終戦から80年、今年もまた、あの悲惨な戦争記念日8月15日を迎えますね。私の母、当時まだ女学生だった彼女が体験した昭和20年8月7日、和歌山市を襲ったB29による大空襲の記憶は、生々しく、そして重い。
明光通りに住んでいた母は、突如として降り注いだ爆弾によって、一瞬にして日常を奪われました。和歌山城は炎に包まれ、あたり一面は焼け野原。そして、そこに横たわっていたのは、無数の亡くなった市民たちだったという。想像を絶する光景の中、母たち女学生に下されたのは、信じがたい命令だった。それは、亡くなった人々の遺体を片付けるというもの。さらに、熱くて和歌山城のお堀に飛び込んだ人々を、泥水の中から引き上げるという、目を覆いたくなるような作業だったとよく話してました。
幼いながらに、その話を聞くたびに、私の心は締め付けられました。一体どんな気持ちで、まだ少女だった母は、冷たく重い遺体に触れ、引き上げなければならなかったのだろうか。想像を絶する恐怖と悲しみの中で、彼女は何を感じていたのだろうか。
晩年、母は和歌山城のお堀の近くまで来ると、必ずと言っていいほど足がすくみ、その場に座り込んでしまいました。「もう、あんな酷い光景は見たくない」と、震える声で呟いた母の姿は、今も私の目に焼き付いています。言葉にできないほどの トラウマが、彼女の心に深く刻まれていたと思います。
戦争が終わって長い年月が経ち、和歌山市の街は復興を遂げ、平和な日々を取り戻しました。しかし、あの日の焼け野原の記憶、お堀の底に沈んだ無数の命の重みは、決して忘れてはならないし、伝えていかなければ、なりません。母の体験を通して、私は改めて思います。二度と、あのような悲劇を繰り返してはならない。平和な今を生きる私たちには、過去の悲劇を記憶し、語り継ぎ、そして未来へと繋げていく使命があります。
今の和歌山城の静かな佇まいを見るたびに、母の痛みを、そして戦争の悲劇を、心に深く刻みつけたいと思います。
広島と長崎の悲劇は広く知られていますが、日本各地で、そして世界中で、数えきれないほどの街や人々が戦争の犠牲になりました。和歌山で、母の体験も、その痛ましい歴史の一部です。
特定の出来事だけでなく、一人ひとりの個人が経験した戦争の記憶を伝えることで、戦争の恐ろしさや平和の尊さがより深く、身近なこととして伝わっていくのだと思います。
今年の終戦記念日にあたり3回に分けてコラムを書きました。
二度と戦争を繰り返さない。この誓いを、どうか未来へと繋いでいきましょう。
Yamaguchi Akimasa (ヤマグチ アキマサ)
山口 昭昌
特定非営利活動法人 エフエム和歌山
理事長
出典 facebook
https://www.facebook.com/yamaguchi.akimasa
Copyright © 2025年8月12日
2025年8月掲載許可取得