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いのちの神秘とその召命

いのちは神秘である。そして、いのちの神秘の解明は有史以来、人類の根本的な課題であった。そのいのちが、今日も、さまざまに脅かされ、虫けらのように殺害されている。だから、あらためていのちの神秘と召命について根底から問い直さなければならない。 

1. いのちの神秘

人のいのちとは何か、人類始まって以来のこの問いに答えるのは科学ではない。それは哲学と宗教である。そこで、神の啓示の書である聖書と、それを解き明かす現代教会の言葉に耳を傾けてみよう。 

(人のいのちは神に創られた)

「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ』(創世記1:27)。 

人のいのちは神に創られた。最初の人と同じように、現代の人々も、そのいのちは神に直接創造されるもので、進化の結果ではない。両親は子どものいのちの創造における神の協力者である。 

(人間はそれ自体のために造られた) 

「人間は、神が、そのもの自体のために望んだ、地上における唯一の被造物である」(第2バチカン公会議『現代世界憲章』24)。 

神は自ら満ち足りた存在であり、自らのために何も造る必要はなかった。だから、人間を造ったのはご自分のためではなく、人間自体のためであったと教会は説明する。 

従って、人間は目的であって手段ではない。子どもは親の欲望を満たす手段ではなく、国民は国家目的の手段ではあり得ない。ましてや、人間はお金や名声や欲望の奴隷ではない。  

(神は、愛に動かされて人間を造った)

「神は愛である」(1ヨハネ4:8)。「神は、『愛によって』人間をいのちに招き、人間が『愛のために』生きるよう定めました」(ヨハネ・パウロ2世『家庭―愛といのちのきずな―』11)。 

神はなぜ人間を人間のために造ったのか。それは、人間を愛するためであり、愛するための存在を望んだからである。人間は一人ひとりが神に愛されている。人のいのちは神の愛のしるしである。かのマザーテレザはこれを、「人はみんな望まれてこの世に生を受けた」と表現した。 

2. いのちは召命

人間は未完成のものとして生まれてくる。成長して自己を実現し、完成するためである。人間の究極の自己実現、人生の究極の目的を人間の「根本召命」と教会は呼ぶ。いのちは召命である。 

(人間の根本召命は愛) 

「神は、人をご自分の似姿として創造し、男女の人間性に招きを与え、愛し交わる力と責任を課されました。愛は、すべての人間の根本的な生まれながらの召命です」(ヨハネ・パウロ2世『家庭―愛といのちのきずな―』11)。 

さきに引用したように、神は人間が「愛のために」生きるよう定めた。だから、愛して生きることが人の使命でもある。「愛がなければ、わたしは何者でもない」(1コリント13:2)のである 

(純粋に己を与えて自分を見つける)

「人間は、自らを純粋に与えて初めて、完全に自分自身を見出すことができる」(『現代世界憲章』24)。だから、見える人間となった「神の愛・キリスト」は、ご自分のためではなく、人類のために死んで復活することを通して、「人間を人間自身に完全に示し、人間の高貴な召命を明らかにする」(現代世界憲章22)のである。 

Itonaga, Shinnichi (イトナガ・シンイチ )
糸永真一司教のカトリック時評
Copyright ©2007年2月15日掲載
2010.6.27.許可を得て複製