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少子化論の現状とその盲点

少子高齢化が叫ばれて久しい。そして、高齢化対策ばかりでなく、少子化対策についても多くが語られ、 その対策も国や民間によって数々進められてきたが、いまだにその成果は上がってはいないようだ。 

過日、松田茂樹著『少子化論ーーなぜまだ結婚、出産しやすい国にならないのか』(勁草書房)を読んだ。「通説を見直し 、わが国の少子化とその対策を総合的に論じる」ことにしたと言うだけあって、 ここ20年来行われてきた少子化論や対策をきめ細かく検証し評価して、これからの少子化対策のあり方を明らかにした点 、大いに参考になった。 

この本によれば、「少子化とは、出生率が人口置換水準ーー日本の場合は2・07ーーを長期間下回り、 低迷することである」。そして、「少子化論とは、少子化問題に取り組む研究者等によってつくられた、 少子化の現状や要因に対する理論のまとまりを指す」としたうえで、著者は、 これまでの少子化対策は既婚女子への子育て支援に集約されてきたが、「わが国の少子化の主要因は未婚化であり」、「 未婚化の主要因は雇用の劣化である」と断じている。つまり、結婚適齢期にある「若年層において非正規雇用者が増え、 正規雇用者も以前より収入が低下したことーー雇用の劣化ーーである」という。 

だから、少子化対策の第一は、若いものが職について適正賃金を得、こうして望むときに自由に結婚して家庭を築き、 子育てに取り組めるようにすることであるという主張は正当なものと言える。しかし、そのためには、 単に経済成長を図るだけではなく、むしろ、現在の産業・経済構造を抜本的に改革して、若者をはじめ、 すべての労働者が働いて、公平な労働配分にあずかる社会を造る必要がある。 世界第二位の経済大国を誇るわが国におカネが不足しているのではなく、 新自由主義に基づく不公平な富の偏りによって大量の貧困層が形成されているからである。この実状は、 人格の尊厳とその基本的人権に反するものであり、その是正は急務である。 

松田氏の少子化論において、もう一つ注目したことは、未婚化の一因として、「結婚の仕方が“見あい婚”から“恋愛婚” に変化したことを念頭に置く必要がある」とした点である。 つまり自分ひとりで結婚の相手を探すことはますます困難になっており、 そのために多くの男女が結婚をあきらめているのではないかと思われる。だから、 両親をはじめ周りの者たちが配偶者探しを手伝い、さらに子育てにも手を貸す必要が求められている。 

ところで、以上のような少子化論を読んで、ひとつだけ不思議に思ったことがある。それは、“性教育” について言及がなかったことである。つまり、「結婚と子育て」 の本当の意味と目的についての言及がなかったと言ってもよい。この欠如が、多くの少子化論の盲点ではないかと思う。 残念ながら、わが国の公立学校で行われている性教育は性器教育や避妊教育に堕しているのではないか。本来の性教育は、 性別の根源的な意味と目的を教えるものでなくてはならない。 これなしに結婚と子育てに励む本当の自覚は生まれないと思うからである。 

聖書にある。「神は、ご自分にかたどって人を創造された。人を神にかたどって創造され、男と女に創造された。 神は彼らを祝福して仰せになった、“産めよ、増えよ、地に満ちよ、そして地を従わせよ”(創世記1,27-28)。 この言葉を確認してキリストは言われた。“創造主は初めから、人間を男と女に造り、『それ故、 人は父母を離れて自分の妻と結ばれ、二人は一体となる』と仰せになった”(マタイ19,4-5)。 同じ個所でまた言われた。“生まれつき結婚できない者があり、また人から結婚できないようにされた者があるが、 天の国のために進んで結婚しない者もある”(同12)。ここにいう「天(神)の国のために結婚しない」とは、 わがままを通すためではなく、性愛抜きで愛の奉仕に生きる独身を意味する。 

このような聖書の個所を解説して、福者ヨハネ・パウロ2世教皇は、「神は人間を愛によって愛のために造られた。 愛は人間の生まれながらの根本召命である」と教え、「人間が愛の召命を生きる道は結婚と神の国のための独身である」( 以上、使徒的勧告『家庭』11)と言われたのである。これにより、結婚にも独身にも愛の使命がある事は明白である。 

要するに、人間が男と女に造られたという性別の本来の意味と目的は、すなわち愛を生きるためであり、したがって、 結婚や子育てにはともに愛し合って夫婦共同体、家族共同体をつくる使命があり、独身には奉仕する愛の使命がある。 結婚においても独身においても、愛することのない人生は無意味である。 

少子化対策は単なるお国のためではなく、 何よりも一人ひとりが人間として愛を生きて人生を全うするためであることを忘れてはならない。 人間は子どもを生む機械ではない。したがって、正しい真の性教育が少子化対策の要として重要なのであり、 少子化対策は正しい性教育に始まると言っても過言ではない。この前提が埋められれば、経済的な困難の中でも、 幸せな結婚と子育てへの道が開かれるかも知れない。

Itonaga, Shinnichi (イトナガ・シンイチ )
糸永真一司教のカトリック時評
2013年7月10日掲載
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