日本 プロライフ ムーブメント

光は闇の中で輝いているーー光を探すよりも光になりなさい。

「夜の長さにうずくまり、いらだって夜明けを待つ・・」ヨブの言葉です(7・4)。なぜこんなことが起きるのですか?コロナ感染防止のために営業を制限され、お世話になっていた店も閉店に追いやられ、わたしはホームレスになりました。昨夜の報道番組からです。思い出すのは「阪神淡路大震災」(1995年1月17日)のことです。家を失った人々は、学校の体育館、公民館、お寺や教会に身を寄せた。当時「思いやり」が町のルールとなったのです。自分を忘れて周りの人のことを気遣ったのです。「ボランティア元年」と呼ばれ、多くの若者が現地救援本部(被災した教会)に集まり、目まぐるしい救援活動をしたのです。その中で、次第に見えてきたことは、その地に住所を登録していないホームレスの方々は、避難所を追い出されたのです。また日本国の滞在期間が切れた(オーバーステイ)の外国人は、公的援助保護の対象ではなかったのです。また身動きの取れず、情報も入らない「独居老人」があちこちに見つかりました。

いま感染への恐れから距離を置く「ソーシャルディスタンス」が求められています。夜回りで出会ったホームレスのおじさんが、何とか役所とかけ合い「生活保護」を受け、アパートに入ることができました。「よかったね。これから自立できるね。自炊も頑張るんだよ。」喜んだのですが、2~3週間経ったある日、彼は元のホームレスの場に帰っていました。彼が必要だったのはアパートではなく、仲間だったのです。つまり彼にとって自立することは社会的な孤立となったのです。誰かが必要だったのです。

いま「不要不急」が求められています。必要のないことはしない・・、急ぐことがないことはしない・・何が必要なことか、何が急いでやるべきことかを識別する心が必要です。早く闇が終息し、光が輝いてほしい。誰しも祈り望んでいることです。しかしヨハネ福音書は「光は闇の中で輝いている」(1・5)というのです。暗闇は私たちを包み込んでいますが、その闇の中に光が輝く、というのです。

大戦中、ポーランドのアウシュビッツでの聖マキシミリアノ・コルベ神父を思い出します。またある捕虜収容所では、人間であることを忘れ動物のように奪い合った兵士たちが、一人の兵士の捨て身の愛を見て我に返り、仲間の一人一人を気遣って生きてきた部隊があったことが語られています。実に復活されたイエスキリストは遠い昔の人ではなく、私たちの一人だったことに気付いたとあります。このコロナという闇の中、光を探すよりも、光になりなさい。「あなたもその人の隣人になりなさい」(ルカ10章)。教会の設備(部屋)はいくつも空いています。空いた部屋をどう使うのでしょうか?集まってはいけないといわれているのですが・・。

Suwa Eijirou (スワ エイジロウ)
諏訪榮治郎
カトリック高松教区司教
出典 カトリック高松教区報
2021年3月14日号 200号  3ページ
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