日本 プロライフ ムーブメント

ヒト胚も生きる権利をもつ人間です!

二十世紀後半から遺伝子操作や細胞融合など、生命科学(ライフサイエンス)の発展に伴って、生命をどこまで人為的に操作すべきか.あるいは個人の生命の尊重などの問題が、従来の生命観では対処できなくなってきた。このような生命の倫理上の問題を扱う専門分野が、バイオエシックスである。これはギリシャ語のバイオス(bios=生命)とエシケ(ethike=倫理)からきた造語と、国際化新時代の外来語辞典で知った。 

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臓器提供は人間愛の行為

さる7月13日、参議院本会議において、臓器移植法改正案(いわゆるA 案)が可決され、成立した。これによって、わが国では脳死が一律に人の死とされ、また本人の意思が不明な場合は、 家族の書面による同意があれば、臓器移植が可能となり、15歳未満の臓器摘出と移植も容認されることになる。

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「いのちの聖域」への生殖医療の介入新事情

旧ろう30日付の朝日新聞は、「卵子で遺伝子一括診断 数千種類の病気 精度9割以上」の見出しで新しい生殖医療を米 ・中の大学が開発したと報じた。結婚した夫婦だけに保留された“いのちの聖域”への医療技術の介入新事情である。 

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「新型出生前検査」をめぐって

「胎児の状態を知る『新型出生前検査』の臨床研究と応用をめぐる議論が盛んだ。この検査は、 妊婦の血液から胎児の特定の染色体の状態を知ることができ、 これまでの検査よりも妊婦の身体的負担が少ないことと検査精度が高いことが特徴である」 

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万能細胞と生命倫理

再生医療のために身体的のあらゆる部分になる可能性を持つ万能細胞(幹細胞)の開発が待たれてきた。そんな中、昨年11月、京都大学の山中伸弥教授らの研究グループが、待たれながらも期待薄であった受精卵を使わないiPS細胞(人工多能性細胞)を作ることに成功したという発表は、朗報となって世界中に大きな反響を呼び起こした。その大きな反響の主たる原因は何であろうか。 

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生命の始まりについて

「カトリックの影響が強いドイツでは、法律で胚の作製や研究利用を厳しく規制しているが、(中略)わが国には、こうした大原則はない。科学技術の進歩を後追いする形での法や指針があるだけだ。この機会に、宗教や哲学、科学などの学問の垣根を越えた幅広い英知を結集し、国民の合意を得るべく公開の場で「人」の始まりや終りを論じてみてはどうだろう」。

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『生命の尊厳倫理』と良心にもとづく産婦人科医療に迫る国際バイオエッシクスの脅威

いま何よりも必要とされているこのような会議(「産婦人科の未来――良心にもとづく医療教育を受け、良心にもとづく医療をおこなう本質的人権」)に参加できることを光栄に思う。現在、カトリック系の医療機関に、そして世界国々のあらゆる社会にはなはだしい差別と圧力、そして差し迫った脅威が存在している。本会議の参加者はその目撃者となっている。

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誰それって誰のこと?

(ストーリー) キャリーとティムはわくわくしていた!とうとう親になれるかもしれない。長くて暗い過去の数年間が続き、キャリーが再び妊娠するなどという希望はほぼ絶望視されていた。深く傷ついた組織のせいで、彼女は生殖力がないと診断されていた。それは過去数回の中絶、性病そしてIUDによるものだった。しかし「イン・ビトロ受胎」クリニックのおかげで、二人の問題は解決した。技術者たちが11の胎児になる直前の胚を受精させることに成功し、それらをキャリーの子宮に移植しようというのだ!

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幹細胞研究:その光と影

科学は現在目もくらむようなスピードで進化している。クローニング、遺伝子治療、ミラクルドラッグ、風変わりな療法などなど。そのなかでももっとも衝撃的な出来事は1998年11月に起こっている。2人の研究者がそれぞれヒト受精卵および中絶胎児からの幹細胞摘出に成功したのである。この幹細胞を活用できると、熱烈な期待が湧きあがっている。その一方、無垢で無防備なヒトがその過程で破壊されるのではないかとの懸念の声も聞こえてくる。

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ヒト胚性幹細胞研究–その公式見解の根拠は科学的詭弁であるか?

論争におけるNBAC(国家生命倫理委員会)や米国ホワイトハウスの公式見解の根拠となる考えは次のいずれかである:(1)受精やクローニングの幹細胞はまだヒトではない、および/あるいは、(2)ヒトではあるかもしれないが、まだ人間ではない。いずれにおいても、主となる論拠は生命の尊重と尊厳におよぶことになる。なぜならば、早期ヒト受精卵は、生物学的生育段階を経て生物学的生体の生育に応じ進化するものであるからである(前NIHヒト受精卵研究審査員団報告/NBACリポート)。

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法的、医学的、倫理的、社会的問題としてのクローニング

「人間クローニングの直接産物は人間です。その反対の主張は科学的に間違っています。」 ビリラキス議長、保健・環境に関する小委員会の皆さん、今日この機会に皆さんの前で人間のクローニングという非常に深く、重要な問題について証言する機会を与えられて、また、皆さんがこの問題と真剣に取り組み、この分野に関して分かりやすく、政策の基礎となる正しい、納得いく情報を求めておられることを嬉しく思っています。

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クローニング・危険な言葉遊び

1996年3月、父親ののいない「ドーリー」という愛らしい名前の子羊が生まれた、というニュースが世界の人々を驚かせた。1長いこと冗談とかサイエンス・フィクションでは話題になっていたことだが、人間のクローンも可能になったことで、恐怖に駆られる人々も出てきた。この新技術が人類を未知の暗い深淵に突き落とす前に、倫理的、社会学的、法律的含みに関する責任に取り組もうとして、解説、会議、政治論争が続いたものである。

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中絶に直面する女性と医師:良心形成と道徳的選択における正しい科学の役割

一. 導入  中絶問題に直面する女性、医師、その他大勢の人たちに関わる、もっとも緊急でありながら無視され続けているジレンマは、ヒト受精卵に関する正しい基礎的科学知識へのアクセス、観察に基づいて、普通、人間は受精の瞬間に単細胞の受精卵として存在し始めることを証明する情報に不足しているということです。このような正しい情報がなければ、わたしたちには中絶、ヒト受精卵研究、ヒト受精卵幹細胞研究、クローニング、異種間キメラ、遺伝子配列変更の研究・治療、その他関連する医学・科学的問題に関して、良心を正しく形成し、倫理的に正しい決定をすることができなくなります。神の啓示ほどではないとしても、正しい科学に基づくことがこの種の問題について考察する際には出発点になります。

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医学倫理

わたしたちは毎日絶え間なく、人騒がせな医学の諸問題に直面します。二、三、例を挙げると安楽死、自殺幇助、試験管ベビー、クローニング、幹細胞研究、実験室で生み出すキメラ、その他です。しかもこれらすべてがわたしたちに押し寄せているといった感があります。これは、よくあることでは済まされません。二十一世紀に入ろうとするわたしたちは一人残らず、これらの問題と、今はまだ想像さえできないような数多くの問題に関して態度決定を迫られています。しかし、わたしたちの態度決定の基礎は何であるというのでしょうか?

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人間はいつから人間になるのか? -「科学的」神話と科学的事実

ある学会で人間の生命がどの時点で始まるかを議論していた際、一人の婦人科医が「中絶手術を執行するとき、あなたは子宮内の子供がもう人間になっていると信じますか?」と質問されたときのことです。彼の正直な答えは以下のようなものでした。

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「急進的な産児制限」の導入 – note for life(3)

「急進的な産児制限」の目論見は、この法律の十四条に定められた、特定の医師に認可される「人工妊娠中絶」 によっていとも簡単に実現するところとなった。「人口削減」を目的とした中絶の導入である。”子どもが邪魔になる” ことを前提とした”間引き”の合法化である。今ならこんな趣旨の法の成立などありえないだろうが、 今でもこの法の骨子と法の精神は生きている。 

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最終局面:生殖技術の進歩と自然生殖の消滅

今我々が棲むこの時代、将来の見通しは急速に変化し、人の生殖技術の進化に脅かされている。この論文ではまず実例をいくつか挙げ、次に最も恐ろしい技術的オプションの一部を概説し、最後に生殖技術及びその力と社会との関係を分析する。

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人間のクローニングと権力の乱用

『ザ・マトリックス』(1999年)というカルト映画の中で、大部分の人間の胎児が生まれるべき運命にある少数の選ばれた胎児の食料として育てられるという未来世界に私たちは引き付けられました。非常にたくさんの人間の胚や胎児が木のような構造物からぶら下っていて、それは『搾られ』て液体にされるのを待っていました。その結果として生じる『ドリンク』は、その後少数の選ばれた者の静脈の中に注入されるのです。

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妊娠中絶とクローニング:新しいはぐらかし

私はこれから、今までいろいろな主要な場で話されてきた公演を振り返ってみようと思います。つまり、母親の希望でおなかの中の子どもが殺されることをよしとする確立された政策のもっともらしい説明や、未確立ではあるけれども新しく出てきた政策で、体の一部を他人に提供するためだけに生まれてこさせられた子どもたちの現状についてです。これから私が振り返る公演や議論のほとんどは、選択や行動を覆い隠そうとするはぐらかしに他ならないのです。これが私の話の題目です。

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