日本 プロライフ ムーブメント

ケイティの話

30年間看護婦をしてきて、私は沢山の驚くべき回復例を見てきました。その中でも、私がここでケイティと呼ぶある婦人ほど、素晴らしい回復を見せた人はありませんでした。 

私が病院のガン病棟で働いていた時、重度のCVA(脳血管発作)を起こして昏睡状態にある84歳の女性が、このガン病棟に運ばれてくる、という連絡がありました。その状況が普通でなかった為、彼女はこの救急病院にずっと入院し続ける患者でしたが、当時彼女が入院していた整形外科を改築するため、空いているベッドがあった私達の所に移されてきたのです。 

ケイティが発作を起こした時、医師はすぐにも「これは手の施しようがない」と感じ、遠くに住むケイティの家族に、そのまま死に至らせた方がいいだろう、と勧めました。そこで点滴は外され、ケイティは昏睡状態にあるように見えました。彼女はそのまま整形外科で亡くなることになったのです。しかし、ある看護婦が医師に、ケイティの耳元で「アイスクリーム」と叫ぶとケイティは眼を開けると言い、少なくともしばらくの間は点滴をしてくれないか、と頼み込んだのです。医師はしぶしぶ承知し、タンパク質の入った「TPNライト」という簡単な点滴を許可しました。その点滴は、いのちを長期に維持できる物ではありませんでしたが、それでもないよりは良かったのです。 

ケイティが私達のところに運ばれてきた時、整形外科に戻っていく看護婦は、ケイティは本当に全く無反応だから、そうではないとは絶対に言わないで欲しい、と私にクギを刺していきました。どうしてそう言われたかというと、ICUとガン病棟で働いていた何年もの間、私は昏睡状態にある患者に話しかけるのは良い事だと信じ、それを実行していたからです。実際、突然「目覚めたり」、状態が良くなった患者も多いのです。私はよくその事でからかわれていて、あるそんな出来事の後、同僚の看護婦に「あなたは魔法使いなの?」と半分本気で聞かれたこともあるのです。もちろん私は魔法使いではありません。私は敬虔なカトリック教徒です。私はただ、人間の聴覚というのは他の感覚に比べて最後まで残る感覚ではないかと思い、昏睡状態にある患者にも、まるで意識があるかのように、いつも話しかけていたのです。そういう患者達の多くが最終的には反応を見せ始めるということは、私自身にも驚きでした。その内の何人かは、完全に回復までしたのです。 

私が最初にケイティに会った時、確かに彼女は無反応に見えました。けれども背中を拭いてあげようと私がケイティの身体を動かしたとき、かすかな抵抗を感じたのです。私はその時他の看護婦達に、「ケイティにはいくらか意識があると思う」と言いましたが、笑われただけでした。それでも私は、ケイティはすべて聞こえていると思って扱った方が、彼女の尊厳を尊重することになる、と感じました。 

ケイティはオムツをしていたので、私達看護婦が勤務中に何回かきれいにしてあげていました。何人かの看護婦は、もとからの重症なガン患者の看病に加えて、手のかかる病人にこんなに多くの時間を割かないといけないなんて、と怒っていました。 

すると、驚くようなことが起こりました。何週間か経つと、ケイティは反応するようになり、話すことさえ出来るようになったのです。 

初めの内は、ケイティはただ意味のないことをつぶやくだけでしたが、私達が話しかけると私達を見るようになりました。他の看護婦達もこの進歩を喜び、その内ケイティは私達の病棟の「プロジェクト」になったのです。時が経つに連れて点滴では保たなくなってきたので、口から食べ物を取らせてみても良いという許可が与えられました。するとケイティはとても空腹だったようで、その内点滴も完全に外されたのです。 

ケイティはまだ頭がハッキリしていませんでしたが、明らかに私達に反応していました。このままそれ以上は改善しないのではと思われましたが、そんなとき私は人形を与えることを思いつきました。そういう人形療法がアルツハイマーの患者に効いたと聞いたことがあったので、「発作の患者にもいいのではないか?」と思ったのです。 

私の娘達が柔らかくて洗える人形を提供してくれると、ケイティはみるみる改善し、頭もハッキリしてきました。彼女はいつも人形を握りしめていました。私達看護婦は、ケイティの担当の医師が彼女を見に来るのを待ち切れませんでした。 

ケイティの担当の医師が来たのは、彼女が私達の所へやって来てから数ヶ月後でした。仲間の看護婦達に聞いたところでは、ケイティを見た担当医師の反応は、「みなさん、あなた達が良いことをしたとは思えない」というものでした。それを聞いた看護婦達はがっかりし、なんてことを言うのだろう、と思いました。それを聞いた私は、先生は彼女が84歳で仕事もないことから、ちょっと偏見があったのだろう、と言いました。私達はもっとケイティの為に頑張らないといけない、とも言いました。 

そんなことで、ケイティの為に「お嬢様教育」のようなものが始まりました。「何々して下さい」「ありがとう」がきちんと言えるように教え、ある二人の看護婦は魅力的な身のこなしを教えようとしました。ケイティの頭の混乱は完全になくなり、昔からの記憶さえ取り戻したように見えました。最後には、自分でスプーンを持って食事できるようにすらなったのです!ただ、私達が申し入れた身体のリハビリは医師から拒絶されたので、ケイティは車椅子でしか動けませんでした。 

担当の医師が再びやってきたのはそれから数ヶ月後のことで、この時こそケイティを見た医師はビックリ仰天しました。彼女の病室から出てきた医師は、「みなさん、これは記録すべきだ!これは奇跡だ!」と言いました。私はそれを聞いて、まっすぐ医師を見ながら、これはちっとも奇跡などではなく、こういうことは私達の周りではよくあることです、と答えました。もし後一週間あったら、ケイティは「恋人も出来るし仕事も見つかる」と私は予想し、それを聞いた医師は笑って、彼もそう思うと言いました。 

ケイティは私達の病棟の家族となり、みんなに愛されました。残念ながらケイティの本当の家族からは何の連絡もなく、ケイティも何も聞きませんでした。でもケイティのお陰で私達も変わったのです。 

ガン病棟にいる他の昏睡状態の患者達でも、亡くなる前に目を覚まし、愛する人達を意識するということも少なくありません。それは私達が彼等に話しかけ、家族にも話しかけるようにと励ましたからです。それはなんてかけがえのない贈り物になるでしょう! 

ケイティの話はハッピーエンドで終わり、彼女はずっと私達と一緒にいられるかのように思えました。しかし、そうではなかったのです。 

私達の病棟の部長医師は、私達の病棟にガンでない患者がいるということを知らされていませんでした。彼はそれを知ったとき、私達がいくらお願いしても、整形外科病棟への移動を指示しました。そして整形外科の看護婦達は、ケイティの精神面の回復を伝えたにもかかわらず、この移動を喜びませんでした。ケイティが私達から去っていったとき、私達は涙が止まりませんでした。 

私達ガン病棟の看護婦はそれからもケイティに会いに行きましたが、移動による精神的ショックの影響が彼女に出始めました。間もなくケイティの病状は後戻りし始めたのです。彼女は又頭が混乱してきて、「ビールが欲しい」とつぶやくだけになりました。自分で食べることもなくなり、彼女がベッドで亡くなっていたと私達が聞くまでに、そう時間はかかりませんでした。私達ガン病棟の看護婦は、自分の家族を失ったような気持ちがしました。 

でもこのケイティの話は、愛の力、いのちを尊重することの力を示す、真の証拠です。「死の権利」が幅を利かせているこの社会で、ケイティは回復の見込みのない患者と見なされたのですから、治療を中止され、死への立候補に立てられたのも不思議ではありません。彼女が生きたのは、私達看護婦がそういう社会のシステムに対抗して勝ったからです。それはケイティだけのためでなく、近頃の冷淡な医学倫理から無用の人間と見なされ「死んだ方がまし」と言われる他の患者達のためでもあったのです。 

ケイティが亡くなってから何年か経ち、私は又一般ICU病棟に戻ってフルタイムで働いています。ここでも私は、「患者によっては、脳が重度に損傷したままでいるより、死んだ方がましだ」とする姿勢と戦っています。私の同僚の一人は、私に「かわい子ちゃん」というあだ名まで付けました。私が可愛いからではなくて(もちろんですが)、彼が笑いながら言うには、私が患者達のことを「かわい子ちゃん(恋人)」と呼ぶと、その患者達がよく「困惑し、闘志満々になり、理性を失う」からだそうです。 

私は「回復の望みナシ」や「回復困難」というレッテルが患者に貼られたときに持つ影響を見てきました。そして又、前向きな力がいのちを救う事さえあることも見てきたのです。 

私はケイティとその笑顔を忘れません。 

P.S.数ヶ月前、私はある母親から電話を受け、療養施設にいる19歳の娘に会いに来てくれませんかと頼まれました。その子は9ヶ月前の自動車事故で、脳に重い損傷を受けたのでした。事故当時、「クリス」(とここでは呼びます)は危篤状態で、母親は娘の臓器を移植のために提供しないか、と病院側から持ちかけられたくらいでした。(そこはカトリックの病院であったのに!) 

しかし数日経って、クリスは人工呼吸器をはずす事が出来、医師の言うところの、回復の見込みのない「植物」状態までになりました。その時点ではリハビリは無駄だと考えられたので、多くの患者のように、選択肢は栄養の点滴を外すか、数週間後にクリスを施設に送るかのどちらかでした。何という選択肢なのでしょうか!死か収容施設… 

私がジェイン・ホイトの書いた素晴らしいパンフレット、「穏やかな働きかけ:意識が完全でなかったり昏睡状態にあると思われる人との接し方」を持っていくと、婦長さんは関心を持ち、他の同僚のために増刷したいと言いました。このパンフレットはニューヨークの看護婦の団体で見つけたのですが、看護婦や家族にとって、とても為になる物だと思います。 

クリスの話は、ケイティのと同じように、看護婦が「回復の望みのない患者」に対して「その気」を出せば、思いがけない素晴らしいことが起こり得るということを表しているのです! 

Valko, Nancy (ヴァルコ、ナンシー)
Copyright © 2002
2002.9.29.許可を得て複製
英語原文 www.lifeissues.net