日本 プロライフ ムーブメント

今を生かされているいのち

生まれたときから、いのちは自分とともにあります。しかし、聖書には「主よ、あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。 わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。」(詩編139:13-14)と記されており、いのちは母の胎内から私たちとともにあるのです。

人々は往々にして、いのちを空気のように、あるのが当たり前と思い、身辺に危険や大きな変化がなければ、その大切さを感じとりません。いのちは物体のように測ることもできない主観的なものですが、私たちは自分から離れて、いのちを客観的に見ることで、その意義の重みが増すことがあり、とても大切です。

現代の世界には人が生きる上での課題が山積しています。そのために国連が打ち出している解決策SDGsには17の目標があり、人権、経済・社会、地球環境、さまざまな分野にまたがった課題に分類されていますが、どれもいのちがあることを前提にしたものです。そのいのちそのものが、まず大切にされねばなりません。

  • 今年の「生命尊重の日」の集いで、京都大学大学院の明和政子教授はこう話されています。

「研究によると、胎児はお母さんの声と見知らぬ女性の声とを区別できるそうです。録音された母親の声を聞かせると、超音波エコーに映った胎児は心拍数を高め、耳をそばだてて聞き入り、口を開けて応答します。見知らぬ女性の声には見られない反応でした。また、一卵性双生児の場合、自分の身体や、母親の子宮の壁に触れるために手を伸ばすときよりも、そばにいる兄弟姉妹にはずっとゆっくりと時間をかけて手を伸ばし、優しくタッチします。このことによって、胎児はごく早い段階から脳が働き、いろいろな情報を得て「学習していること」、「心があること」がわかりました。 胎児がそばにいる人を気遣うことに私は大変感動しました。このような人間らしい心は誰が教え、育んだのでしょう。身体の栄養はお母さんからもらいますが、心は誰が糧を与えるのでしょう。 聖書には、「神は御自分にかたどって人を創造された」、(創世記1・27)さらに「主なる神は(中略)その鼻にいのちの息を吹き入れられた」とあります。(同2・7)

 神が人に吹き入れられた「いのちの息」とは「心」のことです。神さまは、人の心をご自分に似せて造ってくださったので、人間は受精卵や胎児の時から尊い存在なのです。胎児は神さまから心の糧を得て育まれ、生まれてからも、一生涯、優しい神さまに見守られて生きるのです。どの子もみんな神の子です。神さまのご配慮とお世話に信頼することが肝心です。 すべての赤ちゃんが元気に生まれてきますように。」

  • また、いのちが危機にさらされる別の現実があります。現在、40万以上の外国人技能実習生がベトナム、中国、フィリピンなどアジア諸国から来日して、農業、水産業、建設業、製造業、介護職などの80以上の職種で働いています。そこでは、残念ながら少子高齢化の日本で、人手不足をささえる“安価な労働力”となっており、さまざまな人権侵害、人身取引、アジアの女性への管理売春と性的搾取の問題も発生しています。その中の一例に妊娠して中絶か強制帰国を迫られた女性技能実習生のケースがあります。女性は2018年に来日し千葉で技能実習開始まえの講習を受講している最中、妊娠がわかり、管理団体職員から「産むならベトナムに帰国せよ。中絶するなら日本で実習を継続できる。」と言われました。働く仲間とカトリックさいたま教区のシスターにSOSしたところ、緊急一時保護、シェルターの提供と緊急一時支援金による援助を受けることができました。本人の希望は、出産まで働き続けて、出産後も可能であれば仕事を継続したいとのことで、組合・管理団体との交渉で、管理団体は対応の誤りを認め、育児は一時的に母国の親に託し、本人は職場に復帰することが実現したのです。このような成功例はまれです。何よりも目には見えないいのちの存在を身の回りで見落とすことなく、いのちを大切にともに生きるための課題に取り組み、皆で祈りと活動で支え合っていけるよう願っています。

Komiyama,Enko (コミヤマ・エンコ)
小宮山 延子
カトリック東京教区麴町教会
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