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「彼岸と免疫」般若波羅蜜

般若波羅蜜

もうすぐ春彼岸、春分の日の前後各三日間に古くから追善供養の風習がある。

春分の日は、国立天文台からの情報に基づいて、春分の時刻を含む日に決定され、前年二月の官報で公表される。法律で「自然をたたえ生物をいつくしむ日」とされているが、明治十一年からの宮中行事「春季皇霊祭」で祝日となった。

彼岸会は日本独自の仏教行事であり、『日本後記』に「大同元年(八〇六)崇道天皇の為に春秋七日間諸国国分寺の僧に金剛般若経を読ませた」とあるのが最初のようだ。権力闘争の末、断食して死んだ弟の為に桓武天皇が始めた法会で、『観無量寿経』の阿闍世王の物語に共通性が認められる。そして同経の日想観から真西に太陽が沈む春分の日が選ばれたものと思われる。読誦された経典が『金剛般若波羅蜜経』であったことが「彼岸会」の名称の由来だろう。「波羅蜜」は美しく比喩的に到彼岸と訳される。この経典の最初に無執着の菩薩行が説かれ「筏の譬喩」が用いられている。

苦の此岸から楽の彼岸に渡るための筏、彼岸に渡ったら筏を捨てる、仏教も捨てる。仏教は仏教自身に執著しない。無執著そのものにも執著しない。要約すると、我に関する五つの執著の集まりが苦である、と釈尊は説かれた。そして『般若心経』では、我が身体(色)と心(受想行識)への執着、五取蘊が空っぽになった理想の状態が般若波羅蜜だ。菩薩は多数の苦しむ衆生を彼岸に渡したのだが、自分が渡したということに執着しない。そのような般若波羅蜜が金剛般若経 に説かれている。

我思う、故に我あり?

デカルトの「我思う、故に我あり」の論理学的な誤りが二十世紀半ばに指摘された。ライルの有名な「範疇誤謬」で、「色は我であるか?、受は我であるか?・・」という釈尊の説法に似ている。ライルの証明は簡単で、およそ次のような指摘だ。オクスフォード大学を訪れた人が大学とは何かと質問した。そこで大学を案内し、ここが図書館、ここが講堂、ここが運動場です、等々説明した。しかし訪問者は、図書館や講堂や運動場等々は解りましたが、大学はどこにあったのですか?、と言ったという。ライルによれば、我と色受想行識等の要素とは範疇が違うのだ。

釈尊が「色は我であるか、我がものであるか?」と質問する目的は、執着を離れさせる為だ。色は無常であり、必ず年老いて死ぬ。無常であることは思い通りにならない。我、我がものであれば思い通りになるであろう。思い通りにならないのだから、色は我ではない、我がものではない。このように思って、色に対する執着を離れる。同様にして、受想行識に対する執着を離れることを釈尊は説かれた。

免疫は我の防御と他者の排除

麻疹に一度罹って治ると、次に麻疹患者に接触しても麻疹には罹らない。このような現象を免疫という。我、我がもの、という自己の認識が免疫の基本だ。一つの受精卵が分裂してできた同じ遺伝子をもつ細胞の集まりとして一人の人間の身体がある。同じ遺伝子から作られる蛋白は同じであり、その分解産物も同じだ。この蛋白分解産物を細胞の表面に提示する場所があって、自己主要組織適合抗原複合体とよばれる。

細菌やウイルスその他病原体の感染から身体を防御し、また癌細胞の発生を見張る役割をもった免疫細胞があり、Tリンパ球と呼ばれている。Tは胸腺の意味で、骨髄の幹細胞から作られ、胸腺で教育されてTリンパ球ができる。どのように教育されるかというと、自己の遺伝子由来の蛋白分解産物すなわち自己抗原と反応するTリンパ球が除かれるのだ。非自己の遺伝子あるいは癌化した遺伝子由来の蛋白分解産物と反応するTリンパ球だけが残ることになる。

さらに、貪食能力のある細胞としてマクロファージがあり、細菌等を貪食して分解産物を提示する。提示された抗原にTリンパ球受容体が結合すると、そのTリンパ球は活性化する。Tリンパ球には、他の免疫細胞を助けるヘルパーT細胞と非自己の細胞を殺すキラーT細胞がある。Tリンパ球の他にBリンパ球があり、これが抗体を作る。続いて起こる反応には、これらの免疫関連の細胞に抗体および補体が加わる。すなわち炎症反応で、局所の熱発、発赤、腫脹、疼痛等を 伴う。

免疫反応が弱まると病原体に対する抵抗力が低下し、また癌の発生が高まる。免疫で重要な胸腺は体重との比率でみれば乳児期に最も大きい。量的には思春期に最大となる。免疫の老化現象は二十代に既に始まるのだ。

後天性免疫不全症候群(エイズ)はヒト免疫不全ウイルス(HIV)に感染して発病し免疫不全になった状態をいう。我を防御する免疫が低下した結果、日和見感染や日和見腫瘍が発生する。釈尊の無我を「我が無い」と解釈すると、免疫不全状態のような病的な意味になってしまう。我を制御し、我という執着を離れ て生きることを釈尊は説かれたのだと思う。

Tanaka Masahiro (タナカ マサヒロ)
田中 雅博(1946年ー2017年3月21日)
坂東20番西明寺住職・普門院診療所内科医師
出典 藪坊主法話集
Copyright ©2004年3月掲載
2023年12月31日複製