日本 プロライフ ムーブメント

殺人者を殺しても解決にはならない

祈りをこめてイエス・キリストの処刑を思い起こすとき、私は全ての人々が死刑の思わぬ結果について考え、それを全国的に廃止するために努力することを強く求めます。

それでも、殺人者を殺すことはその答えにはなりません。死刑は私たちに一時的に復讐ができたという気持ちを与えてくれるかもしれませんが、罪のない犠牲者のいのちを取り戻すことはできないのです。そして、犯罪者になる可能性のある人々に、「悪いことをすると死刑になるよというメッセージを送ろう」として、私たちはまた自分の子どもに悲惨な結果をもたらすシグナルを送っているのです。暴力の問題は、もっと大きな暴力で解決できると教えているのです。

愛している人を殺された家族が受ける苦しみは、言葉で表現することができません。そして社会として、私たちには狂暴な犯罪者を罰する責任があります。しかし、私たちは殺人者が受けるべき報いにあまりにも気をとられて、国家が認めた殺人が生きている人々に与えるものについて十分に考えていないのです。死刑は、全ての人間が持っているいのちの価値を下げることだけなのです。

最後に私は皆さんに、愛する人を暴力で失うという悲劇の十字架を日々背負って生きている人々のことを特別な方法で思い出してほしいと思います。神が、「父よ、彼らをお許しください。彼らは何をしているか知らないからです。」(ルカによる福音書 二十三:34)と言った、十字架に架けられたイエスの恩寵と、心のやすらぎと、強さを、そのような人々に与えられますように!

Archbishop Charles J. Chaput
チャールズ・J・シャプー大司教
デンバー大司教
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