編集者: ノボトニー・ジェローム, OMI 2020年07月09日

読んでください

New! 難民とコロナウイルスの「隠れた犠牲者」

Novotny, Jerry (OMI) ノボトニー・ジェリー
最近の推計によると、世界中で70,754,326人の人々が難民となっている。これらは、迫害、暴力、 武力紛争から逃れてきた人々である。国連難民機関のチーフであるFilippo Grandiは、「世界に平和を生み出すことは不可能に近くなっている」と述べた。2019年には、 約1360万人が新たに避難を強いられた。これほど増加したのは、UNHCRの70年の歴史の中で初めてのことである 。

New! 離婚しない結婚の準備

Itonaga, Shinnichi イトナガ・シンイチ
先日、珍しい友人が突然訪ねてきてくれた。イエズス会の元管区長粟本昭夫神父である。80歳になる彼は、 東京からレンタカーでドライブしてきて、九州各地の殉教地や教会を巡礼しているのだという、老いても元気な神父である 。その夜は、隣に住んでいる同じくイエズス会員である「内観」の岡俊朗神父を交えて夕食を共にして語り合った。

私は身をかがめて、息子にキスをした。

Novotny, Jerry (OMI) ノボトニー・ジェリー
今日の社会では多くの人々が、中絶後に母親が感じる痛みについて理解する。だが、 男性の中絶後症候群についてはどうだろう?胎児が大きくなるのに伴い、こうした中絶の結果、 痛みに嘆き苦しむ父親が増えるという研究結果がある。最近の研究では、子どもに欠陥や障害がある場合でも、 父親は子どもを守りたいと思うことが分かっている。英語の記事を紹介しよう。「『友人』は、 私が我が子のような口蓋裂の赤ん坊を中絶することに賛成するだろうと思い込んでいたが、彼は完全に間違っている」 My 'Friend' Assumed I'd Be Pro Abortion for Cleft Babies Like Mine & He's Dead Wrong

大企業が臓器の異常取り引きに資本提供

Lloyd-Roberts, Sue ロイド・ロバーツ、スー
ヨーロッパの最も貧しい国で、移植される臓器に対して急増している需要を満たすための、一部イスラエルの保険会社の資金による人体の臓器の掠奪的な取り引きが頻発しています。臓器売買は、中国とイラン以外の全ての国で禁止されています。しかし調査によって売買ルートはヨーロツパで最も貧しい国であるモルドバ共和国からスタートし、トルコを経由してイスラエルで終わることが明らかにされています。

スペインの中絶法は社会の自殺だ

Editorial オピニオン
よほど頭にきているのだろう。法王庁生命アカデミーのイグナシオ・カッラスコ・デ・パウラ新会長はスペインの人工中絶法を批判し、「まったく無能な法」と評したのだ。少々荒っぽい表現だが、新会長の「怒り心頭」といった胸の内が伝わってくる。人工中絶法によると、16歳以上の女性の場合、妊娠14週目まで両親の許可なく中絶ができる。同国カトリック教会は「テロ行為だ」として批判している。新会長が懸念するのは、スペインのリベラルな中絶法が南米諸国にも影響を及ぼすのではないかということだ。ブルゴス教区のフランシスコ・ギル・へリン大司教(Francisco Gill Hellin))は国民に中絶法への抵抗運動を呼びかけているほどだ。

ビリングス・メソッド教本

Billings, John ビリングス・ジョン
女性は排卵が近づいてくると、立った姿勢のときや、体を動かしているとき、膣か ら子宮頸管粘液が出てきます。この粘液は次のようにして膣口で観察できます。

殺戮へのチェンジ

Hirata, Kunio ヒラタ・クニオ
生命尊重を伝える立場に立つ私達は、ブーム的な報道や情報を鵜呑みにすること無く、いつも、最も弱く声を上げることも出来ないちいさないのちを守る立場から、物事を判断し行動して行く必要があると思います。私達全ての者は、その昔「受精卵の時から」母の胎内でしっかりと守り続けられたからこそ、今の自分があることを決して忘れてはならないし、それゆえ感謝の心で次の世代のちいさないのちを守るために働く必要があるのです。

胚の本質について

McManaman, Doug マックマナマン・ダグ
ヒトのいのちが受精の瞬間から始まるのかどうかという疑問は、厳密には哲学的な問題である。だからと言って、よく言われているように、この疑問に対する確固たる答えはなく、胚がヒトかそうでないかは見解の相違に過ぎないという意味ではない。その意図は、この問題が感覚あるいは調査によって解決するものではなく、解決には論理が必要という点にある。発達中の胚の状態について、同じデータを持つ発生学者2人が、2つの相反する結論を導き出す可能性が考えられる。双方でデータが同じなら、その結論の違いは科学的データが原因ではない。むしろ、彼らの見解の不一致は、その論法によるものと言える。にもかかわらず、哲学では、科学に頼ることで、この問題を論理的に解決しようとしている。哲学者は、ヒトの胚に関する科学的データなくして、胚の地位や生命の始まりにおける問題を解消することはできない。