日本 プロライフ ムーブメント

「排除される胚の立場を考える」産婦人科医・久具宏司さんとの対話

「ダイアログフォーライフ」第1回 着床前診断が事実上解禁となった今、誰よりもこの本の著者に会いたいと思った。本のタイトルは『近未来の<子づくり>を考える〜不妊治療のゆくえ』(春秋社)で、その著者が久具宏司(くぐ・こうじ)さん。体外受精の導入期から30年以上の長きにわたって不妊治療に携わってきた産婦人科の医師である。不妊治療(あるいは生殖医療)の現場で個々の患者と向き合ってきた経験と肌感覚が書かせた渾身の書き下ろしである。無自覚に、ただ資本の欲望のままに、坂を転げ落ちるように突き進む社会の未来に警鐘を鳴らす。欲しいときに欲しいこどもを計画的に作り出す「デザイナーベビー」が当たり前になる時代がすぐそこまで来ている。これは本当にわたしたちが望むゆたかな未来の姿なのだろうか?

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難民はただの人間ではない

化学の学生だったブルンジからの難民は、母国での暴力と政治的な迫害を逃れ、ケニアの難民キャンプに行き着きました。 5年前、彼は難民キャンプで石鹸を作り始めました。 多くの人がコロナウイルスとの戦いで主要な武器となった石鹸を探しているので、Covid-19パンデミックは彼のビジネスを後押ししました。ウイルスを遠ざける一つ方法は、頻繁に手を洗うことです。この男性が英国BBC放送局に話しかけた時、彼は「誰もが石鹸を必要としているが、誰もがそれを買う余裕があるわけではない。それで、利益よりも人々を守ることが重要だったので、価格を下げた」と述べました。 さらに、「パンデミックが始まったときの需要を満たすために生産量を75%増やす必要があったので、Covid-19は私のビジネスに適していました。しかし、高齢者などの脆弱な人々に無料の石鹸を与えるようにしました」と話しました。

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なぜ、この世に罪があるのか

この世は罪悪に満ちている。「思い、言葉、行い、怠り」による大小様々の罪のことである。と言えば、「自分は罪を犯したことがない、自分は潔白だ」、と言い張る人がいるかも知れない。しかし、聖書は言う。「もし、わたしたちに罪はないと言うならば、自分自身を欺くことになり、真理はわたしたちの中にありません」(1ヨハネ1,8)。それほどに聖書がこだわる罪とは何なのか、教会の教えの中にその神秘を探してみよう。

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いのちを守るために~原発のない世界を求めて (その2)~

【5.神のことを思わず人間のことを思う】 ここでイエス様のみ言葉に耳を傾けたいと思います。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」(マルコ福音書8章33節)これはイエス様がペトロに向かって言われた叱責です。この叱責の意味することは、人間のことを思ってはいけないというのではなく、忘れてはならない順序があるということに気づくようにということではないでしょうか。神のことを思わず、人間のことを思う、経済優先はいのちを貴ぶか、原発事故から考えさせられることを思い巡らしたいと思います。忘れてはならない順序とは、いのちを大切にするということを第一に置くということです。この思想は、ほとんどの人の共通項でしょう。しかし、「神の存在を全く考えていないか、たとえ神を信じていても、人間は怒りやねたみ、独占欲や支配欲に突き動かされたり、金銭や物に心を奪われてそのとりこになったりする時、神を忘れ、理性を失い、他の人のいのちさえ奪ってしまうことがあります。神なしだと人間は、権力、体力、知能、所有物などの点で自分より劣っていると思う人に対して、そのいのちを自分より軽く見る傾向がある」(社会司教委員会「非暴力による平和への道」13頁より)と言われています。

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循環経済のすすめ

20世紀文明の「負の遺産」ともいうべき環境問題が顕在化するなかで、人類は「持続可能な開発」(Sustainable Development)という概念を見つけました。  この「持続可能な開発」という概念は、1987年にまとめられた「環境と開発に関する世界委員会」の報告で「将来の世代の欲求を充たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発」と定義されました。1992年、リオで開催された「地球サミット」は、この概念を「気候変動枠組条約」「生物多様性条約」「アジェンダ21」などの環境政策に具体化する機会になりました。

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令和5年 長崎平和宣言

 「突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ、道路に叩きつけられました。背中に手を当てると、着ていた物は何もなく、ヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。3年7か月の病院生活、その内の1年9か月は背中一面大火傷のため、うつ伏せのままで死の淵をさまよいました。私の胸は床擦れで骨まで腐りました。今でも胸は深くえぐり取ったようになり、肋骨の間から心臓の動いているのが見えます。」 これは16歳で被爆し、背中に真っ赤な大火傷を負った谷口稜曄さんが語った体験です。 1945年8月9日午前11時2分、長崎の上空で炸裂した1発の原子爆弾により、その年のうちに7万4千人の命が奪われました。生き延びた被爆者も、数年後、数十年後に白血病やがんなどを発症し、放射線の影響による苦しみや不安を今なお抱えています。

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広島市長による平和宣言 令和5年 2023年

78年前の原爆投下の日を、まるで生き地獄のようだったと振り返る当時8歳の被爆者は、「核兵器を保持する国の指導者たちは、広島、長崎の地を訪ね、自らの目で、耳で、被爆の実相を知る努力をしていただきたい。あの日、熱線で灼(や)かれ、瞬時に失われた命、誰からも看取られず、やけどや放射能症で苦しみながら失われていった命。こうして失われた数え切れない多数の人々の命の重さを、この地で感じてもらいたい。」と訴えています。

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「いのちだいじに」—いのちの行進  #4  

『いのちが自然にうまれるところ』が真の科学者べシャンの居場所。 アントワーヌ・べシャンが公式デビューを果たした真夏の「いのちの行進」が終わりました。猛暑の中ご参加いただいたみなさま、ならびにクラウドファンディングにご支援いただいたみなさま、この場を借りて御礼申し上げます。真の科学者としてのべシャンの名誉を回復するための運動は着々と歩みをすすめています。次の「いのちの行進」は助産院から出発します。”いのちが自然に産み落とされる”場所が、わたしたちのマーチの母体になります。助産院には自然に産み落とすためのメソッドがたくさんあります。しかしパスツールを起源とする現代の科学は助産院に蓄えられた知識をすべてエセ科学とみなします。パスツールが目の敵にしたべシャンがもし失脚していなかったら、助産院は科学の殿堂だったでしょう! 

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「涅槃と世界平和」死の渇愛

二つの涅槃  もうすぐ二月十五日、日本の寺では涅槃会が行われる。スリランカなどの上座部仏教では涅槃会と共に降誕会と成道会が同じインド暦第二の月ヴァイサーカ月の十五日に行われている。十五日は満月であり布薩という仏教徒定期集会の日なので、これに合わせて十五日にしたようだ。ヴァイサーカ月は太陽暦の四月から五月頃に当たるが第二の月なので二月と訳された。前にも書いたが、実際の釈尊の入滅は雨安居が明けて三ヵ月の後であり、陰暦十月頃だと思われる。 釈尊が説いた涅槃は現世において到達すべきものであったが、次第に涅槃は死と関連づけられるようになっていった。ジャイナ教などの影響をうけて、生きている間は有余涅槃、死んで無余涅槃といわれるようになったのだ。涅槃は苦の消滅であり、四苦八苦を総称した五つの執着である色受想行識という我執の滅尽を意味する。これが、生きた肉体がある間は未だ完全でないと解釈された。涅槃会というときの涅槃は般涅槃(パリ・ニルヴァーナ)で、完全な涅槃、無余涅槃を意味する。 無余涅槃の前提に有余涅槃があるのだから、単に死ぬことは涅槃ではない。しかし、仏教は自殺を宗教的実践にしたという一部の誤解もある。自殺に関する有名な著作であるデュルケーム『自殺論』には多くの宗教的自殺が挙げられているが、仏教は自殺を禁じたと正しく指摘している。 お釈迦様は集諦で、苦の原因が生殖欲と生存欲と死亡欲等の渇愛であると説かれている。そして滅諦すなわち涅槃は、これらの渇愛の滅尽であり、苦の消滅であり、無執着であると説かれた。従って、生殖にも生存にも執着せず、自殺もしないのが涅槃なのだ。

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いのちを守るために~原発のない世界を求めて(その1)~

【1.はじめに】 「いのちを守るために、原発のない世界を求めて」、このテーマは重いものです。そして重要なものです。私は原子力発電のことを科学的に、技術的に知る者ではありません。それは門外漢です。しかしキリスト者として、人間として生きるためには、これは関心を寄せていかなければならない大切なテーマであると思います。原子力発電というシステムを、今、私たちはどのように考え、理解していけばよいのでしょうか。

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ファティマの聖母とロザリオ

過日、“The True Story of Fatima”(本当のファティマ物語―聖母ご出現の一部始終)という96ページの小冊子がファティマ・センターから送られてきた。ファティマにおける聖母のご出現とそのメッセージについては、若いころ読んだたしか『ファティマの牧童』という本で承知していたが、この本を読んで、今あらためてファティマのメッセージの重要性を生々しく感じた。

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「いのちだいじに」—いのちの行進  #3

3つの「祈りのうちわ」をあおぎながら、きょう「いのちの行進」 きょう、猛暑の中、「いのちの東京銀座大行進」がおこなわれます。みんなが元気で笑顔で歩きつづけられますように。うちわがあれば少しは暑さも凌げるでしょう。10回目のターンに向かう今年のマーチは3種のうちわを用意しました。デモ用プラカードの代わりですが、「祈りのうちわ」です。まず、はじめの祈りはお詫びから。赤ちゃんに「ごめんなさい」を言いましょう。最も小さい者の一人である赤ちゃんのために、いつもわたしたちは「しなかったこと」(マタイ25-45)だらけです。とくに胚の状態にある赤ちゃんのためには「しなかったこと」しかないでしょう。受精して「いのちの光」を放ちながら、棄てられる膨大な数の胚。ひたすら謝らなければなりません。損なわれた霊魂を少しでも救うために。

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「いのちだいじに」ーいのちの行進 #2

どの精子がどの卵子にどの角度から侵入するか−すべては神の御計画 今夜は七夕です。天の川で彦星と織姫が出会うという伝説です。ロマンティックなストーリーはもちろん、子どもたちと”出会いの神秘”について想いめぐらす夜になるといいですね。 彦星と織姫はきっと神に導かれる二人です。出会う場所も神が指定したでしょう。誰か人間のお膳立てによって(マッチング?)成立した二人の出会いだったとしたら、こんな毎年のお祝いにはならなかったでしょう。精子と卵子が結合する受精も、男女のロマンあふれる奇跡的な出会いです。見えない神の手が特定の精子と卵子を選び出し、精子が卵子に侵入する入射角度も強度も神が決められたと思えることは、信者のおめぐみです。昔も今も「いのちは授かりもの」と捉える日本人の感性もクリスチャンの信仰と変わるところはありません。 

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いのちの行進—3つの作戦

日本のマーチフォーライフは、2014年7月13日、小さないのちを守る会の辻岡建象先生のご協力のもと、33名の参加者とともに最初の一歩を踏み出しました。以来毎年7月に、東京の中心街である銀座周辺を歩くデモ行進を欠かすことなく続けてきました。 始まりは世界のマーチの模倣だったかもしれません。しかし年を追うごとに、日本オリジナルのマーチを求めたくなりました。10年目を迎えた2023年、素晴らしい日本語である「いのち」を大事にしたいと思い、名称を「いのちの行進」に改めることにしました。「いのちだいじに」にちなんだ3つの作戦をもって、世界が注目する「いのちの行進」になることを願います。

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アントワーヌ・ベシャンの名誉を回復する運動

歴史から忘却された19世紀のフランスの生理学者アントワーヌ・べシャン。「いのち」の本質に迫ったベシャンが切り拓いた世界観が科学として認められる世の中になることを願うものです。まずはべシャンに関心をもってもらうために7月16日に東京でイベントを開催します。その実施にかかる費用の支援を求めます。

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「いのちだいじに」ーいのちの行進

辻岡健象先生とともに歩み出した「サタンとたたかう」日本のマーチ マーチの7月になりました。小さないのちを守る会の創始者である辻岡健象先生との出会いから、2014年に最初の一歩を踏み出した日本のマーチ。辻岡先生は2019年のマーチに参加された直後から体調を崩され、昨年12月に帰天されました。89歳でした。10周年にあたる今年のマーチは、辻岡先生への追悼から始めましょう。辻岡先生の魂とともに歩きましょう。

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生物多様性と多文化共生

このところ環境問題のほうでは、生物多様性ということがよく言われる。より多くの生物が共生できる環境こそ素晴らしいという考え方に異論はないのだが、この場合、どういうわけか帰化植物や外国からやってきた虫などは嫌われる傾向にある。セイタカアワダチソウや西洋タンポポなどを排除し、日本の古来種を復活させるべきだと、なぜか多様性の観点から説く人々が多いのである。

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「夢の再生医療」生存の渇愛

長寿願望 新年を迎えて、また一つ年をとった。今や日本は世界一の長寿国となり、平均寿命 は八十才を超えた。スウェーデンやイタリアその他の先進国もほぼ同じで、平均寿命 は八十位だ。しかし、地球上にはまだ平均寿命が四十以下の国もある。日本も昔は三 十位だった。日本人の平均寿命が五十才を超えたのは第二次世界大戦後で、主に感染 症などによる死亡が減少したことによる。平均寿命が延びても永遠に生きられる人は 無く、最終的な人の死亡率が百パーセントであることは、今でもお釈迦様の時代と変 わりはない。お釈迦様が説かれた生老病死苦の原因としての生存の渇愛によって、人 は生き延びようとして苦しむ。重要な臓器や組織の機能が喪失したとき、生き延びる ためには新たに臓器組織を手に入れる必要がある。臓器移植や人工臓器に限界が感じ られる中、この願いに答えるために、再生医療の研究が進んでいる。

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「たのしみは・・・」で始まる独楽吟(橘曙覧)

エニアグラムで有名なシスターで文学博士の鈴木秀子氏が「致知」の連載記事「人生を照らす言葉」で紹介されている(2013.5号)のが幕末の歌人で国学者の橘曙覧(あけみ)だ。平成六年に、天皇皇后両陛下が訪米された際、当時のクリントン大統領が歓迎スピーチの締めくくりに「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」を引用して、「日米両国民の友好の心の中に、一日一日新たな日とともに、確実に新しい花が咲くことを期待する」と述べたことで再び脚光を浴びた歌人だ。また、彼の死後明治になって32年、正岡子規は源実朝以後、歌人の名に値するものは橘曙覧ただ一人と絶賛したと言う。その作品に「独楽吟」という歌がある。

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すべてのいのちを守るため

2019年11月にフランシスコ教皇様は「すべてのいのちを守るため」のテーマのもとに訪日されました。テレビ記者にすべてのいのちとは誰のことですか?と問われた時に、教皇様は次の様に説明されています。「命は神から頂いた恵みです。生きている私たち自身も神からの贈物なのです。この恵みに感謝するための一番の方法は全ての命を守ることなのです。

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「死刑」と共に「終身刑」も廃止?

バチカン放送独語電子版をみていると、興味深い記事に出会った。ローマ法王フランシスコが23日バチカンで国際刑事裁判官協会の使節団の表敬訪問を受けたが、その際、法王は「死刑を完全に廃止するだけではない。終身刑も廃止すべきだ。終身刑は死刑の変形に過ぎなく、非人道的だ」と語ったという。

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白か黒か?

怒りは神からのプレゼントです。人間になくてはならないものの一つです。生き延びるためにも体と感情が成長するためにも必要な反応なのです。ほんとうの自分を成長させるために怒りを活用しましょう。上の文章は、リサ・エンゲルハート他著・目黒摩天雄訳『怒りセラピー』( サンパウロ、2012 年 ) という小さな冊子の書き出しである。

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いたるところに聖ジアンナがいる国で

2020年、女優岡江久美子が永眠した。癌の治療中にコロナ死したと報じられた。名女優の突然の悲報に日本中が悲しみに暮れた。彼女は「日本のお母さん」と親しまれる存在だった。 日本語で母親は「お母さん」と呼ばれる。日本人の誰もが思い描くお母さん像を体現する存在が岡江久美子だった。彼女を一躍スターダムに押し上げたのがテレビドラマ「天までとどけ」である。平日昼間の時間帯のシリーズドラマとしては異例の高視聴率を記録したこの人気ドラマで、岡江は13人の子どもを持つお母さん役を演じた。実話をもとに制作されたドラマで決して現代のお伽噺などではない。 大家族の賑やかで平和な日常を描いたドラマが、13人目の妊娠の発覚から急展開する。妊娠と同時にお母さんの難病が発覚し、医師から堕胎をすすめられた家族は苦悩する。すでに高校生や中学生になっている年上の子どもたちは、お母さんに生きてほしいから堕胎してくれるよう懇願する。岡江お母さんはやさしく子どもたちに微笑みかけながら、自分に堕胎する意志がないことを告げる。自分自身と子どもたちを説得したのはこのひとことだった。「最後は神様が決めてくれると思うの」。

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私の「現代環境論」 (10)環境問題と消費者・市民

大量消費・大量廃棄社会への反省から  消費者・市民が環境問題を理解し、その消費生活・行動を変えたとき、市場・経済も変わるのです。 これまで消費者・市民は「消費者は王様」といわれ、メーカーや販売事業者のいわれるままに消費生活・行動を続けてきたのではないでしょうか、 ここにあげているのは、高度経済成長の時代に、ある広告代理店が商品開発・販売のための「戦略10訓」として使ったものだそうですが、消費者の心理を分析してうまく定式化したものといえます。 1 もっと使わせろ  / 2 捨てさせろ 3 無駄遣いさせろ  / 4 季節を忘れさせろ 5 贈り物をさせろ  / 6 組み合わせで買わせろ 7 きっかけを投じろ / 8 流行おくれにさせろ 9 気安く買わせろ  / 10 混乱を作り出せ このようななかで、大量生産・大量流通・大量消費、そして大量廃棄の暮らしが創り出され、その結果、さまざまな環境問題が起きてきたといってもよいのです。

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令和4年 長崎平和宣言

核兵器廃絶を目指す原水爆禁止世界大会が初めて長崎で開かれたのは1956年。このまちに15万人もの死傷者をもたらした原子爆弾の投下から11年後のことです。 被爆者の渡辺千恵子さんが会場に入ると、カメラマンたちが一斉にフラッシュを焚きました。学徒動員先の工場で16歳の時に被爆し、崩れ落ちた鉄骨の下敷きになって以来、下半身不随の渡辺さんがお母さんに抱きかかえられて入ってきたからです。すると、会場から「写真に撮るのはやめろ!」「見世物じゃないぞ!」という声が発せられ、その場は騒然となりました。 その後、演壇に上がった渡辺さんは、澄んだ声でこう言いました。

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私は誰か?~遺伝子に書かれた名前~ 

 皆さん今日は。「服部剛のポエトリーシアター」も2ヶ月目になりますが、最初の1ヶ月も皆さんから興味深いコメントいただき、このブログが僕の描いていた(語らいの場)としてすでに育まれている事をとても嬉しく思います。ところで昨日は、有楽町の映画館へジョージ・ハリスンの伝記映画「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」を見にいきました。アイドル時代のビートルズがやがて成長する中でジョージがインドの宗教に導かれジョン・レノンにも影響を与え、ビートルズ解散後もジョージは音楽伝道師のような独自の道を歩んだのが印象に残りました。その映画を見たせいか?昨日から今日にかけて僕は「自己とは何か?」と心の中で密かに問いかけています。 

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いま、べてるの家について思うこと。

もう数年前になるけれど、東京大学にまだ上野千鶴子先生がいらっしゃった頃、上野先生の企画で「べてるに学ぶ降りてゆく生き方」というシンポジウムが開催された。上野先生は「浦河べてるの家」に何度も通われて、べてるの家の思想……というか、たぶん、べてるという場の持っている価値観に共鳴されていたのだと思う。東大という「昇っていく生き方」の象徴のような場所に、べてるの家の人たちがたくさん呼ばれて、そこでシンポジウムと分科会が行われた。私はその時、パネリストとして参加していた。

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寛容と慈愛が招いた教会の“戸惑い”

世界に12億人以上の信者を有するローマ・カトリック教会は5日から19日、特別世界司教会議(シノドス)を開催し、「福音宣教からみた家庭司牧の挑戦」という標題を掲げ、家庭問題について集中的協議を行い、最終報告書を賛成多数の支持を得て採択した。同報告書は来年10月開催予定の通常シノドスの協議のたたき台となる。

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