日本 プロライフ ムーブメント

「水無月と溺水」

水難

  六月は水無月、その語源は諸説あるが「水の月」が最もらしい。水は、一方では全ての生き物の喉の渇きを潤し、渇愛を滅盡する仏の智慧の譬喩にも用いられる。他方、大津波のように大災害をもたらすこともある。水の利益に関して前に書いたので、今回は水の災難について話題にしよう。七難という場合、経典によって七つの難に違いがあるが、水難は説かれることが多い代表格だ。法華経普門品では水難について「若為大水所漂」、その偈文では「或漂流巨海」とあり、大水および海水による溺水の災難を取り上げている。旧暦六月は真夏であり、海水浴などで水の事故も多い。「波浪不能沒」とする観音菩薩のように人々を溺水から救うには、私達はどうすれば良いだろうか。溺水に関する知識を持つことから始める必要がある。

溺水

溺水は交通事故や転倒、熱傷、誤飲食とともに不慮の事故の代表だ。乳幼児と高齢者に多く、浴槽内が危険だ。高齢者の場合には入浴中の脳虚血や心臓発作が原因で溺水を起こすことも多い。少年期では川や海での溺水が多く、成人では飲酒しての水泳によることが多い。飛び込み等の際に頚の損傷を起こして溺水する場合もある。この他に洪水等種々の水害による溺水もある。
 水没して息をこらえていられる時間はせいぜい二、三分だ。吸い込んだ水が気道内に充満して窒息する場合を湿性溺水という。吸い込んだ水の刺激で喉頭痙攣をおこして窒息する場合が全溺水の一割程度あり、これを乾性溺水という。淡水による湿性溺水では、吸い込んだ水が肺から血管に吸収され、血液が薄まって増量する。血液が水で薄まると溶血が起きて高カリウム血症となり、これも心停止の原因となる。海水による湿性溺水の場合は、海水は浸透圧が高いので、逆に血液から水分を吸い出して肺水腫を来す。それで循環血液は濃くなって減少する。従って淡水と海水とでは治療法が少し違うことになるが、最も重要なのは呼吸の回復であり、実際の治療の上で大きな差があるわけではない。

一次救命

 救助に際しては、頚の脊髄損傷の可能性を考え、頚部を固定して手当をする。頚髄損傷を悪化させると回復が容易ではない。意識が無く呼吸が停止している場合、気道を確保して人工呼吸を行う。肺に吸い込んだ水は血管に吸収されるので、上気道に残った水だけ除去すればよい。下顎の先端部を挙上することによって気道の確保を行う。二回の人工呼吸で自発呼吸が回復しない場合には躊躇なく心臓マッサージを開始する。それから救急隊を呼ぶ。水によって体温低下が進むので積極的な保温を行う。人工呼吸と心マッサージの際、胃内容の逆流と誤嚥に注意する。
 病院到着時すでに心肺停止している患者の救命率は、残念なことに日本ではアメリカに比べて桁違いに低い。その最も大きな理由が心肺蘇生開始の遅れだ。特別な道具を用いない心マッサージと人工呼吸による蘇生術を一次救命処置というが、アメリカでは、そばにいた人による一次救命処置が当たり前に行われている。日本では、救急隊を呼ぶだけで、自分では何もしない人も多い。自力で解決する西部劇と水戸黄門様に頼る時代劇の差かもしれない。心肺停止から三分以内に一次救命処置が開始されなければ救命率はどんどん落ちてしまう。氷水中などでの溺水で体温が低下している場合には、少し時間が経過しても蘇生できる可能性がある。しかし、とにかく直ちに一次救命処置を開始しておいて救急隊に引き継ぐ必要がある。

自動体外式除細動器(AED)

 心肺停止の救命で一次救命処置早期開始の次に重要なことは、出来るだけ早期に除細動を行うことだ。そして平成十六年七月から、一般の人でも自動体外式除細動器(AED)を用いて除細動してよいことになった。心臓が収縮した状態で停止している心室細動を電気によるカウンターショックで解除する方法だ。役所、公共施設、空港、スポーツ施設、図書館、美術館、ショッピングセンター等にAEDが設置されつつある。今後AEDの設置場所が増えると共に、基本救命処置講習が行政と医師会によって進められつつある。  体温が三十度以下の場合で、カウンターショックを三回行っても除細動できないときは加温して体温が上昇してから再度除細動を行う。勿論それまで心臓マッサージと人工呼吸を続ける。
 

Tanaka Masahiro (タナカ マサヒロ)

田中 雅博(1946年ー2017年3月21日)

坂東20番西明寺住職・普門院診療所内科医師

出典 藪坊主法話集

Copyright ©2005年6月掲載

2025年06月06日複製(ご家族からの許可取得)