日本 プロライフ ムーブメント

この沈黙のまま、未来に顔向けできるのか> ~ワクチン期を通り抜けた日本人の現在地~

コロナワクチンを打つ人は、いまやほとんどいなくなりました。

なぜでしょう。

本当に必要だと考えているのであれば、打ち続けているはずです。

一方で、高齢者などに接種を薦める国の施策は、いまも続いています。

しかし、接種を控えるようになった大多数の国民が、これに異を唱えることもありません。

この不思議な空気感を、どのように捉えるべきでしょうか。

🔹「医学の話」ではなく、「人間の心の話」として言語化してみました。

① 沈黙という自己防衛

自分の判断を否定することは痛みを伴います。

他者の判断を否定することもまた痛みを伴います。

たとえ後悔や不安があったとしても、それを言葉にすることは簡単ではありません。

なぜなら、それは自分自身の判断と向き合うことでもあり、ときに誰かを傷つけることにもなるからです。

だから多くの人は本音を語らず、沈黙という形で自分を守ろうとします。

② 静かに距離を置く社会

ワクチンを積極的に支持するわけでもなく、声高に批判するわけでもありません。

ただ、多くの人が接種からそっと距離を置き始めました。

接種を続けないという行動によって意思を示しながら、その理由については多くを語ろうとしません。

意見をぶつけ合って結論を出すのではなく、空気の変化によって社会の方向が決まっていく。

これは日本人にしばしば見られる集団心理なのでしょう。

「反対」とは言わない。

しかし従わなくなる。

その一方で、「賛成」とも言わず、十分な検証や総括もないまま社会全体が方向転換していく姿は、健全な状態とは言い難いように思えます。

明確な対立もなく、責任の所在も曖昧なまま、いつの間にか社会の空気だけが変わっていくのです。

ワクチンを巡る現在の空気にも、その特徴が色濃く表れているように感じます。

③ 沈黙が最大公約数になった時代

語れば誰かを傷つける。

黙れば波風は立たない。

その結果、沈黙が最も安全な選択肢になりました。

ワクチンを遠ざける空気は確かに広がっているのに、その理由だけが語られません。

多くの人が違和感や不安を抱えながらも、それを共有することなく、それぞれの胸の内にしまい込んでいます。

そして、その沈黙が社会の空気そのものになっているのです。

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🔻ワクチン期を通り抜けた日本は、多くの人が後悔と不安を抱えながら、沈黙という形で自分を守っている“サイレントマジョリティー”の時代に入っています。

あの時期、多くの人が「仕方がなかった」と自分に言い聞かせながら、それぞれの判断を下しました。

その選択を、今になって容易に否定することはできません。

だからこそ、多くの人が沈黙を選び、その沈黙が社会の空気を形づくってきたのです。

しかし、これは過去を責めるための話ではありません。

大切なのは、なぜこうなったのかを振り返り、次の世代に同じ迷いや混乱を残さないことです。

私たちは何を信じ、何を疑い、そして何に従ったのか。

その検証を避けたままでは、同じような状況が再び繰り返されるかもしれません。

そして今、静かに問われています。

この沈黙のまま、次の世代に顔向けできるのか──と。

Katsuhiko  Hashimoto (ハシモト カツヒコ)

橋本 克彦

薬剤師

出典 facebook

写真が原文の箇所にあります

Copyright ©  2026年10月4日

メッセージで掲載許可取得  2026年4月29日