日本 プロライフ ムーブメント

「3・11」から10年

 2011年3月11日に発生した「東日本大震災」は、巨大地震にともなう大津波、さらに原発事故が重なりあう、歴史に残る苛酷な災害でした。

あれから10年目の「3・11」がやってきます。新聞や雑誌の企画記事、関連出版物などもこれから順番に出てくるものと思います。「東日本大震災」とはいかなるものであったのか、そこから学ぶべきものは何だったのか、この10年の「復興」はどのように評価されるのか、「脱原発」への道は切り開かれたのか、など、さまざまな角度からの議論がされることでしょう。

今回はその入り口として、私が「3・11」直後に書き綴った記事をそのまま掲載します。

自分が10年前に考えたことを思い起こしながら、10年目の「3・11」をむかえたいと思っています。

「別の道」を

 2011年3月11日午後2時46分、「東日本大震災」が発生しました。「マグニチュード9.0」という巨大地震とそれにともなう大津波、そして福島第一原発の「苛酷事故」が重なりあい、かつて経験したことのない事態をまねいたのです。

今回の福島第一原発の事態については、国際的な事故レベル評価としては「史上最悪の原発事故」とされたチェルノブイリ原発とならび「レベル7」の評価がされました。原発は「いざ」というとき、「五重の防護」のもとで放射能が外部に漏れることは絶対にないとされてきましたが、そのような「安全神話」は完全に崩壊したといえます。現実に私たちが見たことは、放射能が「漏れる」というようなものではなく、大量に放出されたということでした。原発から放出された放射能は東日本に広く拡散し、水、土壌、動植物、魚介類等をつぎつぎ汚染しました。大量の放射能汚染水が海にむかって放出されるのを見て「何ということをするのか」と思わず天をあおがざるをえませんでした。

制御不能になった原発の姿を前に、私の頭に浮かんだのは「人間自身がつくり出した悪魔が、いつか手におえないべつのものに姿を変えてしまった」というシュヴァイツアーの言葉でした。

これはレイチェル・カーソンが『沈黙の春』のなかに引用している言葉ですが、彼女が『沈黙の春』をシュヴァイツアーに献呈していることをあわせて考えるとき、とても意味深いものであるといってよいでしょう。

 被災地では関係者の必死の努力のなかで、「復興と再生」をめざして取組みが進み始めていますが、被災規模の大きさから道のりはなお険しいといわねばなりません。さらに原発と放射能が道を阻むこともしばしばであることでしょう。困難を乗り越え、一刻も早い復興と再生を願うばかりです。

日本には、現在、54基の原発が各地に集中立地しています。なかには地震発生の可能性がきわめて高い立地もあります。また、原子炉のなかには運転開始後40年を超えるものもあり、年々、原発の老朽化が目立ってきたといえます。

そもそも、原発については、それは技術的にみて「未完成」な科学技術システムであるとの批判がされてきました。すなわち、原子炉の安全管理について不安があるだけでなく、使用済み核燃料や放射性廃棄物の処理体制がととのっていないことについては「トイレなきマンション」との指摘もされてきたところです。そして何よりも「地震列島・日本」ということを考えた時、あまりにもそのリスクが大きいということは、今回の事態からみてあきらかなのです。

私の居住する京都も、集中立地している若狭原発地帯と隣り合わせであり、今回の事態をうけて、「もしも30km圏が被災したら・・」「もしも琵琶湖が汚染したら・・」との指摘は極めて具体性をもって深刻な議論を引き起こしています。当然ながら、関係自治体における防災計画の抜本的な見直しが行われつつあります。

 このようななかで、私は「別の道」というテーマを強く意識しているのです。

「別の道」という言葉に関わっては、カーソンは『沈黙の春』の最後の章の冒頭につぎのような一節をおいています。

「私たちは、いまや分かれ道にいる。・・長いあいだ旅をしてきた道は、すばらしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが、その行きつく先は、禍いであり破滅だ。もう一つの道は、あまり<人も行かない>が、この分かれ道を行く時にこそ、私たちの住んでいるこの地球の安全を守れる、最後の、唯一のチャンスがあるといえよう。どちらの道をとるのか、きめなければならないのは私たちなのだ。」

 ここで『沈黙の春』が問いかけていることは、直接的には、害虫駆除のために、DDTをはじめとする「危険な農薬」を際限なく使用する「化学的防除」から、天敵を利用するなど「生物学的防除」へ切り替えようということでした。しかし、多くの読者は「別の道」という言葉から、20世紀後半の大量消費・大量廃棄型文明、高度に発達した科学技術文明に対して根本的な反省を行い、自然と共存できる新たな文明をめざさなければならないという、現代文明を批判する彼女のメッセージを読みとってきたのです。私もまた、そのような読み方ができると思ってきました。

あまりにも短絡的すぎるとの批判もあるでしょうが、私は、今回の「東日本大震災」のもとで、「原発ゼロ社会」への道を選択することが、「別の道」という考えに学ぶことだと思っています。とにかく原発はとても人間が制御できるものではないということを確認し、原発からの撤退をしなければならないと思うのです。この決断が、いま必要なのだと思うのです。

原発をめぐっては、いま、「脱原発」、「卒原発」、「縮原発」など、いろいろな言い方がされていますが、まずは地震のリスクが大きい地域の「危険な原発」は運転しないこと、運転開始後40年以上が経過した原発は運転停止することが必要です。そうすればこれから何年かのうちにすべての原発はとまることになります。他方では、現在、なお収束しない福島第一原発を安定化させることもふくめて、原発を制御し、安全に廃炉するための技術や人材を集中することが急務です。日本の原発をすべて廃炉にし、放射性廃棄物を安定的に管理できるようになるためには、これから何年かかることでしょうか。おそらく気が遠くなるような、長い長い年月が必要とされることでしょう。

同時に、再生可能エネルギー開発に全力をあげるように、エネルギー政策の転換を行うことが必要だと思うのです。

 このような原発からの撤退をはかるということは、代替エネルギー確保の現実的見通しとか、地球温暖化対策とか、総合的に考えるとき、とても困難だという指摘もあるでしょう。それは当然なことです。しかし、国がきちんと原発からの撤退、省エネ・節電の推進、再生可能エネルギー推進、地球温暖化対策を関連づけながら、総合的に政策的な方向づけを行い、目標を定め、それにむかって計画的に推進するならば話は全く違ってくると思うのです。

 考えてみればとても理屈にあわない原発推進を行ってきたのも「国策」であったからであり、再生可能エネルギーの計画的推進や、原発に頼らない地球温暖化対策を「国策」とすれば、いまは困難なことに思われることでも可能になるのです。それはひとえに私たちがどのような国づくりをめざすのか、どのような道を選択するかにかかっているのです。

同時に、私たちには、これまでのエネルギー多消費型のライフスタイルや社会経済システムを見直し、当面、電力需要の抑制、再生可能エネルギーの普及のために努力していくが求められています。

 これらのことは「東日本大震災」の最大の教訓だというべきです。まさに、覚悟をきめて、日本の未来のために「別の道」を選ぼうといいたいのです。

(※この記事は、『「沈黙の春」の50年』(かもがわ出版 2011年9月刊)の最終章「「別の道」を」の一部です。)

Tuyoshi Hara
ハラ ツヨシ
原  強
レイチェル・カーソン日本協会関西フォーラム代表
原文出典
Copyright © 2021.2.20.
2021.6.23.許可を得て複製