今年の「世界平和の日」に向けた教皇フランシスコのメッセージの題は「わたしたちの負い目をゆるしてください、あなたの平和をお与えください」です。教皇は、主の祈りの中で、「イエスは私たちの罪を赦してくださるよう御父に願い求めることから始められますが、すぐに、私たちも負い目のある人を赦します(マタイ6:12参照)という難しい言葉に移られます」。私たちが主の祈りを生きる上で悩むのは、このようなところではないだろうか。 赦すことが容易でないことは承知していますが、主はキリスト者である私たちに、危害を加える者を赦すことによって和解することを期待しておられます。
教皇はメッセージの中で、「他人の過ちを赦し、希望を与えるためには、私たち自身の人生が、神の慈悲を体験した結果として得られる同じ希望で満たされている必要があります。希望は寛大さの中にあふれています。打算がなく、隠れた要求をせず、利益に関心がなく、ただ一つのことだけを目指しています。それは、倒れた人々を立ち上がらせ、傷ついた心を癒し、あらゆる種類の束縛から私たちを解放することです」。こう述べた後、彼は人間の尊厳を回復し、希望を育むための3つの具体的な行動を提案しています。
1 対外債務の免除: “2000年の大聖年に際し聖ヨハネ・パウロ二世教皇が打ち出した、「多くの国々の将来に深刻な脅威となっている累積債務をすべて帳消しにしないまでも、大幅に削減すること」を検討するようにとの呼びかけを再び取り上げたいと思います。エコロジカルな債務を認識することで、富裕国には、あらゆる手を打って、返済の困難な国々の債務を免除するという使命感をもっていただきたいのです。ただしそれを単発の温情措置で終わらせると、新たな融資と債務という悪循環を引き起こす危険があるので、新しい金融制度を同時に構築する必要があります。諸国民の間での連帯と調和を基盤とした、金融界のグローバルな憲章の策定を目指すべきです“。
2 死刑廃止:“受胎から自然死に至るまで(下記に日本プロ・ライフ・ムーブメントからの注釈を記入しました。)、人間のいのちの尊厳の尊重を促進するための、断固とした取り組みを求めます。すべての人が自分のいのちを愛し、将来に希望をもち、自分自身と自分の子どもたちの発展と幸福を望めるようにするためです。事実、人生への希望がなければ、新たないのちを生み出したいという望みが、とくに若い世代の心には芽生えにくいのです。ここではとりわけ、いのちの文化を促進する具体的な行動をあらためて呼びかけたいと思います。あらゆる国で死刑を廃止することです。この刑罰は実際、いのちの不可侵性を損なうだけでなく、ゆるしと再生という人間の希望をも完全に打ち砕くのです”。
3 世界飢餓対策基金:“幾多の戦争に彩られたこの時にあって、若い世代のために、聖パウロ六世とベネディクト十六世を支えに、もう一つのことをためらうことなく訴えます。軍事費のせめて一定の割合を、飢餓撲滅と、持続可能な開発を促して気候変動に立ち向かえるようにするための最貧国での教育活動を支援する、世界基金設立に充ててください。若者たちが思い描く未来を、希望のないものや、愛する家族の流した血に対する復讐で覆われたものにすることになる口実を、一掃する努力が必要です。未来は、過去の過ちを乗り越えて進むための贈り物、平和への新たな道を築くための贈り物です”。
教皇フランシスコは、メッセージの終わりに、「これらの提案を取り上げ、希望の旅に出る者は必ずや、平和という大いに望まれる目標の夜明けを垣間見ることでしょう」と述べています。
平和メッセージに目を通すと、3つの具体的な提案を取り上げることで、私たちの父である神は、「絶望した人々に希望をもたらしたいのだ」ということが分かります。教皇にとって、世界をより美しくするものは希望と優しさであります。これは、2025年の聖年のために発行された「希望はわたしたちを欺くことがありません」(ローマ5:5)と題された教皇の大勅書によく表れているように思います。
人生で直面する試練や困難は私たちに、「これで人生が終わった」と思わせ、私たちは暗いトンネルの中を歩いているように見えます。しかし、このような時こそ希望を抱く時なのです。教皇フランシスコは、「希望は岸辺にある錨のようなもので、私たちの希望は錨のようなものだから、ロープを握っている私たちはそこにいて安全なのです。これは、私自身を含め、すべての人に伝えたいメッセージです: 希望を失うな」と述べています。
私たちは 、主が与えてくださる時のしるしの中に希望を見出すように招かれています。教皇にとって、希望の最初のしるしは、私たちの壊れかけた世界における 「平和への願い 」であります。私たちの住む世界は戦争と暴力によって引き裂かれ、痛みと苦しみを経験し続けている多くの人々が恒久的な平和を切望しています。
私は、「祈りこそが平和をもたらす精神的な武器である」と信じています。これは、スリランカでの民族争いの長い年月の間に私が体験したことです。私たちは毎日、いつの日か祈りが聞き届けられることを願いながら毎日欠かさず、平和のために真剣に祈っていたことを覚えています。そして、銃声と大砲が静まった 2009 年、私たちは 26 年ぶりに平和を体験することができました。 ですから、新年にあたり、希望を失うことなく祈り、平和を促進する活動に時間を費やしましょう。主は必ず貧しい者の叫びに耳を傾けてくださいます。(詩篇34篇)
Bradly Rozairo(ブラッドリー • ロザイロ)
オブレート会前管区長
Copyright ©2025年1月2日
2025年06月29日許可取得
出典 聖母献身宣教会(日本オブレート会 サイト)
*****日本プロライフムーブメントからの注釈*****
引用された日本カトリック中央協議会の文章
https://www.cbcj.catholic.jp/2024/12/26/31202
に『受胎から自然死に至るまで』とある受胎という言葉。
受精と受胎について日本プロ・ライフ・ムーブメントでは区別をするように心がけています。
卵子と精子が融合した時、受精卵が出来その受精卵が卵管を通って子宮に着床することを受胎という。私たちが受胎という言葉を使う時、中絶の問題を意識しているのではないでしょうか?着床しないようにするのだから避妊薬(ピル)、避妊具(子宮内避妊リングIUDやミレーナIUSなど)避妊という言葉を使うのは変ではないですか?もう受精卵になっているので、中絶薬や中絶具と言われるもののはずです。誤った情報を流され、母親が自分の子どもを殺しているのに避妊と勘違いしているのが悲しい。
ここは『受精の瞬間から自然死に至るまで』という言葉が正しい。 (文責:大岡)
今年の「世界平和の日」に向けた教皇フランシスコのメッセージの題は「わたしたちの負い目をゆるしてください、あなたの平和をお与えください」です。教皇は、主の祈りの中で、「イエスは私たちの罪を赦してくださるよう御父に願い求めることから始められますが、すぐに、私たちも負い目のある人を赦します(マタイ6:12参照)という難しい言葉に移られます」。私たちが主の祈りを生きる上で悩むのは、このようなところではないだろうか。
赦すことが容易でないことは承知していますが、主はキリスト者である私たちに、危害を加える者を赦すことによって和解することを期待しておられます。教皇はメッセージの中で、「他人の過ちを赦し、希望を与えるためには、私たち自身の人生が、神の慈悲を体験した結果として得られる同じ希望で満たされている必要があります。希望は寛大さの中にあふれています。打算がなく、隠れた要求をせず、利益に関心がなく、ただ一つのことだけを目指しています。それは、倒れた人々を立ち上がらせ、傷ついた心を癒し、あらゆる種類の束縛から私たちを解放することです」。こう述べた後、彼は人間の尊厳を回復し、希望を育むための3つの具体的な行動を提案しています。1 対外債務の免除: “2000年の大聖年に際し聖ヨハネ・パウロ二世教皇が打ち出した、「多くの国々の将来に深刻な脅威となっている累積債務をすべて帳消しにしないまでも、大幅に削減すること」を検討するようにとの呼びかけを再び取り上げたいと思います。エコロジカルな債務を認識することで、富裕国には、あらゆる手を打って、返済の困難な国々の債務を免除するという使命感をもっていただきたいのです。ただしそれを単発の温情措置で終わらせると、新たな融資と債務という悪循環を引き起こす危険があるので、新しい金融制度を同時に構築する必要があります。諸国民の間での連帯と調和を基盤とした、金融界のグローバルな憲章の策定を目指すべきです“。2 死刑廃止:“受胎から自然死に至るまで(下記に日本プロ・ライフ・ムーブメントからの注釈を記入しました。)、人間のいのちの尊厳の尊重を促進するための、断固とした取り組みを求めます。すべての人が自分のいのちを愛し、将来に希望をもち、自分自身と自分の子どもたちの発展と幸福を望めるようにするためです。事実、人生への希望がなければ、新たないのちを生み出したいという望みが、とくに若い世代の心には芽生えにくいのです。ここではとりわけ、いのちの文化を促進する具体的な行動をあらためて呼びかけたいと思います。あらゆる国で死刑を廃止することです。この刑罰は実際、いのちの不可侵性を損なうだけでなく、ゆるしと再生という人間の希望をも完全に打ち砕くのです”。3 世界飢餓対策基金:“幾多の戦争に彩られたこの時にあって、若い世代のために、聖パウロ六世とベネディクト十六世を支えに、もう一つのことをためらうことなく訴えます。軍事費のせめて一定の割合を、飢餓撲滅と、持続可能な開発を促して気候変動に立ち向かえるようにするための最貧国での教育活動を支援する、世界基金設立に充ててください。若者たちが思い描く未来を、希望のないものや、愛する家族の流した血に対する復讐で覆われたものにすることになる口実を、一掃する努力が必要です。未来は、過去の過ちを乗り越えて進むための贈り物、平和への新たな道を築くための贈り物です”。教皇フランシスコは、メッセージの終わりに、「これらの提案を取り上げ、希望の旅に出る者は必ずや、平和という大いに望まれる目標の夜明けを垣間見ることでしょう」と述べています。平和メッセージに目を通すと、3つの具体的な提案を取り上げることで、私たちの父である神は、「絶望した人々に希望をもたらしたいのだ」ということが分かります。教皇にとって、世界をより美しくするものは希望と優しさであります。これは、2025年の聖年のために発行された「希望はわたしたちを欺くことがありません」(ローマ5:5)と題された教皇の大勅書によく表れているように思います。人生で直面する試練や困難は私たちに、「これで人生が終わった」と思わせ、私たちは暗いトンネルの中を歩いているように見えます。しかし、このような時こそ希望を抱く時なのです。教皇フランシスコは、「希望は岸辺にある錨のようなもので、私たちの希望は錨のようなものだから、ロープを握っている私たちはそこにいて安全なのです。これは、私自身を含め、すべての人に伝えたいメッセージです:
希望を失うな」と述べています。私たちは 、主が与えてくださる時のしるしの中に希望を見出すように招かれています。教皇にとって、希望の最初のしるしは、私たちの壊れかけた世界における
「平和への願い 」であります。私たちの住む世界は戦争と暴力によって引き裂かれ、痛みと苦しみを経験し続けている多くの人々が恒久的な平和を切望しています。私は、「祈りこそが平和をもたらす精神的な武器である」と信じています。これは、スリランカでの民族争いの長い年月の間に私が体験したことです。私たちは毎日、いつの日か祈りが聞き届けられることを願いながら毎日欠かさず、平和のために真剣に祈っていたことを覚えています。そして、銃声と大砲が静まった 2009 年、私たちは 26 年ぶりに平和を体験することができました。 ですから、新年にあたり、希望を失うことなく祈り、平和を促進する活動に時間を費やしましょう。主は必ず貧しい者の叫びに耳を傾けてくださいます。(詩篇34篇) Bradly Rozairo(ブラッドリー • ロザイロ)
オブレート会前管区長Copyright ©2025年1月2日2025年06月29日許可取得
出典 聖母献身宣教会(日本オブレート会 サイト)
*****日本プロライフムーブメントからの注釈*****引用された日本カトリック中央協議会の文章https://www.cbcj.catholic.jp/2024/12/26/31202/に『受胎から自然死に至るまで』とある受胎という言葉。受精と受胎について日本プロ・ライフ・ムーブメントでは区別をするように心がけています。卵子と精子が融合した時、受精卵が出来その受精卵が卵管を通って子宮に着床することを受胎という。私たちが受胎という言葉を使う時、中絶の問題を意識しているのではないでしょうか?着床しないようにするのだから避妊薬(ピル)、避妊具(子宮内避妊リングIUDやミレーナIUSなど)避妊という言葉を使うのは変ではないですか?もう受精卵になっているので、中絶薬や中絶具と言われるもののはずです。誤った情報を流され、母親が自分の子どもを殺しているのに避妊と勘違いしているのが悲しい。ここは『受精の瞬間から自然死に至るまで』という言葉が正しい。 (文責:大岡)