日本 プロライフ ムーブメント

全てを自分事として考えられるか


突然ですが、皆さんは死後の世界を信じますか。

ヒトも含め全ての動物、生きとし生けるものは全て複雑有機化合物の集合体が化学反応を連続して起こしているに過ぎず、科学的な思考の強い人ほど死後の世界など存在しないと考える傾向が強いのではないかと思います。

私もどちらかと言えば、そちら側に傾いている人間で、人はきっと死んで灰になるだけなのだろうという気持ちの方が強いです。

しかし絶対にないとは言い切れないという気持ちもどこかで残している部分があります。

そんな結論の出しようのない話を考えたって仕方がないではないかと思われるかもしれません。

けれどそのスタンスがどちらであるかによって、今自分が生きているこの世界での振る舞いは変わってくるように私は思います。 もしも死後の世界なんてないと考えている人は、場合によっては自分の死後の世界なんてどうでもいいと感じ、もしも死期を悟った場合に生きている間の財産を使いきり、何かを後世に残そうという意欲も持たないかもしれません。

ところが死後も自分の魂なり何なりが生き続け、今世で成し遂げた何かを何らかの形で感じられる世界で生きられると思えれば、死ぬ瞬間の最期の最期まで自分の財産を世の中のためになるように活かし、死を意識することなく何かを作り続けていくことでしょう。

ここまで考えてふと思ったことですが、死後の世界の存在の是非が大事なのではなく、他人の命を自分事のように感じられるかどうかが大事なのではないかと思います。つまり自分以外の人類が自分に対してと同じように大事に思える境地に達することができれば、それはもう自分の死後にも世界があることと同じことではないでしょうか。

親が子を思う気持ちはそういうものなのだろうと察します。

私達はその経験を通じて他人を自分事のように愛することができることを無意識の内に教えられているように思います。

そうすると自分の死ぬまでに財の限りを尽くそうなどとは思いませんし、子どもたちのために何かを残したいという気持ちも自然に発生します。

その想いを、大げさに思えるかもしれませんが、全人類、あるいは全生物へと拡大することができれば、きっと誰に対しても胸を張れる生き方ができて、幸せを感じられるのではないかと思います。

もしかしたら動物界ではとっくにその境地なのかもしれません。

人間の場合はそれに気付くのに宗教という人為が必要だったのでしょうか。



Shuugo・Tagashira(タガシラ シュウゴ)

田頭 秀悟

オンライン診療医

出典 たがしゅうブログ

主体的医療ダイアロジカルスクール(Proactive Med Dialogical School)

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