日本 プロライフ ムーブメント

教皇フランシスコの平和メッセージを読んで感じたこと

今年の「世界平和の日」に向けた教皇フランシスコのメッセージの題は「わたしたちの負い目をゆるしてください、あなたの平和をお与えください」です。教皇は、主の祈りの中で、「イエスは私たちの罪を赦してくださるよう御父に願い求めることから始められますが、すぐに、私たちも負い目のある人を赦します(マタイ6:12参照)という難しい言葉に移られます」。私たちが主の祈りを生きる上で悩むのは、このようなところではないだろうか。 赦すことが容易でないことは承知していますが、主はキリスト者である私たちに、危害を加える者を赦すことによって和解することを期待しておられます。

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全身が響くようなことば、心から思うことば

今回の震災で負った心の傷を緩和するために、どういうことばが適切か。政府や多くの企業が選んだことばは、「がんばれ」だった。崩れたものをどうにか元の形に戻し、全身から抜けた力を集めるためには、確かに、震災直後は有効だったかもしれない。だが、3ヵ月を経た現在では、空しく響くだけである。何をがんばればいいのか…。

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【ほんのさわり】中野幸次『清貧の思想』

-中野幸次『清貧の思想』(1996年11月、文春文庫)- https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167523039 【ポイント】 著者は、「消費者」とは「人間侮蔑的な言葉」であるとし、「何が必要であって何が必要でないかを検討し社会の仕組み全体を変えねばならぬ時に来ている」としています。

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教会に戦争責任を問えるか

カトリック教会にいわゆる昭和戦争の責任を問えるか? 答えは否である。教会はあくまで宗教団体であって、政治団体ではないからである。「国権の発動」である戦争の全責任は国家権力にしかあり得ない。教会は戦争に協力するよう強要された被害者である。 しかし、教会の中には『カトリック教会の戦争責任』という本を書いた司祭がおり、当時の教会指導者の戦争責任を追及する者がいたりするのはなぜか。政治共同体と教会とを混同し、政教分離の大原則を知らないばかりか、当時の教会が置かれた社会的、政治的情勢を知らないからであろう。第2バチカン公会議は、「政治共同体と教会は、それぞれの分野において、互いに自主独立である」(現代世界憲章76)と教えており、古来、霊的共同体である教会は政治共同体から区別され、常に政治権力の支配下にあってプラス・マイナス両面の影響を強く受けてきたのである。

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シェルドレイクの仮説から「祈り」を検証

 北欧スウェ―デンに住む一人の修道女が語った言葉が心に響いた。彼女は「私の日々はここで神の前に祈りを捧げることです。少しでも世界が良くなり、平和が実現できますように祈ります。これが私の仕事です」と述べていた。下界との接触は最小限に止め、ほとんどの時間を祈りや瞑想に費やすというのだ。

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人はなぜ等しく尊いのか? 優生思想に対する私のキリスト教からの解答

人はなぜ等しく尊いのか? 愛で正義で全知全能の神様が、神と人、人と人とが互いに愛し合うために、ご自身のかたちに似せてお創りになったからだ。クリスチャンとしてそれを信じるから、生まれてから今までしてきた良いこと悪いことの総和、財産、役に立ったかどうかに関係なく、尊いと断言できる。 イエス・キリストが良い人にも悪い人にも雨を降らせ恵みを施す神様の愛を教え、自らも生き様で実践し、最後には十字架で自分の命を与えてまで、神の愛の何たるかを見せてくださり、復活された。だからこそ、人はそこまでして愛する価値のある存在だと言える。どんな人でも、愛される価値がある。

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壊れた世界で感じる基本的な恐れ

日本の人口の約38%が60歳以上であると推定されています。70歳以上の人々は全体の22.2%を占めています。さらに、日本には100歳以上の高齢者が過去最多で95,119人います。この数字は2050年までに44万人に達すると予測されています。また、世界的に見ると、65歳以上の人口は2050年には16億人に達する見込みです。要するに、高齢化は不可逆的な世界的傾向なのです。中でも、80歳以上の人の数はさらに急速に増えています。私自身も今年85歳になります。 私たちの世代に共通する根本的な欲求は何でしょうか?簡単に言えば、年を取るほど、「老後」はもっと先にあると考えるようになります。私たちの基本的な恐れは「死ぬこと」です。 つまり、私たちは皆、できるだけ長く生きたいのです。だからこそ、健康に気を配り、危険を避けることが重要なのです。新聞で90歳や100歳を祝う人々の記事を読むと、私たちは嬉しくなります。彼らの健康で長寿の秘訣を知りたいのです。死をできるだけ先延ばしにしたいのです。

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「合理的配慮」義務化(3)

III 『合理的配慮』には対話が重要です!  P.13〜P.19 ● 合理的配慮の提供に当たっては、社会的なバリアを取り除くために必要な対応について、障害のある人と事業者等が対話を重ね、共に解決策を検討していくことが重要です。このような双方のやり取りを「建設的対話」と言います。 ● 障害のある人からの申出への対応が難しい場合でも、障害のある人と事業者等の双方が持っている情報や意見を伝え合い、建設的対話に努めることで、目的に応じて代わりの手段を見つけていくことができます。

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ペンテコステと「聖霊」と「私たち」

 6月8日はペンテコステの日だ。キリスト教の祝祭日だ。ギリシャ語で「50番目」という意味がある。通称、「聖霊降臨祭」とか「五旬節」と呼ばれる。  ところで、新約聖書「使徒行伝」第2章には聖霊降臨(ペンテコステ)の様子が記述されている。イエスは十字架後、復活し、40日間、ばらばらになった弟子たちを探し出し、福音を伝えた後、昇天。その10日後、激しい風のような音がすると、聖霊が天からイエスの弟子たちのうえに降臨する。

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「水無月と溺水」

水難   六月は水無月、その語源は諸説あるが「水の月」が最もらしい。水は、一方では全ての生き物の喉の渇きを潤し、渇愛を滅盡する仏の智慧の譬喩にも用いられる。他方、大津波のように大災害をもたらすこともある。水の利益に関して前に書いたので、今回は水の災難について話題にしよう。七難という場合、経典によって七つの難に違いがあるが、水難は説かれることが多い代表格だ。法華経普門品では水難について「若為大水所漂」、その偈文では「或漂流巨海」とあり、大水および海水による溺水の災難を取り上げている。旧暦六月は真夏であり、海水浴などで水の事故も多い。「波浪不能沒」とする観音菩薩のように人々を溺水から救うには、私達はどうすれば良いだろうか。溺水に関する知識を持つことから始める必要がある。

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聖霊と教会の時代の到来

主の復活祭(今年は4月5日)から聖霊降臨の主日(今年は5月24日)までの50日間は、「復活節」と称して、「一つの祝日」として、また、より適切には「大いなる主日」として、主の復活とその実りについて、歓喜に満ちて祝われる。 しかし今回は、典礼季節としてばかりでなく、救済史という歴史的な観点から、聖霊降臨の出来事が何であったかを考えてみたい。それは、人となった神の子キリストによる人類救済の大事業が完了して、救済史の次の段階、すなわち「聖霊と教会の時代」の到来を意味するのではないか、ということである。

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アナバプテスト運動500周年を迎えて

アナバステスト運動をご存じだろうか。幼児洗礼を拒否し、成人になってからの意識的な洗礼を重視することで再洗礼派と呼ばれ、絶対平等の社会と財産の共有などを主張する。この運動はプロテスタント思想とキリスト教共同体の発展に強い影響を与えた。 【原文には、イタリア通信ANSAからのコンクラーベ参加有資格者の135人の枢機卿の顔写真あり】

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