日本 プロライフ ムーブメント

私の「現代環境論」(2) 公害から地球環境問題へ

日本では、環境問題の前に、公害問題がありました。

1950年代から60年代、水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくなど、公害問題が各地で発生しました。

高度経済成長の時代に、工場などから排出された有害物質のために、その周辺の住民の深刻な健康被害が発生したのです。多くの場合、企業の排気、排水などの対策が不十分であったためにおきた問題でした。被害を受けた住民が救済を求めて企業と交渉を重ね、さらには訴訟を通じて救済を求める事例も相継ぎました。

このようななかで、公害対策の整備が課題になり、公害対策基本法(1967)が制定され、さらに、1970年末からの「公害国会」において公害対策関連法がまとめて整備されました。「典型七公害」とされた大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、悪臭、振動、地盤沈下に関わる規制、対策がようやくはじまったのです。

また、これらの問題にあたる環境庁が設置されることになりました。

これによって、あらたな大規模な公害は抑えられるようになったとはいえ、被害者救済には長い道のりが必要だったのです。水俣病の場合をとっても、2004年10月の最高裁判決以後も被害救済をもとめて争いが続いています。

「公害は終わっていない」という認識を持ち続けることが必要です。

1980年代後半から1990年代にかけて、地球環境問題が焦点になりました。地球温暖化、フロンガスによるオゾン層の破壊、酸性雨、海洋・湖沼汚染、熱帯林の減少、砂漠化の進行、野生生物の減少、有害廃棄物の越境移動、途上国の公害問題などをめぐって、あいつぎ国際会議が開催され、情報の共有、問題解決のための国際的な共同の取組みの検討がされるようになりました。

なかでも1992年6月にリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(地球サミット)はターニングポイントになったといえます。この会合には政府代表だけでなく、企業代表、NGOや市民団体の代表があつまり、地球環境問題について意見交換を重ね、「気候変動枠組条約」「生物多様性条約」をはじめ、今日の地球環境問題に関する取組みの基本的な枠組みを作りあげたのです。

この議論のなかで共有されていったのがSustainable Development(持続可能な開発)概念です。これは1987年に環境と開発に関する世界委員会がまとめた報告書で示された概念です。この概念は「持続的な開発とは、将来の世代の欲求を充たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発をいう」と日本語訳されています。

この概念は、今日では2015年に国連が定めたSustainable Development Goals(持続可能な開発目標)として広く活用されています。

地球環境問題は、公害と比べて、発生源が特定できない、被害の広がりが地理的にも、時間的にも大きいという特質があります。なかには企業活動だけでなく、市民の消費生活行動のなかに原因がある問題もあり、対策としても特定の企業の活動を規制するだけでなく、市民の消費行動を変容しなければならないということもでてきます。

いずれにしても20世紀文明の負の遺産としての環境問題を解決しようとする場合、このような認識が必要になるのです。

Tuyoshi Hara
ハラ ツヨシ
原  強
2021期 立命館大学講義テキスト
2021年10月29日複製許可を得る