日本 プロライフ ムーブメント

ヒト胚性幹細胞研究–その公式見解の根拠は科学的詭弁であるか?

論争におけるNBAC(国家生命倫理委員会)や米国ホワイトハウスの公式見解の根拠となる考えは次のいずれかである:(1)受精やクローニングの幹細胞はまだヒトではない、および/あるいは、(2)ヒトではあるかもしれないが、まだ人間ではない。いずれにおいても、主となる論拠は生命の尊重と尊厳におよぶことになる。なぜならば、早期ヒト受精卵は、生物学的生育段階を経て生物学的生体の生育に応じ進化するものであるからである(前NIHヒト受精卵研究審査員団報告/NBACリポート)。

このいずれの主張も次の質問に突き当たる、「ヒトはいつからヒトなのか?」、あるいは「ヒトの物理的な始まりはいつなのか?」。こうした質問は、科学的信憑性のある質問とはなにかというところから始まる。ヒトの物理的生物学的面での起源を定めるうえで学究的なよりどころが必要なためである。そのためにもこの質問の回答は、バイオエシックス関連の文献に登場するような医師や生命倫理学者や政治家や哲学者、あるいは神学者や社会学者によってではなく、客観的かつ経験的事実、つまりヒト発生学という学問上証明されている事実によってなされなければならない。ここでは、単に政治的な意図をもって、部分的に取りあげたり、歪曲したり、削ったりした、個人的な意見、あるいは正論、もしくは妊娠中絶合法化への反対意見を述べるのではない。私は純粋にヒト発生学における客観的かつ学術的事実に基づいてコメントするだけである。コメントが不正確であるとすれば、ヒト発生学者の100%が間違っていることになる。ではこの分野において何がおこっているのであろうか?

厳密な科学上の質問については、バイオエシックス関連文献に取りあげられている「ヒト」や「人間」の定義の基礎が、これまでずっと単なる科学の困惑混迷を土台としていることを指摘したい。もっと最近になると、ホワイトハウスやNBACの公式見解は、NIHとその長官ハロルド・バームス氏の公式発表における一見明確な「科学的」事実にほぼ沿ったものになっている。しかし、こうした公式見解も不明瞭な点では他と同様である。

バームス氏の公式かつ一見明確なコメントを見てみると(http://www.nih.gov/news/stemcell/statement.htmにて参照可能)、米国上院の小委員会でわざわざ故意に証言したことは、ヒト胚性受精体(彼は「卵細胞の受精成果」という表現を使用)と胚盤胞までの成長全段階が、単に「成熟したヒト有機体」となる「可能性」をもつだけの「全能性の幹細胞」(つまり、単なる「パーツ」)であり、しかも「着床した場合にのみ」としているが、ここが私の問題とするところである。彼のコメントは明らかに科学的に誤りで、完全に誤解をまねく表現である。

科学的に不明瞭であるということと科学的詭弁との間の境界線は微妙なところにある。私の見たところ、この分野では境界線が何度も何度も引き直されている。科学的詭弁については一般にその分野において警戒度が高くなりつつも、さまざまなかたちを取っていき、「不明瞭なポイント」へと変貌することもある。私の見解――これはすべてのヒト発生学者が認めている学術的に正しいヒト発生学所見のみに基づくものである――では、バームス氏やNIHのヒト胚性幹細胞研究に関する公式コメント――これらがホワイトハウスやNBACの本件に対する最新見解となる――が科学的詭弁のカテゴリーに堂々と入ると考えている。そう言える時期がきている、そして議会調査員が行動すべき時期がきていると、私は考えている。

私が彼らのコメントが明らかに科学的に詭弁であると判断するのには、次のような理由がある。

(1)ヒト発生学という学問は、一体全体早期ヒト受精卵期が本当にヒトという有機体そのものの発育段階であるかどうか、ヒトの単なる一部分にしかすぎないのではないか、つまり、バームス氏の言うところの単なる幹細胞にすぎないのではないか、という疑問を訴えてきた。単一細胞のヒト胚性受精体、そして胚盤胞までの多細胞発育ヒト器官は、(比較において)「全能性」を備えているものの、バームス氏のコメントにあるような単なる幹細胞としての捉え方は科学的にみて誤っている。科学的な目から見て幹細胞はそれをはるかに上回るものである。幹細胞は有機体の一部であり、有機体は生命の全体像である。

あのクローン羊「ドリー」の実験を例に挙げてみよう。ドナー細胞となった皮膚細胞は母羊の一部にすぎず、母羊そのものではなかった。つまり、ジョーの顔面の皮膚細胞はジョーのそのものではない。単なるジョーの一部である。ジョーの顔面の皮膚細胞をつぶしてもジョーを破壊することにはならない。しかし、内臓を摘出すれば彼を破壊してしまうことになる(ちょうどこの考察で取りあげている種の研究において、生きているヒト受精卵から幹細胞を採取したり、体細胞・生殖細胞治療研究用に遺伝子フラグメントを取り出すのと同じである)。

この段階を単に「全能性の幹細胞」と定義し、ヒトつまり有機体そのものであるという重大な科学的事実を無視して、バームス氏は客観的かつヒト発生学的事実のなかにある真理を誤ったかたちで報告し、そうする中でこの論争の肝心なところで米国上院小委員会の判断を誤らせている。理論上の主張が、まだヒトではない、あるいはまだ「人間」ではないというものであっても、いずれの主張もヒト発生学における正しい完全な客観的かつ学術的事実に基づくものでなければならない。バームス氏は、ヒト発生学の科学的事実のところどころを虫食い的に選び、また無視をして(その理由がなんであれ)、その「つぎはぎ理論」を幹細胞研究の正式な学術的見解として米国上院小委員会に報告しているが、私から見るとこれは科学的詭弁のカテゴリーに入るものである。実際のところ、彼の理論は、科学的に疑わしい用語「前胎児」をしつこくそして故意に駆使してこれまで数多く世にでた「混迷科学」と非常によく似ている。ヒト受精卵の早期段階を単に「全能性の幹細胞」とし、故意にこのフレーズを使う彼のアプローチは、不可解な科学用語「前胎児」を駆使した過去の科学的詭弁の再来と言えるのではないだろうか?

(2)発育を遂げている胚段階のヒトは、のちのちヒトとなる単なる「可能性」(つまり、「潜在性を有するヒト」)ではないと、バームス氏は捉えている。しかし、科学的に見て、この段階はすでに生きているヒトであることがわかっている。そもそも「可能性」や「潜在性」といった用語は科学用語ではなく哲学のそれであり、この種の問題を解き明かし、上記のような重大な公式コメントをするうえで全く意味をなさない。こうした哲学用語でさえバームス氏は意図的に使っており、ヒトや人間の始まりについての生物倫理学的/哲学的議論に長きにわたって用いられてきた本用語の本当の意味を明らかにしていない。彼の生物倫理学的/哲学的用語の意図的な使い方は、またしてもこの論争における米国上院小委員会の判断を惑わせるものとなっている。

(3)氏は、早期の全能性を備えた、あるいは未分化「細胞」は、「着床しない限り」ヒトという成熟した有機体にならないとしている。これもまた科学的に誤った見解であり、誤解をまねくことになる。科学的な見解では、単一細胞のヒト胚性受精体とその早期発育段階は、着床しようとしまいと、ヒト(ヒト有機体)である。ヒトは、その物理的存在が受精時(クローン時)に始まることが科学的にわかっている。着床するとかしないとかは、すでに存在しているヒトがその後生存するかしないかということにつながるだけである。着床の有無によってちがいはなく、そこにすでに存在するヒトがこれからも生存し、成長するかどうかというだけである。事実は実にシンプルである――早期ヒトが着床すれば生きて成熟していく、着床しなければ早期に死んでしまう、ということである。

(4)バームス氏が使っている「完全成熟ヒト有機体、つまりヒト」という用語は、単に誤解をまねく表現ではなく、科学的に見ても実に奇妙な用語である。「成熟ヒト有機体」はヒトの数多くの発育段階のひとつにすぎず、唯一の段階ではない。科学的観点では、胚性有機体と成熟有機体はひとつ、つまり同じ有機体である。胚性有機体の方が早期であり、成長度が低いだけである。氏の「ヒト」の定義は、米国の科学関係者にヒトは単なる成熟した有機体であるとの考えを押し付けているにすぎない。これは科学上非常識そのものであるが、おもしろいことに、多くの生物倫理学者(Peter Singer、R.M.Hare、Jonathan Gloverなど)が提案し、熱い議論を呼んでいる「人」に対する生物論理的かつ哲学的な定義に「科学的」な根拠を提供する可能性があることである。これはまさしく迷走する科学であり、いったい何のために存在するのであろうか?

(5)さらに、科学的に誤った情報が、またしても公式なNIHウェブサイト上の幹細胞研究関連の文献「幹細胞研究入門書」にも登場している。[http://www.nih.gov/news/stemcell/primer.htm]科学的に誤った情報の罪は、すぐに浸透し、NIHや民間のセクター、学生、メディア、そして本研究に興味をもってこのウェブサイトにアクセスしたすべての人々に広がることである。私の考えでは、これは政府最高レベルにおける科学的誤謬の公式宣伝以外のなにものでもない。私は困惑している。優秀で聡明、そして善良なヒト発生学者、科学者はいったいどこにいるのであろうか。

(6)このような科学的誤謬が、さまざまな非倫理的なヒト受精卵研究――ヒト胚性幹細胞研究、クローン人間、ヒト/動物キメラ研究、DNA組換えヒト遺伝子体細胞/生殖細胞治療、ヒト受精・不妊研究、生物学的/化学的戦争スクリーニング研究などなど――の正当性の評価の際に、「科学的」、そして「倫理的」判断の下敷きとなるわけである。そのすべての土台が、バームス氏が上院小委員会で発表した報告、そして公式NIHウェブサイトの「入門書」で登場した情報のような科学的詭弁である。

こうした研究が掲げている3つのゴールの2つめが、氏が上院小委員会で発表した報告や正式NIHウェブサイト上の情報にあるように、早期ヒト胎児を製薬業界の新薬スクリーニングに使うものであったとしても、その「ゴール」自体、この問題に対する一般の人々の論争を故意にそして全く無視したものである。意図的な大義名分のために実施されている倫理にもとる実験があるのでは、そしてそうした実験がわれわれの研究分野における輝かしい成果とすばらしい創意工夫を駆使した倫理的なアプローチにておこなわれているのではないかと、私は懸念している。

さらに、これまでに挙げてきたヒト発生学における詭弁が、数多くの非倫理的な公的政策(それ以外にも多々あると思うが)――例を挙げると「避妊」(この問題は人工妊娠中絶薬であることが少なくない)、人工中絶、不妊クリニックでの治療とそのポリシー、院内倫理員会方針、施設審査委員会方針、連邦OPRR規定、出生前診断方針、胎児減数措置方針、代理母政策、政府優生学政策(現存する各国のバイオエシックス関連文献から鑑みて、実際のゴールはここにあると思われる)などがある――の土台となっている。

私にもこの長引く問題の答えはわからないが、科学界と米国社会は、上記のような明らかな科学的詭弁を完全に掌握する必要がある。これ以上手をこまねいていると、科学のさまざまな分野やそれに付随する分野の客観的一貫性や純粋さ、そして米国社会そのものに修復不可能な害がおよぶことになる。このような科学上の詭弁は、ヘルスケア政策を盾にさまざまな曲解と誤った認識とを混ぜ合わせた不可解な「理論」や「事実」として迫っている。

Dianne N. Irving, M.A., Ph.D.
ダイアンヌ・アーヴィング医学博士
1999年7月24日
英語原文より翻訳: www.lifeissues.net
Copyright ©July 1999