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真理:カトリック教会とLGBTQ+

「真理はあなたがたを自由なものとするだろう」(ヨハネによる福音書 8:32)とイエスは約束された。

若い頃、私はアメリカのミネソタ州の農場に住んでいた。農夫なら誰でも言うだろうが、農作業で最も困難なことのひとつは、種を受け入れるための土づくりである。掘り起こし、移動させる必要のある木や潅木、岩石を取り除き、土地を整地するのは大変な作業だ。土が整ったら、肥料を与え、生育に必要な十分な栄養素があることを必ず確かめなければならない。最後に、土壌に十分な灌漑を施さなければならない。そうして初めて、植える種を支える土壌の準備が整うのだ。

健康で豊かな土は、魚にとっての水や私たちにとっての酸素と同じように、種子にとって重要である。良い土壌がなければ、農夫が種を植えるのは時間の無駄になってしまう。そして、良い土が自然にできるとは限らない。それは多くの場合、努力の結晶である。

同じことが、良い人生を送りたいと願うクリスチャンにも当てはまる。イエスは良い種と悪い種の話をされる。良い種とは神の国の人々のことである。雑草は悪しき者に属する人々である。悪い種を植えるのは敵である悪魔である。収穫は世の終わりである。

種とは、その中に計り知れない生命を与える力を秘めた小さなものである。モーハンダス・ガンディーの非暴力運動や奴隷廃止運動家による奴隷制撲滅の努力のように、聖書に触発されたあらゆる運動を考えてみよう。それらはすべて聖書に触発されたものである。そして、私たちが神の言葉を歓迎し、それに基づいて行動するとき、それは私たちを変え、私たちの教会と社会に数え切れないほどの祝福をもたらすことを示している。

最近、LGBTQ+コミュニティとカトリック教会の教えについて多くの議論がなされている。タイトルに付けられた(+)記号は、セクシュアリティとジェンダーのより広い多様性を作るために、他のグループが継続的に追加されていることを意味している。現在のLGBTQは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスセクシュアル/トランスジェンダー、そしてクィアの略である。

教会がLGBTQ+コミュニティを「受け入れている」ことを明確にすることは重要である。これは教会にとって何の問題もない。しかし、LGBTQ+コミュニティの性的行動は問題である。それは、既婚・未婚を問わずすべての人に適用されるカトリックの教えとは一致しない。

同性愛のライフスタイルは、世俗的なメディアや同性愛団体によって、西洋文化全体で推進されている。彼らは、人は生まれながらにして同性愛者であり、変わることはできないと思い込んでいる。彼らにとって、独身を貫くことは一種の性的自殺である。彼らは皆、結婚しているノン気の人々と同じように、完全な性的表現をする権利があると主張する。

このような人生哲学に反対するのがカトリック教会である。ここで、ローマ・カトリックの公式の教えを簡単に説明する必要がある。

第一に、聖書には同性愛行為に反対する論拠が存在する。例えば、レビの書18:20-22、20:13、ローマ人への手紙1:26-27、コリント人への第一の手紙 6:9、ティモテオへの第一の手紙1:9-10などである。聖書とカトリックの伝統を学ぶと、人間の性行為の2つの機能しか目に見えないことは明らかである。

(1)夫婦の交わりの促進 (2)子づくり

同性愛はこの2つの目的のどちらも果たすことができないので、そのような行為は不道徳である。

聖書は人間の性行為をどのように説明しているのだろうか?聖書に目を向けると、創世の書 1:27-28に、神はご自分に似せて人を造られたとある。そして、生めよ、ふえよ、地に満ちよと命じられた。創世の書 第2章では、神はアダムのあばら骨からエバを創造された。この詩的表現は、男と女、女と男が互いに深く補い合うことを教えている。(創世の書 2:24)。このように人間の性関係の必要最低限の規範を描いている。すなわち、(1) 地上の最も親密な結びつきにおける男女の永続的なコミットメント、(2) 神に似せて造られた子孫の繁栄である。

この2つの目的は、旧約聖書と新約聖書の至る所で繰り返され、永久的な異性間の結びつきのための創世の書の基礎を再確認している。雅歌や格言の書3章を読んでください。またマテオによる福音書 19:1-9やエフェソ人への手紙5:30を読んでください。また、第二バチカン公会議の 『現代世界憲章 第2部第1章 』47節-52節や 『フマネ・ヴィテ 』11節-14節を読めば、より権威ある教会の教えを知ることができる。

第二に、『カトリック教会のカテキズム』(教会の教義と教えを記した文書)は、『同性愛行為』を 「本質的に不道徳で自然法に反する 」とし、『同性愛傾向』を 「客観的に無秩序である 」としている。しかし、カトリック教会は『同性愛指向』を罪深いものとは考えていない。

カテキズムはさらに、「同性愛者は貞潔に召されている 」と述べている。さらに『カトリック教会のカテキズム』は、「そのような同性愛者は、尊敬と感受性をもって受け入れられなければならない。彼らに対する不当な差別の兆候はすべて避けられなければならない」と強く指示している。

メディアは、私たちが同性愛行為を善とすることに反対する唯一の理由は、同性愛者を憎んでいるからだと信じ込ませようとしている。これは真実ではない。これは嘘だ。今日で言うところの「フェイクニュース」だ。その一方で、教会が教えていることを、人気がないからといって教えることをやめるわけにはいきません。

カトリック教会のカテキズム2357節には、「同性愛とは、同性に対して排他的または優勢な性的魅力を感じる男性同士または女性同士の関係を指す。同性愛は、何世紀にもわたり、さまざまな文化の中で、実に多様な形をとってきた。その心理的な起源はまだほとんど解明されていない。同性愛行為を重大な堕落の行為とする聖書(創世の書19:1-29、ローマ人への手紙1:24-27、コリント人への第一の手紙 6:10、ティモテオへの第一の手紙1:10)に基づき、伝統は常に「同性愛行為は本質的に無秩序である」と宣言してきた。(Persona Humana 8)。

この段落の最初の部分で、あなたはカテキズムがあなたの無秩序を言っているような印象を持つかもしれない。それは真実ではない。カテキズムが言っているのは、無秩序な行為があるということだ。つまり、正しく秩序づけられていないということだ。その行為は、それが行われた目的に向かって秩序づけられていない。

(2357節の最後の部分)

「それらは自然法に反する。性行為を生命の賜物に対して閉ざすものである。真の情愛と性の相補性から生じるものではない。いかなる状況下でも、それらは承認され得ない。」

(次の2358節に続く)、「根深い同性愛の傾向を持つ男女の数は無視できるものではない。この傾向は、客観的には無秩序であるが、彼らの大部分にとっては試練である。そのような人は、尊敬、思いやり、感受性をもって受け入れられなければならない。」

もしあなたがクリスチャンでありながら、彼らに敬意を払わず、思いやりを持たないとしたら、それは失礼なことだ。もしあなたが、性的な傾向という理由だけで、誰かに対して無礼な態度を取るなら、これは重大な罪である。

例えば、6月に行われるLGBYQ+のプライド月間のイベントを例に挙げてみよう。カトリックの信仰と道徳に反する文化を助長し、活動を奨励しているからだ。子どもたちに何を教えるのか?参加することで、彼らがお祭り騒ぎをしていることを私たちは祝うことになるからです。

彼らを愛しながら、その行動に反対することはできるだろうか?なぜ出来ないのか?親は子どもたちに毎日そうしている。裁判所は犯罪者にそうする。医者は患者にそうするでしょう。等

ストリックランド司教は、創世の書の規範は単に私たちの信仰の保証の一つの真理であると教えている。「神は人間を男と女に造られた。確かに、自分のアイデンティティーについて混乱している人々は、キリストの愛と憐れみを必要としている。しかし、キリストの愛は、キリストが真理のために十字架で死ぬときに表現されることを忘れないでください。」

最近、トビン司教は「同性愛行為は不自然であり、重大な不道徳である。全能の神を侮辱するものです。いかなる状況下でも、決して容認することはできない」と述べた。同性間の 『結婚』を求める動きは、「人類の最も基本的な制度であり、あらゆる社会と文化の構成要素であるものを根本的に再定義しようとしている。最初から、結婚とは男女の安定した結合であり、子孫を残すことで人類を存続させるために神が設計したものである。同性愛同志の関係は結婚ではない。今までもそうだったし、これからもずっと。

神の言葉がダイナミックであるように、根を張り、成長し、栄養を与えるには、肥沃で栄養豊富な土壌が必要だ。そして、イエスの言葉が置かれる土壌とは、私たちの心のことである。農夫が作物を植えるために土壌を準備するために多くの労力を費やすように、キリストのメッセージが歓迎されない世界に変革をもたらすためには、神の言葉を受け入れるために私たちの心を準備するために多くの労力を費やす必要がある。

カトリック信者にとって、日曜日のミサは、神の言葉の食卓と聖体の祭壇という2つの食卓を持つ宴会である。この食卓で、イエスは私たちの心に信仰の種を蒔かれる。みことばを反省し、理解しようと努め、実践しようと努力することによって、神が私たちのうちにみことばを百倍に成長させてくださり、私たちは溢れるばかりの祝福を受け、そして苦しんでいる人々のいのちに豊かに祝福を私たちがもたらすことができることを確信することができる。「愛とは真実を語ること」

追加情報は、同性愛に関するローマ・カトリック教会の教えに従って貞淑な生活を送ることを熱望するカトリック男女信徒の精神的支援グループであるCOURAGEに連絡を。

読んでください:「ゲイの禁欲」という不思議な概念  ダニエル・マトソン著

ノボトニー・ジェローム、OMI

英語原文投稿 2023年8月5日

翻訳日 2023年 8月14日
翻訳者 大岡 滋子

ノボトニー神父のブログに掲載日  2023年8月15日

https://frank9779789.wordpress.com/2023/08/15/カトリック教会とlgbtq/