日本 プロライフ ムーブメント

いのちを守るために~原発のない世界を求めて (その2)~

【5.神のことを思わず人間のことを思う】

ここでイエス様のみ言葉に耳を傾けたいと思います。
「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」(マルコ福音書8章33節)
これはイエス様がペトロに向かって言われた叱責です。
この叱責の意味することは、人間のことを思ってはいけないというのではなく、忘れてはならない順序があるということに気づくようにということではないでしょうか。
神のことを思わず、人間のことを思う、経済優先はいのちを貴ぶか、原発事故から考えさせられることを思い巡らしたいと思います。
忘れてはならない順序とは、いのちを大切にするということを第一に置くということです。
この思想は、ほとんどの人の共通項でしょう。
しかし、「神の存在を全く考えていないか、たとえ神を信じていても、人間は怒りやねたみ、独占欲や支配欲に突き動かされたり、金銭や物に心を奪われてそのとりこになったりする時、神を忘れ、理性を失い、他の人のいのちさえ奪ってしまうことがあります。神なしだと人間は、権力、体力、知能、所有物などの点で自分より劣っていると思う人に対して、そのいのちを自分より軽く見る傾向がある」(社会司教委員会「非暴力による平和への道」13頁より)と言われています。

「神のことを思わず、人間のことを思っている」というイエス様の言葉を現代の状況の中で考えると、「いのちのことを思わず、経済のことを思っている」と言い換えることが出来るのではないかと思えてきます。

理論経済学者と言われる宇沢弘文(ひろふみ)さんは、人が生きる土台となる大気や水、森林、土壌などを市場原理にゆだねるべきではない、と発言しておられたと聞きました。
それは、生活の糧の海を大企業の利益のため汚され、健康と命を「換金」させられた水俣の人びとや、国策による開発で先祖伝来の地を「換金」させられた人々がいるということ、また今もそのようなことが行われようとしていることへの警鐘となっているのではないでしょうか。
人が生きる土台となるものを市場原理に委ねてはならない、と言われます。大切な視点を私たち与えてくれているのだと思います。

哲学者の梅原猛氏はある講演で、「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」という思想を語られました。
この考え方は、動物はもちろん、草木(そうもく)すなわち植物や、国土すなわち鉱物にも仏性が存在し、成仏可能であるということです。
つまりこれは、自然と共生する生き方を示しているものだということです。
今回の福島原発事故から、明らかになったことを通して、人間は、科学技術文明を「草木国土悉皆成仏」という立場、すなわち自然との共生という立場で考え直さなければならないのではないか、と問いかけられました。

イエス様が言われた永遠の命を生きることを私たちが実践するとき、この自然との共生ということをも加味しなければならないのではないかと思います。
創世記の天地創造物語が教えることは、まさに自然との共生であり、自然を治めることです。
支配するのではなく、治めるのです。
神が造られたものを、その本来の姿を発揮して行くことが出来るように治めることが、人間に与えられている任務であるということを忘れてはなりません。

核燃料から生じる危険な廃棄物を安全な処理方法が見出せない現実ひとつとっても、原発を稼動し続けることは宗教的、倫理的に許されることではありません。
それをしようとするのは、経済が優先である、利益が優先である、という思いからなのではないでしょうか。
人のいのちよりも経済成長を優先するのではなく、神のことを思い、人のことを思う、いのちを貴ぶ社会を作り上げていくことに力を発揮していくことが、私たちの生きる道なのでしょう。

【6.大飯原発運転差し止め請求事件判決】

そのことを思う時、2014年5月21日に、福井地裁の大飯原発3,4号機の運転差し止め請求事件の判決は、学ぶものが多いのではないかと思います。
殊に、国富の損失ということに関しては聖書の理解と同じではないかと思います。

【国富の損失】
被告(関西電力)は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。

我が国における原子力発電への依存率等に照らすと、本件原発の稼動停止によって電力供給が停止し、これに伴って人の生命、身体が危険にさらされるという因果の流れはこれを考慮する必要のない状況であるといえる。
被告の主張においても、本件原発の稼動停止による不都合は電力供給の安定性、コストの問題にとどまっている。
このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

また、被告は、原子力発電所の稼動がC02(二酸化炭素)排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすきまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

【7.私たちの視点】

朝日新聞の天声人語に面白いことが書いてありました。
ある男が美しい妻と仲睦まじく幸福に暮らしていたが、犬に脅かされて妻が狐の正体をあらわす。
だまされたと知って男は驚くが、だまされていた時の幸福を忘れられず、もう一度化けてくれと頼む、という説話があるそうだ。これを原発に置き換えて考えてみるのだ、と。
「福島の事故で安全神話のまじないは解け、正体が露わになった。それなのに昔が忘れられず、もう一度化けてくれと頼みこむ。」

文芸評論家の斎藤美奈子さんという方が、原発をなぜ止められないのか。
その理由を分析されました。
・やっと再稼働にこぎつけたのにそう簡単に止められるかという意地。
・ここで止めたら二度と再稼働できなくなるという不安。
・危機を乗り切れば日本の原発の安全性が立証できるという期待。
・停止を求める声に屈したら負けだという面子。
・停止に伴うリスクを負いたくないという自己保身。

意地、不安、期待、面子、自己保身、もしこれが本当のことであったなら、たまったものではありません。
でもなんだかそうなのではないかと思えるような気がしてきます。

メルケル首相は2011年4月に「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」を設置しました。
2011年5月30日に倫理委員会は、「10年以内に原子力エネルギーから撤退できる」とする報告書を提出した。要点は、

原発の安全性が高くても、事故は起こり得る。
いったん原発事故が起きると、他のどんなエネルギー源よりも危険である。
次世代に廃棄物処理などを残すことは倫理的に問題がある。
原子力より安全なエネルギー源が存在する。
地球温暖化問題もあるので、化石燃料を代替として使うことは解決策にはならない。
再生可能エネルギー普及とエネルギー効率化政策で、原発を段階的にゼロにしていくことは、将来の経済のためにも大きなチャンスとなる。

「決断」だろうと思います。原発を無くすと決断すれば、それに対してさらに研究し、知恵を出し合い、方策を見出していくのです。それは再生可能エネルギーの普及に前進します。小さな技術が様々に開発されているようです。

原子力発電に関してのキーワードは何か、それは「安全」ということだと思います。
しかしその安全とは何かということが重要です。
技術的に安全、科学的に安全、といわれますが、惑わされます。私は放射性廃棄物を無害化する技術が出来た時、安全が整うのだと言えるのではないかと思っています。
しかし、それは無理だということです。

坂村という2006年に97歳で逝去された仏教詩人がおりますが、その方が「あとから来る者のために」と言う詩を書かれました。

あとからくる者のために


あとからくる者のために
苦労するのだ
我慢するのだ
田を耕し
種を用意しておくのだ

あとからくる者のために
山を 川を 海を
きれいにしておくのだ

ああ あとからくる者のために
みんなそれぞれの力を傾けるのだ

あとからあとから続いてくる
あの可愛い者たちのために
未来を受け継ぐ者たちのために
みなそれぞれ自分でできる何かをしてゆくのだ
  ~坂村真民(しんみん) 「詩集・詩国」より~

最後に、5月6日に東京都江東区夢の島の第五福竜丸展示館前でおこなわれた2014年原水爆禁止国民平和大行進<東京一広島コース>出発集会の中で、福島県いわき市から東京に避難している11歳児童の訴えが参加者の胸を打ちました。
全文を紹介します。

ぼくは、原発事故の次の日に、福島を離れてから、一度も自分の家を見ていません。2年生の3月に、急にぼくは東京の子になりました。家も学校も友達も、楽しかった事が急にみんな消えて、ひなん所から知らない学校へ行く生活が始まりました。
弟も、ぼくも、泣いたり吐いたりしながら、ただ、しなければならないことをがんばりました。
ぼくたちは、※くいきがいひなんだから、ばいしょう金がほとんどもらえないので、みんなたいがい貧乏です。そして、ほとんどの子が、お父さんと離れ離れの生活をしています。お父さん達が福島で働かないと、ぼくたちは避難を続けられないからです。原発事故さえなければ、ぼくらはみんな、自分の家で、家族そろって普通に暮らせたはずです。ぼくも、1年半はお父さんと離れ離れでした。たまにお父さんに会える日はすごく嬉しかったけど、お父さんが帰るたびに、弟が布団にもぐって泣くので、すごくつらかったです。ぼくも弟と同じ気持ちだったから。
ぼくのお父さんは、一人で福島の家に残ってがんばったけど、心と体が壊れて、仕事を辞めて東京へ来ました。やっと一緒に暮らせるようになったけど、今でもいろいろ大変なことがあります。
広島や長崎の原爆のことは、話には聞いたけれど、まさか69年もたって、自分の家の上にも同じ様なものが降ってくるなんて、そして、その見えない毒が、ぼくたちの生活をめちゃくちゃにしてしまうなんて、夢にも思わなかったです。
ぼくたちは、原発事故でたくさんのものを失いました。自分の家や家族の笑顔や、たくさんの楽しい事が、みんな消えてしまいました。
こんなことを二度と繰り返してほしくないから、どうかぼく達が政治を動かせる日まで、この国を守っていてください。そしてぼくたちに、原爆も原発も無い、安全な未来を渡してください。ぼくたちは、それを引き継げるように、一生懸命勉強してついていきます。     よろしくお願いします。

以上

※くいきがいひなん(区域外避難):原発事故後、国からの避難指示 によって避難した人たちには賠償金が支給されたが、自主避難した人たち(区域外避難の人たち)には支給されていない。

Aizawa Makito(アイザワ マキト)
相澤 牧人

聖公会司祭

出典 原発のない世界を求めて

2017年3月2日掲載

2016年7月横浜聖アンデレ教会にて講演

2023年8月2日 掲載許可取得