日本 プロライフ ムーブメント

生命に特許はいらない!キャンペーン

 

カナダの大規模農夫であるシュマイザー氏は遺伝子組み換えでない菜種を蒔いた。知らないうちに遺伝子組み換え菜種に変わった。近くの農場の遺伝子組み換え菜種の花粉が(風によって?)飛ばされてきてシュマイザー氏の菜種を汚染したという事だろう。

法律は誰のためか?

カナダの大規模農夫であるシュマイザー氏は遺伝子組み換えでない菜種を蒔いた。知らないうちに遺伝子組み換え菜種に変わった。近くの農場の遺伝子組み換え菜種の花粉が(風によって?)飛ばされてきてシュマイザー氏の菜種を汚染したという事だろう。 

これでシュマイザー氏が遺伝子組み換え菜種を作成する事になった。作成するつもりはなかったけど。(作りたくなかった。)遺伝子組み換え菜種の種子はモンサント社が特許を所有しているので作成するには当社に使用料を払う必要があるが、彼は勿論払わなかった。  

法律上ではシュマイザー氏がモンサント社の製品を盗んだという事でモンサント社は彼を訴えて最高裁判所で勝った。モンサント社の製品がシュマイザー氏の菜種を勝手に汚染したのに加害者が勝ち被害者は負けた。カナダの特許法は加害者の味方だった。 

この事件を考えたら神学校の先生の話を思い出す。「法律が守るのは(小さな)人々ではなく、(金持ちの)資産だと。」又ショーン・マクドナー氏の Patenting Life? Stop! に書いてある文章も思い出す。それはアメリカの法律は元々は金持ちも貧しい人々も平等にしていたが、19世紀までに農家、働く人々、消費者などを犠牲にして商人や企業家の都合がいいように作り替えられた。というのはアメリカの法律はすべての住民を平等に扱わない。小さな人々よりビジネスの人々を大事にする。 

法律は正義や平等の社会を促進するはずだ。金持ちや強い人々の権利だけでなく、貧しい人々や弱い人々の権利も守らなければならない。貧しい人々や弱い人々にも人間らしい生活する権利がある。しかし、今の法律は守っているとは言えない。(法律を作るのは誰だ?政治家や官僚。政治家を選ぶのは私たちだから私たちにも貧富の差の為の責任がある。) 

ビル・ゲーツ氏は大金持ちだ。法律上で悪い事をしないで金持ちになった。しかし、生活に必要以上お金を集めている。というのはそのお金を必要としている貧しい人々から取っている(奪っている)事になる。法律はゲーツ氏のお金を集める権利を守るが、お金のない人々の生活する権利を守らない。私たちはこの状況(貧富の差)を当然と思っているならば、私たちの考えはおかしいという事だ。 

特許はどう考えたらいいだろうか。法律では人が新しい物を発明して、それに特許を取って儲ければそのお金は全部発明者の物だ。好きにしていい。しかし本当の意味では他の人々に対しての責任はない事はない。お金や所有物に対して絶対的な所有権はないはずだ。 

私が思うのは例え私が物を発明してそれに特許を取って使用料を貰う事によって金持ちになるとしても私の持っているお金の全部は本当の意味で私のお金ではない。どういう事かというと、物を発明するのに使用した知識、能力、学力、才能などはすべていただいた物だ。親からもらった物も、教育制度からいただいた物も、国の文化からいただいた物も利用して物を発明したのだ。 

4世紀の聖バジルがよく言った。「棚の上のパンはお腹がすいた人の物だ。押し入れにある着ないコートはコートのない人の物だ。下駄箱にある履かない靴は靴のない人の物だ。あなたの貯金は貧しい人の物だ。」又4世紀の聖ジョン・クリソストムの言葉:「あなたはどうして金持ちになったのか。誰から貰ったのか。その人は誰から貰ったのか。お父さん又はお祖父さんからだろう。不正を行わないでそのお金を手に入れただろうか。」 

特許制度は正義と平等の社会を促進するだろうか。そうでないならば考え直す必要があると思う。 

モンサントのGM大豆技術特許を取り消し

欧州特許庁(EPO)が2007年5月、モンサント社が所有する遺伝子組み換え(GM)大豆特許を取り消した。EPOは1994年にこの技術の特許を承認したが、この発明には’新規性’がないというシンジェンタ社とカナダの環境団体・ETCの訴えを受け入れた。 

この決定について伝えるネイチャー・ニュースは、この技術は導入される特定の遺伝子に言及する事なくあらゆる種類のGM大豆の作出の方法を述べるもので、その特許承認は、モンサント社が世界のGM大豆市場で支配的地位を築くのに貢献した、従って、シンジェンタをはじめとする多くのバイテク種子企業は、この特許が、事実上、モンサントに対してすべてのGM大豆の支配権を与えるものと提訴、この特許取り消しを求めて13年間戦ってきたと説明する。 

又2007年にアメリカでモンサント社の特許は4つも取り消された。 http://www.juno.dti.ne.jp/~tkitaba/gmo/news/07050701.htm 
http://www.pubpat.org/monsantovfarmers.htm 
Greenpeace Japanは「モンサント社7つの大罪」日本語を版完成した: http://www.greenpeace.or.jp/campaign/gm/

ヒトはいつから「人」になるのだろう。

カトリック教会の答えは「受精した瞬間から」だ。わが国では、文部科学省が定めた指針で、受精卵は「人の生命の萌芽」と曖昧な身分に定義されている。 盛永審一郎氏(富山大教授)朝日新聞2008年2月20日「私の視点」 

遺伝子組換えイネ野外裁判実験差止め訴訟

現在、遺伝子組換えイネ野外裁判実験差止め訴訟の原告代理人として行政相手の訴訟担当をなさっている東京弁護会の柳原敏夫氏のお話しを纏めてみました。 

遺伝子組換えイネの実験の開発側は、地元の市民達が自分たちの実験の事をどれだけ不安に思っているのか、風評被害をどれだけ憂慮しているのか、切迫した不安感を持っている事を正しく認識しておらず取り敢えず、国が要求する地元住民への説明会を最低限こなしておけば良い、専門的な事は自分達専門家に任せておけば良い、市民は黙って信頼すれば良い、と。市民に科学的に説明し、払拭する必要を開発側は根本的には感じていなかったのです。 

先ず、この<遺伝子組換え実験>ですが元々<カラシナ>という植物が病気に強いのはディフェンシンという蛋白質を作っているからだと言う事が判り、開発側はこの抗菌蛋白質を作る事ができる<カラシナ>の遺伝子を取り出してイネのDNAに組み込み、更に常時大量にこの抗菌蛋白質(ディフェンシン)を作れる様に改造したらきっと病気に強いイネが出来るに違いない、と考えました。今迄農薬を使っていたイモチ病や白葉枯病などイネの病気を農薬を使わずに、丈夫なイネが出来るのではないかと言う事から研究が始まったのです。先ず、屋内での実験がそれなりに首尾よくいったと言う事で実用化に向け、屋外での実験をしようと国に許可を申請し、2005年春から新潟県上越市の田んぼの真ん中にある「北陸研究センター」で実験が始まる事になったのです。 

新潟の住民の方達は一体、どんな遺伝子組換えイネの野外実験が行われるのかさっぱり分からないので説明を聞く為に参加したのですが、これが裁判になるなんて夢にも思っていませんでした。ただ、分からないから聴きに行きました。 

それが今回の原告になっている独立行政法人 農薬・食品産業技術総合研究機構(最近まで農水省の研究機関でしたが独立行政法人になりました、実質的には国と同様の研究機関です)の説明内容が住民の疑問等に答えられず却って不信や不安、不満を芽生えさせてしまったのです。  

その後繰り返された質疑でも払拭出来ずとうとう住民としては真実を知る為に裁判とういう選択肢しかなかったのです。 <遺伝子組換えイネ野外栽培実験差止め訴訟>で一番懸念されているのがディフェンシン(抗菌ペプチド=抗菌蛋白質)の耐性菌です。そもそも人も含めて全ての動植物はディフェンシンという殺菌作用を持つ蛋白質を持っています。 

病原菌から身を守る生体防御の最初の防壁(皮膚、粘液層、細胞層)で殺菌の働きをするもので感染予防の第一線で大きな役割を果たしている蛋白質だという事。でも、このディフェンシンに対する耐性菌が出現すれば人類にとって大きな脅威となる可能性がある事が分かってきました。 

今回、遺伝子組換えイネでカラシナディフェンシンを常時大量に作り出すという人口的な装置を作る事によって、カラシナディフェンシンがイネから周りにいる病原菌に常時大量に散布され続けるとほとんどの病原菌は死ぬのですが、その中には突然変異を起こしディフェンシンに死なない菌が出てくるようになります。 耐性菌です。 

この場合、耐性菌というのはカラシナディフェンシンに対して死なないという意味です。が、問題は耐性菌には更に<交差耐性>という作用がある事です。 

他の動植物が作り出すディフェンシンに対しても(勿論、人間も)死なない様な構造を持った耐性菌が出てくる可能性があるのです。そうなると様々な生物がこの耐性菌によって容易に最初の防衛線を突破されて病気に罹りやすくなり、自然界の非常な猛威となる耐性菌です。この危険性=交差耐性の問題には私共も気がつかず単にイネの病原菌の問題として考えていました。たまたま微生物の研究者の方から指摘、問題提起され初めてすごく大変な事ではないかと。これは人類と生態系全体に関わる極めて危険性を帯びた問題だと。 

この問題は開発側も知りませんでした。我々の指摘で理解するに至ったようです。にも拘わらずもし、そういった問題が起きるのであれば既にカラシナ畑で起きているし、そういった異常は起きていないのだから心配ない、空想科学的な危惧に過ぎない、と我々の指摘を一蹴しました。開発側のその態度には多くの科学者、研究者達が不信と不安感を拡大し結果的に専門家、研究者達が私達の裁判に一緒に協力して頂ける事になったのです。 

今回二つの裁判があり、仮処分と本案裁判で今、本案裁判が継続中です。仮処分事件は2年前で一審裁判所は仮処分の申し立て自体は却下しましたが、ディフェンシン耐性菌問題に関してはこれが極めて重要な問題である事を理解し、開発側に対し引き続き住民への情報公開を強く求めて、それを条件として実験の継続を許可しました。 

そこで私達はすぐに開発側にディフェンシン耐性菌の発生状態についての情報公開を求めた訳ですが、これに対して開発側は「ディフェンシン耐性菌の発生は今回の実験の目的ではないので調査をする予定はない」という三行半の回答をしてきました。 

確かに開発側の本来の実験目的がディフェンシン耐性菌の検証ではないのはその通りです。が、安全性を無視した実験が出来ない事も開発側は重々承知している筈です。 

それなのに、「実験の目的ではないので調査する予定はない」という姿勢にまたしても唖然としました。しかも耐性菌の発生が無いようにその調査をきちんとする様に、と裁判所から命じられたにも拘わらずこの命令を無視する態度でした。住民からの情報公開の質問に対し開発側が送りつけてきた回答書の中には「こんなもん書いて回答しておけ」等、内輪の生々しいコメントがなぐり書きされた下書きが間違ってそのまま、表向きの丁重な回答文と一緒に送られてきました。住民の皆さんは驚くと同じに計らずも国側(独立行政法人)の情報公開に対する姿勢がどうゆうものかを学ぶ貴重な機会となりました。 

結果、この裁判をする事によって住民の不安、不信は少しも解消されずむしろどんどん大きくなっていったのです。ただ、少なくとも、遺伝子組換えイネの実験というものがどのように行われていて国側(独立行政法人)が実際にどのような考えで実験をしているのかという事実を具体的に知る事が出来たのは大変有意義でした。知る事は力です。今後も遺伝子組換え技術は住民自身が実際に何が行われているのか、しっかり監視の目を強めて認識し、きちんと問題点を把握していかないと取り返しのつかない問題が生じるという事を今回の裁判を通じ教訓として学びました。 

McCartin, Paul (マッカーティン・ポ-ル) 
随時ニュースレター 2008年6月 
Copyright ©2008.7.22許可を得て複製