がその子であるイエス・キリストの生と死と復活を通じて私たちのためにしてくださった全てのことを今もなお考え続けているのです。私たちは、素晴らしいことが私たちを待ち構えていることを知っています。60億の人々が生き、教育や科学やテクノロジーが発達した現在、21世紀が、宗教経験が増す時代になるか、大いに危険に満ちた時代になるか、そのどちらかであろうと信じることは当然のことだと思います。
Continue reading両親が最も愛するのは? 自分達の子どもだろう。子ども達が最も愛するのは? 自分の両親だろう。しかし我らが主は、キリストよりも自分の子どもや両親を愛する者は、神にふさわしくないと説く。キリストは「私より汝の配偶者を愛するなら、私にはふさわしくない」と語ったとも伝えられる。この言葉の真意は? 自分のために最も尽くしてくれる相手を最も愛するべきだと、キリストは私達に理解してほしかったのだろう。我々はなぜ両親を愛するのか?生活を共にし、毎日、場合によっては毎時間、心と体、全方面から私達を慈しみ、無数の愛情をもって世話してくれ、その愛に終わりがないからである。
Continue reading私は大学生だった時、「間違って出来た子どもを産むな。中絶を合法化せよ」と書かれたバンパーステッカーを自分の車に貼っていた。私はキャンパス内の数少ないフェミニストの一人だった。「中絶する権利」は目に見えた旗印であり、手に届く範囲のはっきりしたゴールだった。女性の誰がそれに反対しただろう?
Continue reading貧困、飢え、そして戦争の増加に加え、人間の生命に関わる新しい犯罪が出現しました。このような犯罪は、自由という名のもとで虚偽と誤りをもって正当化され、州の認可を受けようとしているため、ある意味で最も緊迫しています。
Continue readingジョーゼフ・スターリンはかつて、死が全てを解決すると言いました。死は、きたならしさやあいまいさ、優柔不断や疑惑、苦しみや苦痛を終わらせます。しかしそれは繁栄をもたらす人間のすべての素晴らしい面も一緒に終わらせてしまうのです。
Continue readingその名前が意味しているように、カトリック教会は普遍です。教会の使命は始めから、地球上のあらゆる所によい知らせを広げることです。2000年来その使命を遂行しているうちに、文化の違いはもちろん文化の変容による挑戦に直面しました。
Continue readingこのところ、聾学校を「聴覚支援学校」と改名しようとして、当の聾学校の人々の反撥を招いている。つまり、彼らは「 聾」という言葉に誇りさえ持っているのに、「支援されるべき」人々と見られたことでその誇りが傷つけられたのである。
Continue reading人はさまざまな約束をしながら生きている。明日の約束もあれば、死ぬまでにきっと、という誓いのようなものもある。 キリスト教圏には神との契約という考え方があるが、これだって約束の一種に違いない。
Continue reading毎年、猪苗代町が主催する「母から子への手紙」コンテストの審査に関わっている。これはアメリカ留学中だった野口英世に宛てて書かれた母シカさんの手紙に因み、母が子を想う切々たる慈愛の気持ちを現代日本で掘り起こしたい、という主旨の募集なのだろうと思う。
Continue readingこの夏、二人の青年がお寺に別々に訪ねてきた。一人は滋賀県から、もう一人は埼玉県からだ。 なぜ二人を一緒に語るのかというと、二人とも自転車でやってきたのが新鮮だったからだ。
Continue reading庭先に木瓜(ボケ)が、みごとに赤く咲いている。木瓜の花の、無邪気で爛漫な様子は、以前はどうしても「痴呆症」 を想起させた。痴呆症を「ボケ」と呼んだとき、人はやはりこの花を想い描いたのではないかと、疑いなく思えたものだ。 つまり多少のトゲはあるものの、それは人を明るくする無邪気さに溢れていた。
Continue readingデザインベビーという言葉が使われるようになって久しい。アメリカではノーベル賞受賞者の精子を高く買い、美人でグラマラスな女性の卵と受精させる、というのもあながち冗談ではないらしい。
Continue reading最近の新聞の死亡記事は、満年齢で書かれることが多い。うちの寺では死亡年齢を「数え年」で書くため、 ちょっとした混乱が起こることもある。まぁ混乱といったって、生き返るほどのことはないが……。
Continue reading日本人は何度も春を祝う。 お正月には「頌春」とか「寿春」と書き、もう春を祝っている。また節分は本来一年に四回あり、立春、立夏、立秋、 立冬の前日をすべて「節分」と呼ぶのに、特に立春の前日だけを行事として祝う。
Continue reading最近、どうも屋根裏にネズミがいるようだ。本堂の屋根裏にはハクビシンがいるからそちらには行かないのだろうが、 庫裏ではときどきネズミが何かを転がして遊んだりする。
Continue readingつい先日まで、福島県立美術館で「田園の夢」と題する展覧会が開かれていた。 その展覧会の副題についていたのが標記の言葉である。
Continue reading「食べる」「寝る」と同じ。「仕事」は基本的な欲求 世界でもまれな気質ですが、日本人にとって働くことは決して苦役ではありません。欧米や他の国々の「ワーク」は、ノルマや義務を意味することが多いですが、日本人には、生きている限り働くことは当たり前で、寝食と何も違わない。外国の人々から「ワーカホリック」と非難を込めて呼ばれても、実はピンとこないというのが本音ではないでしょうか。
Continue readingシステムが壊れたら人間力しかない このたびの東日本大震災では、多くの人が家や仕事環境を失いました。 私の住む福島県三春町にも避難してきた方々が多いのですが、 家だけではなく土地も失っていますから農業を再開しようにもかなわず、漁業はもちろん難しい。 それぞれの町の被害も甚大ですから、勤め先を失った若い人も数え切れないでしょう。 将来の計画が崩れ去ったと嘆くかもしれませんが、だとすれば別の道を見つけるしかありません。 進むべき道は自分の頭で思い描いていたことだけではないし、少ない経験の中で考えていた将来がベストとは限りません。
Continue reading多くの職業現場を体験した20代 小説家とかお坊さんにとっては、どんな体験も肥やしになると考えて、私はさまざまな仕事に就きました。たぶん全体を知った上で仕事を選択した、というス タンスをとりたかったのでしょうね。ナイトクラブで水商売もしてみたし、土木作業もやりました。この機会にやらなければ一生しないだろうと思ったのがセー ルスマン。当時ワンセット二十数万円した英語教材を売るのですが、営業成績は悪くないのに売れるたびになぜかすまないような思いにとらわれる(笑)。
Continue reading宗教か、文学か私は長く悩み続けた 10代の頃には、ものを書きたい気持ちが生まれていたのですが、 その一方で家を継いで坊さんにならなくてはいけないのかという重い気分も抱えていました。 答えを出しようもなく模索していた高校時代に、哲学者の星清先生に出会います。
Continue reading三月から四月にかけて、いたく体調が悪かった。左手の小指と薬指が痺れだし、整体や鍼、整形外科のお医者さんにも診てもらったのだが、一向に改善しないのである。
Continue reading「うゐの奥山」というタイトルで連載することになった。これはご承知のように、「いろは歌」に出てくる言葉である。
Continue reading最近はウォーキングがブームと云っていいだろう。歩くことが目的で歩いている人をよく見かける。
Continue readingふつうタケノコは、「採る」ものであって「狩る」ものではない。しかし竹藪が広く、食べきれない分を宅配便で知人に 送ってもなお出てくる余分については、もう「狩る」しかない。うちでは、「やっつける」とも言っている。柄の長い鎌や 、長靴を履いた足そのものが武器になる。エイヤっと、切ったり蹴ったりして廻るのである。
Continue reading昔から、子どもが生まれる直前の夫の様子は、サマにならないものと決まっていた。痛みも実感もないのに、 まもなく自分の境遇にとてつもない変化が起こる。これほど落ち着かない時間が男の人生に他にあるだろうか。
Continue reading十八歳のとき、ボーイフレンドと同棲を始めるために引っ越した直後、妊娠していることに気づきました。私は子どもがいる生活を想像できず、脅え不安になりました。友人や家族に相談した結果、中絶することが現実的なように思えました。なんといっても、私は美しさも知性もある若い女性なのだし、輝かしい未来が待ち受けていると考えたからです。
Continue reading