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家庭本来の機能回復が急務

このところ、メディアは連日、朝から晩まで自殺や殺人のニュースやその続報でもちきりである。聖書を見れば、 殺人は世の初めからあったもので珍しくもないが、文明開化の現代においてもなくならないのがむしろ問題である。 直接の理由はいろいろあると思われるが、その背景に何があるのか。 

中央公論7月号の「時評2009」で、 内田樹氏は若者の自殺者急増に関連してデュルケームの自殺論を取り上げ、自殺に関連する要素として気温と宗教と共に「 家族」をあげている。「もう一つの要素は家族構成である。既婚者は独身者より、大家族は核家族よりも自殺率が低い」 と述べ、「この抑止作用は、家族が密であればあるほど、 つまり家族がたくさんの成員をふくんでいればいるほど完璧なものになる」(エミール・デュルケーム『自殺論』) を引用して、「共同体への帰属の深度が自殺に強く関与するというデュルケームの知見は重く受け止めなくてはならない」 と断じている。 

同じ中央公論は「特集・ネット時代の罪と罰」の中で、「秋葉原通り魔事件と三万人の自殺者」、「家族の中の孤独–親殺し事件を考える」などの論考を掲載しているが、 両論とも殺人や自殺の背景に家族共同体の問題があることを指摘している。たとえば、 秋葉原事件について論者の高山文彦氏は「それでも私が加藤 (智大)の犯罪を中上(健次)にならって解釈するなら、やはり核心は母親であろう」と述べ、 母親から虐待されたことや無視されたことへの恨みについて指摘している。また、親殺しに事件を取り上げた芦沢俊介氏は 、「親殺しの頻発に、家族の中の孤独という状態が深まっていることが推測される」と結論付けている。 

要するに、理論的にも実際にも、自殺や殺人事件の背景には、崩壊家族から来る「孤独」ないし「孤立」 した人間関係が見えてくるのである。そして、もしも彼らの生い立ちに健全な家族関係があったなら、 その多くは犯罪や自殺に走ることはなかったであろうと推測されるのである。 

もともと家庭には家族愛の交わりによる濃密は人間関係が醸成される。何よりもまず、「 人格全体をかけて全人的に自己を与える」愛の誓約によって成立する「愛といのちの親密な共同体」としての夫婦の「 人格的な交わりと一致」がある。そして、この夫婦愛の実りとしての子供が生れ、 肉親の深い愛の絆に結ばれた親子関係と兄弟姉妹関係が生じる。従って、 普通の家庭には孤独や疎外は一切生じる理由がない。 

そのうえ、家庭は社会の活きた細胞であって、それは、まさに社会を活かす細胞であり、 社会の健全性を図るバロメーターでもあると言われる。従って、家庭が健全であれば社会も健全であり、 家庭が崩壊すれば社会も崩壊するのである。少し長くなるが、 教会の公文書から家庭と社会の関係を示す教えを次に引用したい。 

「万物の創造主は、結婚生活を人間社会の始まりとされ、基礎とされたので、家庭は、社会の生きた細胞です。 家庭は生命的にも組織的にも社会とつながりを持っています。なぜなら家庭は、社会の基盤であり、 生命に奉仕する役割を通して常に社会を育てているからです。市民が生まれるのは家庭からであり、社会の存在と 発展に活力を与える原理である社会的徳性(公共心)の最初の学校は家庭です。このように、家庭は閉鎖的であるどころか 、その本質と使命に基づいて、他の家庭や社会に開かれていく社会的役割を果たすのです」(教皇ヨハネ・ パウロ2世使徒的勧告『家庭–愛といのちのきずな』n.42)。 

今日のわが国の世相を見れば、家庭の本質と使命について十分の関心と配慮がなされているとは言い難い。それよりは、 自分本位の利己的な個人主義が横行する中、結婚と家庭が軽視されて単身志向がもてはやされ、 未婚の母や離婚が容認されるばかりかしばしば賞賛される。加えて、夫婦共稼ぎが通常化して家庭生活が犠牲とされ、 果ては家族の交わりを通して行われる子供の家庭教育もおろそかになる。他方、 国の労働政策の不備から結婚したくてもできないような就職難や非正規社員の増加など、 国民生活の基本である仕事と家庭が新自由主義や市場原理主義の犠牲となっている。 

誰も人殺しや自殺を考えない健全で潤いのある社会を築くためにも、 家庭の機能回復は今や急務であると言わなければならない。

Itonaga, Shinnichi (イトナガ ・ シンイチ)
出典 糸永真一司教のカトリック時評
2009年7月1日掲載
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