日本 プロライフ ムーブメント

いのち短し、恋せよ少女(比較文化論)

昭和27年、黒澤明監督、志村喬主演の映画「生きる」が公開された。 

 市役所の課長渡辺勘(志村喬)は、毎日書類の山と判子を押すだけの日々であった。市役所では形式主義がはびこり、住民の要望はたらいまわしにされていた。渡辺は30年間無欠勤の53歳の役人だったが、ある日、自分が胃ガンで余命4ヶ月であることを知る。 

 渡辺勘は生きる望みを見失ない、絶望と孤独に陥り、むぜび泣いた。翌日、市役所を無断欠勤すると夜の街をさまよった。そこで知り合った作家にパチンコ、キャバレー、バー、ストリップを教えてもらい、飲みなれない酒を飲み、生きる意味を求めようとしたが、ただ空しいだけであった。 

 「自分の人生はいったい何だったのか?」と憔悴しながら歩いていると、かつての部下の「小田切とよ」と偶然にであった。懐かしさから、小田切とよを喫茶店にさそい話してみると、自分のあだ名が「ミイラ」だったことを、あっけらかんに教えてくれた。渡辺勘は小田切の屈託のない無邪気さに魅了され、何度か遊園地で遊んだ後、小田切の新しい職場に押しかけ、「自分が胃癌」であることを告げた。 

 すると小田切は動揺もせず見せずに、自分がつくった人形を見せ「あなたも何か作ってみたら」といった。 

「もう遅すぎる」渡辺勘はぽつりとそう言ったが、しばらくして渡辺の顔色が急に変わった。その足で、すぐに市役所に戻ると、住民が要望していた児童公園をつくるために上司にかけあった。土地の視察、測量、業者との交渉。渡辺は死にものぐるいの奮闘で、児童公園を完成させたのである。 

 それは小雪の舞う静かな夜であった。完成したばかりの児童公園で、渡辺勘は1人ブランコを揺らしながら、穏やかな微笑みを浮かべ「ゴンドラの唄」を口ずさんだ。翌朝になり、渡辺勘が公園で死んでいるのが発見された。 

「ゴンドラの唄」 吉井勇作詞、中山晋平作曲

いのち短し 恋せよ少女(おとめ) 
朱(あか)き唇 褪(あ)せぬ間に 
熱き血潮の 冷えぬ間に 
明日の月日は ないものを 

いのち短し 恋せよ少女 
いざ手をとりて 彼(か)の舟に 
いざ燃ゆる頬を 君が頬に 
ここには誰れも 来ぬものを 

いのち短し 恋せよ少女 
波に漂(ただよ)う 舟の様(よ)に 
君が柔手(やわて)を 我が肩に 
ここには人目も 無いものを 

いのち短し 恋せよ少女 
黒髪の色 褪せぬ間に 
心のほのお 消えぬ間に 
今日はふたたび 来ぬものを 

 志村喬が低い声で口ずさんだ「ゴンドラの唄」は恋愛の歌ではない。歌詞の少女(おとめ)を「自分」に置き換えれば、「明日の月日は ないものを」「今日はふたたび 来ぬものを」、まさに人生のはかなさと悲哀を歌っている。 

 私も志村喬が演じた渡辺課長の53歳をはるかに越えてしまっている。「どのように生きるべきなのか」、「自分のため、あるいは誰かの為に生きるのか」、「自分は生きて何をなすべきか」、難問中の難問であが、この難問に、「ゴンドラの唄」は「帰らぬ日のために、勇気を出して、元気を出して、満足を得るために前へ進め」と教えているのである。 

Suzuki, Atsushi (スズキ・アツシ) 
鈴木厚(内科医師) 
Copyright ©2012年1月8日 
出典「平成医新」DoctorsBlog 
2012.4.17.許可を得て複製