日本 プロライフ ムーブメント

人間の尊厳を尊重するのは、人権を守ること

1月22日は、我が国の最高裁判所が、産まれる前の子ども達に恐ろしい死刑判決を下した記念日である。中絶は、最も陰惨な、究極の幼児虐待である。 

新世紀に入り、神は、神の御言葉と、ユダヤ・キリスト教が伝えてきた最も高尚な道義に基づく、博愛についての新しいビジョンを確立するようにと私達におっしゃっている。人間の歴史におけるこの新しい瞬間に、いのちの文化を形成することが求められ、子宮から墓場まで、受精の瞬間から自然にいのちが尽きるまで、神に定められた人生のどの発育段階にあるいのちでも尊重することが求められている。 

人間の尊厳を尊重するということは、広く人権を守ることである。アメリカ人として、またキリストを信じる者として、カトリック教徒は、どの発育段階にあるいのちも、どんな状況にあるいのちも、擁護することに尽くさなければならない。カトリック教会は、いのちへの一貫した倫理的アプローチをもって、いのちの文化を信奉し支持する。そして、すべての人のいのちは、神に似せて造られたことから、神聖なものであると教えている。だからこそ教会は、死の文化を助長する行為、例えば、中絶や安楽死や死刑を非難する。悲しいことに我が国は、家庭内暴力、麻薬の蔓延、いのちを危険にさらす結婚外の性交、貧困、教育や医療の欠如、そして世界の生態環境バランスへの無謀な介入など、死の文化を目の当たりにしている。死の文化は、私達の国の外にも拡がっている。凶作と飢餓、世界のあちこちでの医療と開発の拒否、武力衝突の暴行、またそういう衝突を引き起こすけしからぬ兵器取引等。 

人間のいのちを尊重するには、この様な脅威や他の脅威からいのちを守らなければならない。また、人の生活状態を高めるために、国内外で最も困っている人から順に、食糧や住居や意義のある仕事を提供しなければならない。しかし、今では中絶や安楽死が、人の尊厳を脅かす顕著な脅威となっている。何故ならこれらはいのちそのものを、人間の最も基本的な大切なものを、直接襲うものだからである。こういう非道な行為は、一番の弱者、最も無防備な者、正に貧民中の貧民に行われている。人間のいのちに関して第一人者のヨハネ・パウロ2世は、こうおっしゃる。「中絶や安楽死や自殺援助が、神からのいのちと愛の贈り物を拒否する行為だということに、信者として気が付かないわけにはいかない。また信者として、病める人や困っている人を私達の愛と手助けで暖かく包んで、生きることが喜べるようにしないわけにはいかない。」(ヨハネ・パウロ2世) 

1973年の裁判所での恐ろしい判決以来、4千万人の赤ちゃんが殺されている。パーシャル・バース・アボーションの出現により、この暴虐な行為は衰えることを知らない。7、8センチだけ、数秒だけこの世に生まれ出た赤ちゃんが、頭の後ろにハサミを突っ込まれて殺され、死んだまま出産される。恐ろしいことはこれだけで終わらず、これら中絶された子ども達の組織や身体の一部が売買されているのも事実である。フィラデルフィアの人口と同じ位の人数が、毎年中絶によって殺されている。 

ヨハネ・パウロ2世は、「胎児のいのちは、母親の子宮の中で守られ養育される権利がある。なぜなら胎児には生来の尊厳があるからである。この尊厳は胎児自身のもので、それが遺伝子学上の親であろうと医療関係者や国であろうと、他人から与えられたものでも、許可されたものでもない。」と力説する。 

神に忠実な私達は、中絶を宗教上の問題として見るし、それは間違っていない。しかし、本来これは公民権の問題である。アメリカの憲法は、「生きる権利、自由と幸福を追求する権利」を保証している。最高裁判所は1973年のロー対ウェイドの判決で、産まれた後であろうと前であろうとすべての人間に「創造主から与えられ」、「人が奪うことの出来ない」生きる権利を、傲慢にも取り上げてしまった。子どもは母親の胎内に10ヶ月間入っているが、その胎児は遺伝子学的にこの世に唯一で、生物学的にも独立した個人である。その個人を殺すことが、どうして合法的なのか? 

私達にとって自然資源は非常に大切である。私達は当然として森や湖、絶滅の危機にあるすべての植物、海中生物、動物を保護している。であるのに、この国では毎日4400人の子ども達を中絶によって殺させている。どの国でも、一番大切な自然資源は子ども達であるのに。 

中絶に関する議論で最も焦点となるのは母親と胎児であるが、カウンセラーや研究者によれば、胎児の父親の態度が、女性が中絶を決心する最も重要な要素の一つになっている。中絶するかしないかを決定する負担を女性が担っているにも関わらず、子どもの父親のサポートや関わり合いがあるかないか、また女性が男性のサポートや二人の関係をどう見るかが、多くの場合決め手となる。父親となるはずの男性の態度が、妊娠している女性のストレス、不安、憂うつ感の重要な原因となる。 

妊娠して悩んでいる女性や中絶した女性は、私達からのいたわりや手助け、すなわち、感情的な、精神的な、心理的な、経済的な手助け、そして祈りを必要としている。又私達は、この重大な事態における責任を男性にも自覚させ、適切に補助しなければならない。 

約2000年前、若い未婚の女性に天使が妊娠を告げた。ヨセフという男性に支えられて、マリアというその若い女性が困難な状況の中でキリストを産むと勇気を持って決心したことは、予期しない妊娠にどう対処すべきかという神の方針の手本として、今も残っている。もしイエスの母のマリアが、神の意志に従う代わりに中絶をしていたら、今日の私達の生活はどう変わっていただろう。ルカによる福音書に出てくる聖母マリアのご訪問の場面での、二人の未来の母親の情のこもった出会いは、胎児が受胎の瞬間から個性を持つことを、強く表している。 

Pfeifer, Michael D
マイケル ファイファー 司教
オブレート会
英語原文 www.lifeissues.net
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2002.9.5.許可を得て複製