日本 プロライフ ムーブメント

「骨髄の布施行」

 

水無月と檀那

六月を意味する水無月の語源には多くの説があるが、「皆仕尽月」や「雷月」よりも、田ごとに水を張る「水の月」の方が最もらしく思える。水無月という名は稲作に関連して付けられたようだ。稲作はお釈迦様とも関係が深い。釈尊の父親は浄飯王で、その弟四人の名前にも皆「飯」が含まれている。

 水が一切有情の喉の渇きを潤す如く、仏の智慧は渇愛から生ずる一切の苦を鎮める。渇愛から生ずる一切の苦を釈尊は四苦八苦の最後の五取蘊苦にまとめられた。それは「我、我がもの」という五つの執着の要素だ。渇愛によって苦があり、渇愛が滅すれば苦も滅する。すなわち「我、我がもの」という執着が滅する。このような無執着から布施行が為される。施者、受者、施物の三者に執着しない三輪清浄の布施だ。

布施は梵語「ダーナ」の訳語だが、これの音写が「檀那」だ。臓器提供者を「ドナー」というが、これも贈り物をする人という意味であって、「ダーナ」や「檀那」と共通の印欧語由来と思われる。

生体内では、「我、我がもの」という自己の認識と他者の排除が免疫の基本だ。これまで感染症、アレルギー、リウマチと三回に亘って免疫について書いてきたが、今月は「布施とドナー」に関連して移植免疫を話題にする。

HLA型と多数のアダム

 自己を認識する上で重要な自己主要組織適合抗原複合体(三月号参照)を、ヒトではHLA(ヒト白血球抗原)と呼ぶ。HLAは両親から半分ずつ遺伝的に受け継ぐので兄弟姉妹では四分の一の割合で一致する。しかし非血縁者間では数百〜数万分の一しか一致しない。珍しいHLA型では一致する割合が少なくなる。HLAが一致しない臓器移植では、拒絶反応が起こりやすく成功の可能性が減る。HLAの適合度が高いほど移植の成績が良好となる。

 以前にミトコンドリア・イヴの話を紹介した。ミトコンドリアDNAの研究から、人類の祖先に関して母系を一直線で辿ることができる。そして現代の人類はすべて十四万年から二十九万年前の一人の女性の子孫だと考えられた。しかし、HLA型の多様性は非常に多く、ミトコンドリア・イヴの年代よりも遙かな昔、その百倍くらいの時間を掛けて進化してきたと考えられる。すなわち、イブは一人でも、アダムは非常に大勢いたと結論されるのだ。

骨髄バンクと骨髄移植

 白血病等で他の治療によって治癒の可能性が無い場合でも、骨髄移植を受けられれば生存できる可能性が高い。しかし現実にはHLA適合者が見つかるのを待っている間に沢山の患者さんが死亡している。骨髄バンクにドナー登録をする人が増えれば、助かる患者さんも増えることになる。ドナー登録には少量の採血検査が必要なだけだ。

 骨髄移植を受ける患者さんには抗がん剤の大量投与が行なわれる。全身の放射線照射が併用されることもある。このために本人の骨髄では血球が作れなくなる。感染に弱くなるので無菌室に入り、胃腸等も殺菌を受ける。この段階でドナーが交通事故などにあい提供が中止されると大変だ。患者さんの回復の可能性は無くなってしまう。

 ドナーは全身麻酔を受けた後、骨盤の骨から注射器で骨髄液を吸引される。六〜十ヶ所位から合計数百ミリリットルの骨髄液採取となる。全身麻酔をしているので痛みは無いが、通常の全身麻酔と同じ程度の危険がある。日本において、骨髄バンクでは死亡例が無いが、血縁者間移植で一例の死亡例がある。通常は骨髄採取後二〜三日で退院可能だ。

 骨髄移植は、ドナーから採取した骨髄液の点滴注射によって行われる。ドナーと赤血球型が異なっている場合でも、適切な処理を行って骨髄移植を受けることができる。その場合、移植後の血液型はドナーの血液型に変わる。

骨髄提供と三輪清浄

 日本骨髄バンクのドナー(施者)と骨髄移植患者(受者)は、お互いに相手が誰なのかを知ることができない。施者、受者、施物の三者に執着しない布施を実現する為にも、このシステムは役に立っていると考えられる。どこの誰かを知ることは無いが、HLA型が適合した施者と受者は遺伝的に非常に近い関係にある。遙かな時を隔てて遭遇し、助け助けられた真の肉親同士と考えることもできる。

 十住毘婆沙論に骨髄の布施が説かれている。そこでは般若経典の常啼菩薩の話を例示している。しかし、骨髄移植が可能となったのは最近であり、経論に出ている骨髄の布施が実際に可能なわけではなかった。だから骨髄の布施行を行った歴史上の菩薩は遠い過去には実在しないのだ。さらに、近い将来には再生医療が進歩して、骨髄提供の必要性が無くなってしまう。私の友人で実際に骨髄を提供した僧侶がいる。骨髄の布施が出来るのは、今しかないチャンスなのだ。

Tanaka Masahiro (タナカ マサヒロ)
田中 雅博(1946年ー2017年3月21日)
坂東20番西明寺住職・普門院診療所内科医師
出典 藪坊主法話集
Copyright ©2004年6月掲載
2024年10月30日複製