日本 プロライフ ムーブメント

癒しの医療

医師にとって大切なことは治しの技術と癒しの心である。そして著しい医学の進歩のため、医学生、研修医、 医師の多くは最新の医療技術の習得に時間を取られ、その陰に隠れた癒しの心がおろそかになっている。

これは医療に限られたことではない。日本人全体が相手を思う気持ち、いたわる気持ちが希薄になっている。 癒しという人間にとって最も基本的な心が失われている。   現在、老人医療費は国民医療費の3割を占め、将来は6割になると予測されている。 しかしこの現象は人口構造の高齢化が原因であり、むしろ長寿社会の健全な姿といえる。その証拠に、 老人と若者の1日当たりの入院費、外来費はほぼ同じである。医療費高騰は老人の割合が増えただけのことであるが、 政府は故意にそれを説明せずに不安だけを煽っている。

このように老人医療費が問題になっているが、老人医療費よりも大切なことがある。 それは老人の心をどのように支えるかである。病気には治る病気と治らない病気がある。また老人には精神的、 肉体的衰えがある。それでいて老人の心を支える家族、隣人、社会の情は希薄になっている。老人は狭い部屋で死を考え、 旅立つ孤独感、そして精神的支えのない寂しさに耐えている。 このような老人にとって医療の輝かしい進歩などは関係がない。むしろ昔の貧しい医療のほうが情に満ちていた。 老人をいたわり尊敬し、不幸に対する涙の量とその内容が違っていた。

加齢による衰えは医学では治らない。また小手先の経済的手法では患者の心を癒すことはできない。 感謝の気持ちを忘れた人間が、人間としての情を破壊し、相手の気持ちを考えない社会を導いたのである。社会的孤立感、 個人的孤立感、多くの老人たちはこれらに耐えている。

これからの医療は何を目指すべきであろうか。まず医学、経済主義の思い上がりを反省すべきである。 そして患者を友人として、あるいは老人を先輩として、社会全体が患者の心に寄り添う医療が必要である。 現在の医療はあまりに低額な統制医療に縛られ、温かい医療を提供する余裕すら持てないでいる。 医療サービスは単に病院の生き残手段となり、心から患者をいたわる行為は病院経営をむしろ悪化させている。

患者さんを患者様と呼ぶことが、悪性インフルエンザのごとく流行していたが、 この名称の変更に何の意味があったのだろうか。慇懃無礼な善意を装った医療、 この言葉が医療人と患者の心と心の距離を遠くにしてしまっていた。

医療側だけではなく、受診側にも問題がある。医療に対する感謝の気持ちが少なく、患者のために夜間救急を行えば、 患者はコンビニの延長と考える。そして不都合がおきると医療側を敵視しようとする。

医療を受ける側も、医療を提供する側も、同じ人間であることを忘れている。 医療行為が良い結果をもたらすとは限らないが、結果が悪ければ医療側の責任を追及する傾向がまだ強い。 また人間の行為には、ある程度のミスはつきものである。 それをお互いが人間の行為として許せるかどうかの良識に欠けていたことに気づかずにいた。

日本では 1年間に約100万人が死亡し、約30万人が癌で命を奪われているのが現実である。 もし宣伝どおりに早期癌の発見が早期治療になるならば、日本人の3分 1が癌で死ぬはずはない。必要なことは癌から逃れられないという人間の宿命を知ることである。 本屋に並ぶ癌に関する本は、癌の克服ストーリばかりであるが、実際には人間は癌で死ぬのである。 人間の運命に逆らうような宣伝が、間違った死生観、間違った医療観を生んでいる。治らない病気の克服ストーリが、 多くの悲劇を生んでいる。

病気における説明と同意は簡単である。難しいのは、死に至る患者の心の癒しかたである。 そのためには患者を人間という同じ運命を背負った友人として心を通じ合わせることである。同じ人間として、患者を友達 、同僚、仲間と感じるかどうかである。

「死んだらどうなるのですか。」この患者の切実な質問に、宗教を持たない私たち医療人はどのように答えるだろうか。 もちろん正解はないが、この患者の孤独感に対し、「死んだらどうなるかわかりませんが、少し待っていてくれたら、 私も行きますから、そこで一緒になれますよ」、「その時に話しましょうよ」このように答える医師は少ないであろう。

医療人にとって大切なことは、患者の心をいたわる気持ち、癒しかたである。

治らない病気や障害、死を見取る医療、これらに必要なことは癒しの医療である。「患者の気持ちを大切に」 の文語は当然である。しかし患者の気持ちを知らなければ、それを支える気持ちが見当はずれになる。

Suzuki, Atsushi (スズキ・アツシ)
鈴木 厚(内科医師)
出典 平成医新 Doctors Blog 医師が発信するブログサイト
Copyright ©2012年3月6日掲載 
2014.2.26.許可を得て複製 

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