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荒野で叫ぶ難民たち〜ワルサン・シャイアの詩が語る真実

詩人ウォルサン・シャイレは、彼女の詩「家」の中で次のような一節を作り、強い共鳴を呼び起こしました。

「誰も家を離れない / もし家がサメの口でないなら。」

「国境に向かって走るのは / 街全体で走っている人々を見たときだけ。」

「誰も自分の子どもを船に乗せない / 安全な大地よりも海が安全でない限り。」

今日、私たちは世界的な難民危機に直面しています。2024年中旬、難民の数は4370万人に達しました。これに加えて、内部避難民が7210万人、亡命希望者が800万人に達し、世界中で家を追われた人々は合計で約1億2260万人に上ります。

ざっとこの4370万人の難民の問題を分析してみましょう。これらの人々が事前に難民になることを決意したと本当に信じている人がいるでしょうか?私はそれを非常に疑っています。誰もが難民になることを夢にも思わなかったはずです。例えば、忙しい一日の仕事を終えて帰宅する医者や、昼下がりにトヨタのトラックの車軸を修理する整備士、肩に学校鞄をかけて歩いている少女、あるいは娘におやすみなさいのキスをしている父親を想像してみてください。

誰もが明日も今日と同じような一日になると期待しています。それぞれがリラックスし、ある意味でその瞬間を楽しんでいるのです。しかし、恐怖は一瞬で訪れることがあります。それは銃声であったり、爆弾の爆発であったり、ドアのノックの音であったりします。逃げなければならない多くの人々は、重要な決断を下すためにわずか数分しかありません。自分ができる限りの物を持って、すぐに逃げなければならないのです。

目を閉じて、次のシーンを想像してみてください。突然、周りのすべてが崩れ落ちます。逃げる前に、ほんの数分で何を持ち出すか決めなければなりません。あなたの周りにあるものを真剣に見てください。逃げる前に持って行くべき3つのものは何ですか?

次に、どこに行きますか?どうやって移動しますか?誰と行きますか?これらは、数秒で下さなければならない絶望的な選択です。そして、その選択を一生背負っていくことになります。

グーグルで調べてみると、世界で最も多くの難民を出している国は、シリア、ウクライナ、アフガニスタン、南スーダン、スーダン、ミャンマー、コンゴ民主共和国、ソマリア、中央アフリカ共和国、エリトリアであることがわかりました。これらの10ヶ国は、世界全体の難民の87%を占めています。

再び、4370万人の難民が「家」と呼べる場所を持たないことを想像してみてください。あなたは「家」という言葉について考えたことがありますか?「家」をどのように定義しますか?私にとって「家」とは、難民を含め、誰にとっても基本的な必要条件となる5つの要素が含まれる場所です。 (1) 安らぎ、平和に過ごせる場所 (2) 自由に考え、自由に行動できる場所 (3) 家族や友人が住む場所 (4) 母国語でコミュニケーションできる場所 (5) 学校、仕事、礼拝に行ける場所。

このような安全な居場所がなければ、難民たちは生き延びるための確実性のない未来に直面します。この状況は、あまりにも多くの資源と手段がある世界では許されるべきではありません。私たち人間は、難民たちに対し、家を見つけるまで彼らの未知の旅に共に歩むことを保証し、金銭的支援を含むあらゆる人道的支援を行い、彼らが立場や人種、宗教に関係なく本当に私たちの兄弟姉妹であることということを説得しなければなりません。

では、どの国が最も多くの難民を受け入れているか考えたことがありますか?私は以下の統計に驚きました。地球上で最も豊かな国々は、世界の難民のわずか24%しか受け入れていません。残りの76%は、貧しい、低所得国や中所得国が受け入れています。トルコは、世界で最も多くの難民を受け入れている国です。高所得国が76%のカテゴリを占め、最も発展していない国々が少ない割合を占めると思うかもしれませんが、実際はそうではありません。日本を例にとると、この発展した国は難民のわずか2.2%しか受け入れていませんが、アルバなどの貧しい国々は16.1%、キュラソーは14.4%を受け入れています。これは明らかにおかしいです。

現在、生命を肯定するコミュニティや異なる文化から来た人々の平和的な統合は、カトリック教徒として最良の姿を反映しています。亡きフランシスコ法王はこの問題に真剣な関心を示し、「この難民の悲劇は…何百万もの人々に影響を与え、基本的には人道的な危機であり、連帯、思いやり、寛大さ、そして金銭の即時的な実践的献身を呼びかけています…難民は人類のチェスボードの駒ではありません。彼らは家を離れなければならない子どもたち、女性たち、男性たちです…彼らには平和と安全の中で生きる基本的な権利があります。」と述べました。

今日私たちが直面している大きな問いは、「なぜ難民を助けるべきか?」ということです。自然な観点から見ると、答えは非常に簡単です:他国から来た人々を歓迎することは、受け入れ地区の地域社会を強化し、変化の速い世界でより多様で柔軟なものにするからです。芸術、科学、政治、技術の分野で最も感動的で、影響力を持った人々の中には、多くの難民出身者がいます。さらに、より精神的な観点から見ると、彼らを受け入れることは、最も大切な権利—生きる権利—を守ることにつながります。難民を無視することは、彼らにとって致命的な結果を招く可能性があります。したがって、難民を受け入れること、つまり最も基本的な保護を提供することは、多くの場合いのちを救うことになります。私たちは同じ人類の一員であり、彼らには平和と安全の中で生きる基本的な権利があります。

もはや沈黙してはいけません。世界的な難民問題は記録的な高水準に達しています。言葉ではなく、具体的な行動だけがこの危機を軽減することができます。「私は決して難民になるとは思わなかった」という言葉は、荒野で響く難民たちの叫びで、一見すると聾者に叫んでいるようです。。覚えていてください:私たちの神への愛と信仰は、見知らぬ人々や難民に示される正義によって決まります(ローマ人への手紙12章13節—「真のキリスト者のしるし:…旅人への愛はねんごろであるように努めよ」

ノボトニー ジェリー,omi

英語原文投稿日: 2025年4月27日

Refugees Crying Out in the Wilderness

翻訳日 :2025年 5月29日
翻訳者 :大岡 滋子