日本 プロライフ ムーブメント

【 愛と束縛 】

「智恵子は東京に空が無いといふ」 有名な『智恵子抄』の一節です。

​私はこれを、45年前の僻地の中学校で、「愛と所有欲、保護と支配、献身と嫉妬が混ざり合った人間の業を描いた文学」として教わりました。

​当時の『智恵子抄』は、「病める妻を支えた夫の純愛物語」として語られることが多かった時代です。

​都会の学校なら、病気の妻を支えた愛の物語、高村光太郎の詩集。とか教えたんじゃないのかな?

​でも、私に智恵子抄を教えてくれた国語の先生は違いました。

​「東京に空がない」とは、福島から出てきた智恵子の”郷愁”ではない。

​才能ある女性芸術家だった智恵子が、結婚後、「光太郎の妻」という役割の中で、自分の空を失っていく物語なのだと。

​創作の自由。自分らしく生きられる場所。芸術家としての居場所。

​そのすべてを奪われた時、人は「空がない」と感じるのかもしれない、と。

​今では、

・智恵子自身も優れた芸術家だったこと

・当時の家父長制や女性の生きづらさ

・「愛」と「支配」の境界に注目が集まるようになりました。

​愛情と独占欲は、とても近い場所にあります。

​「守りたい」は、いつしか「失いたくない」に変わり、「自分だけのものにしたい」へと変質することがある。

​特に、若く才気あふれる妻をめとり、権力差がある関係では。

​そして振り返ると、あの国語の授業は、文学を通して「誰の声が語られ、誰の声が消されているのか」を考える訓練だったのでしょう。

​「智恵子はなぜ壊れていったのか?」という問いを持つ視点を教えてくれたからこそ、今。

​周囲が「年のせい」「気のせい」「我慢しなさい」で片づけてきた痛みや悩みに、「本当にそうですか?」と問い直すことができる。

​性交痛も、更年期も、ヘバーデン結節も、まさにそう。

​「なぜ、この人は痛みを我慢しているのか?」を診える視点を持っている。

​あの頃の国語の授業は、語られない側の視点を持つ力を育ててくれたのかもしれません。

​ね、僻地の中学、侮れないでしょ。

Tominaga Kiyo(トミナガ キヨ)

富永喜代

松山市 富永ペインクリニック院長

出典 facebook

Copyright ©  2026年6月17日

ネット上の全ての記事をメッセンジャーで掲載許可取得  2026年6月18日