予期せぬ危機的な妊娠とキリストの手
「どうして大事な我が子を殺すなどできるのでしょうか。中絶は明らかに殺人なのです。」と、ベブはそう言ったし、その気持ちに偽りはありませんでした。
Continue reading重要な問題について明確に考える
「どうして大事な我が子を殺すなどできるのでしょうか。中絶は明らかに殺人なのです。」と、ベブはそう言ったし、その気持ちに偽りはありませんでした。
Continue reading(2)強い 弱い 「あの人は強い人だ」「私は弱い人だから」と、人や自分を評価する言葉として「強さ」「弱さ」がしばしば用いられます 。
Continue reading病人や身体の不自由な人を殺す方法はたくさんあります。食べ物と水を与えないというのも一つの方法です。スティ-ブン・ベ-カ-の脳の圧迫を和らげるため3月に行われた手術は、彼の消化力のある器官の管へチュ-ブを通して供給されている食物と水を取り除くことについて議論が巡りました。彼の生命を終了するという決断がなされる以前に、セントルイスの郊外にある聖ヨハネ慈悲医療センタ-の記録によると、この医学上の補助装置を使った食物と水の供給は、正確に言えば「心地よいケア」と呼ばれていました。現在はメディアのみならずその病院もそれを「生命の補助」と呼んでいます。
Continue reading殺人犯が銃殺隊によって最近処刑されたということを聞いたとき、子どもの時見た全てのB級映画のシ-ンが私の心にぱっと浮かびました。私は、反射的に体がすくみ、目隠しをされ弾が当たるのを待っている恐怖を即座に想像しました。しかし私に想像できなかったのは、銃を持ち上げて、冷たく硬い鋼鉄の弾丸を別の人間に狙いを定めることを要求されている人間のひとりであるという気持ちでした。その人は、それが一回の射撃練習にすぎないふりをしてうまく対処することができるでしょうか。その男は、そのような犯罪の結果として当然生じる激しい怒りの気持ちを奮い起こすために殺人の詳細と犠牲者の家族の涙を思い出そうとするでしょうか。処刑のあとその男は何を感じるでしょうか。感じるのは悲しみでしょうか、満足感でしょうか。
Continue reading「もちろん、誰も五体満足でない赤ん坊を養子にしたいとは思いません。」この言葉は私が今年の4月に話をしていた地元の大学での授業中に、ある老紳士がかなり感情的に発したものです。私は「憲法と最高裁」について学んでいる高齢者クラスの人たちに、プロライフの観点からロウ対ウェイド裁判の合法性と影響について話し合うために招待されていたのです。
Continue reading30年間看護婦をしてきて、私は沢山の驚くべき回復例を見てきました。その中でも、私がここでケイティと呼ぶある婦人ほど、素晴らしい回復を見せた人はありませんでした。
Continue reading「私のいのちの方が、ペトリ皿の数個の細胞のいのちより大切です。」(脊髄を損傷した女性からの編集者への手紙、ニュ-ヨ-クタイムズ紙2001年11月8日)
Continue reading30年間の看護の間に、私があまりにも多くの患者を昏睡状態からよみがえらせたので、他の看護婦たちは私のことを魔女ではないかしらと尋ね始めました。
Continue reading多胎妊娠が増えてきたこの時代、この処置法は世間に受け入れられてきており、「都合の悪いいのちは処分しても良い」という考え方を推奨する一因となっている。
Continue reading10年以上前のことです。私は3人目の子どもを妊娠中で、ベビ-・ドゥ-(匿名の赤ん坊)に関する論争はまだ続いていました。
Continue reading教皇フランシスコは、バチカンで2月5日行われた日曜正午の祈りの集いで、イタリアの「いのちの日」に言及。 すべての人の命を聖なるものとして強調された。
Continue reading教皇フランシスコは、5月13日バチカンで、水曜恒例の一般謁見を行われた。
Continue reading教皇フランシスコは、4月8日、水曜恒例の一般謁見を行われた。
Continue reading教皇フランシスコは、バチカンで3月18日、水曜恒例の一般謁見を行われた。
Continue reading教皇フランシスコは、17日、バチカンで開催された男女の補完性をテーマにした国際会議に出席された。
Continue reading5日、イタリア・モリーゼ州を訪問された教皇フランシスコは、若者たちとの集いを持たれた。
Continue reading教皇フランシスコは、バチカンで3日、日曜正午の祈りの集いを持たれた。
Continue reading教皇フランシスコは、20日、カトリックの医師らとお会いになった。
Continue readingこんにちは津崎と申します。私は大阪市の出身です。大阪市は少年犯罪が多く、私はここで35年間児童相談所に勤務していました。児童相談所というのは、所轄のエリアがあります。大阪市の場合は市域全体がそうです。人口は約260万人です。児童相談所は一箇所しかありません。大阪はいろんな問題が起こります。最近の児童相談所は虐待相談所と言われるくらい、虐待問題が大きなテーマとなっています。
Continue reading人間はその存在を肯定された時、生きる力がわいてくる。否定されたとき、死の世界に追いやられる。青少年と関わっていてつくづく感じる。
Continue readingある人たちは統計などを見て、避妊と「産児制限」に関する回勅『フマネ・ヴィテ』のメッセージは列挙される事実によって打ちのめされ、現行の文化によってうやむやにされてしまうと感じるかもしれません。しかし、もしわたしたちが注意深く反省して、ある裕福な国々で避妊メンタリティー、それを支持する政策、この考え方の結果である劇的出産減少のために生じた人間疎外のパノラマを直視するとき、その真実さは高まり、強調されます。
Continue reading白い上着を着た女性が部屋に入ってきて、室内灯のスイッチを点け、妻の眠りを妨げた。妻・ベサニーは、この一日で一番長く続いた30分ほどの居眠り中だった。医師から充分な眠りをとるよう命ぜられていたにもかかわらず、看護師がひっきりなしにやって来ては体温や血圧を測っていく。
Continue readingはじめに 好善社 理事長 棟居 勇 1996年『らい予防法』が廃止されました。1998年「『らい予防法』違憲国家賠償請求訴訟」が熊本で提訴され、 2001年原告勝訴の判決。国の控訴断念によって長くハンセン病の故に苦しんできた元患者の方たちに「人間回復の春」 が訪れました。その春をほんとうの春にするために「ハンセン病問題に関する検証会議」が組織され、 2年5ヶ月を費やして2005年3月「報告書」が纏められました。ハンセン病問題の解決はむしろこれからであることを 「報告書」は明らかにしています。
Continue reading時折、ぼこにゃんが目の前にいることが現実なのか夢なのか一瞬分からなくなることがある…と薄々思っていたら、 実は妻も同じようなことを思っていたようです。
Continue reading純潔をまもってくれ、青年よ。
Continue reading医師にとって大切なことは治しの技術と癒しの心である。そして著しい医学の進歩のため、医学生、研修医、 医師の多くは最新の医療技術の習得に時間を取られ、その陰に隠れた癒しの心がおろそかになっている。
Continue reading昭和45年12月12日、ハンセン病(らい病) の治療に尽くした小笠原登医師が肺炎のため故郷の愛知県甚目寺町の円周寺で亡くなった。 82年間の名誉ある人生であった。
Continue reading昭和27年、黒澤明監督、志村喬主演の映画「生きる」が公開された。
Continue reading私たちは何のために生きるのか。「病院のため、患者のため、人々の平和のため」これらは試験では模範解答であろうがウソである。「欲望のため」この答えは正直で、そのように思い込めれば、それもよいだろう。しかし好きにはなれない。「愛する人のため」これは正しいが、愛する人が死んだら、何のために生きているのか分からなくなる。
Continue reading私たちは、生まれた瞬間から死を約束されている。生まれた瞬間から死刑宣告を受け、 その執行を待っているようなものであるが、実際の死刑囚と違うのは、私たちはその事実から常に目をそむけ、 死をタブー視していることある。
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