日本 プロライフ ムーブメント

遺棄される老人たち

高齢者の不在問題が急速に表面化している。恐ろしい話である。 いったいその高齢者たちはどこへ消えてしまったのだろうか?特に実子など、 一親等の身内がいることが明らかにもかかわらず、生死の確認もできないというのは尋常ではない。

もちろん個々のケースで、その家族が断絶するに至った事情があるのは理解できる。 したがって多くの高齢者が長い間一人で暮らしている、という状況もよくわかるし、 実際医療に従事しているとよく遭遇する。 

しかし、そういった一人暮らしの高齢者が亡くなった場合、多くは医療機関で死亡が確認されると思われるが、 死亡診断書または死体検案書が医師によって発行される。それが適切に処理されたなら住民票が末梢され、 行方がわからないという事態は起こらないはずである。 

一人暮らしで何十年も親族と関わりがなくとも、親族が存在するなら医療機関、 または警察などの行政が連絡を取ることを試みる。 

親族が不明な「老人の死」が適当に処理されたのであろうか?少なくとも自分が関わった「一人暮らしの老人の死」 はこれまで何らかの形で適切に処理されてきた。 

今時の文明社会で、人間が誰にも知られず死に至り、白骨化して風化する、 などということは犯罪にでも巻き込まれない限りありえない。現に、幼児や中高生の行方がわからなくなると、 全国版のニュースにもなる。 

「○○県××市で100歳の男性の行方が3週間以上わからなくなっています。 現在地元警察と自治体が事件と事故の双方を考慮し、捜索を続けています」 なんてニュースがこれまであったであろうか?聞いたことがない。 

杉並区で行方がわからない113歳の女性の娘は、事が大きくなったために今頃になって「捜索願」 を提出するという茶番を演じている。しかも遺族年金なるものが先月まで支給されていたという、 極めてグレイな様相を呈している。 

それはともかくとして要は現在の日本社会では老人は容易に遺棄されるということである。この113歳の老女の娘も既に 「老女」であり、自らが遺棄の対象になっていることを自覚したほうがよい。 

幼児遺棄死亡事件と合わせて考察すると、日本では生物学的弱者が同種族により遺棄される、 という恐ろしい状況が進行しつつあるのかもしれない。 

Honda, Jirou (ホンダ・ジロウ)
心臓血管外科医・本田二郎
出典 『温心、涼脳 Warm Heart、Cool Head』
2010年8月6日掲載
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