◆自然と私
人は、万物の創造主である神から、この世のあらゆる被造物すべてを任せられています。その意味は、目に見えるものだけではなく、目に見えないものも、すべてです。人が目に見えるものだけを追い求めて、歩み始めるとき、そこから万物を造られた神から離れ、大切な事柄を見失いました。それは、目には見えない信頼であったり、喜ばしい愛の体験であったり、人が生きるにあたって、大切な事柄だったのです。ときどきに自然は猛威を振るい、人々の暮らしを破壊し、命をすら奪います。しかし、人は、万物の創造主である神を恨みはしません。でも知るべきです。どんなに苦しい時でも、悲しさが襲っても、神はそこにおられる。神は私たちに恵みを与え続けておられるという事を。
◆人の務め
地球環境は、今や激しさを増し、人々の暮らしを圧迫しているかのように、私たちは見ています。しかし、本当に神が地球環境を乱し、私たちに反省を求めているとでも言いたいのでしょうか。地球が傷んでいるのは、神様のせいですか。そもそも、自然を正しく治めるように、人が神から託されたのが今のこの地球環境です。環境を破壊してしまったのは、やはり、私たち人間でした。公害、汚染によって、川や海を汚し、動植物にまで被害をもたらし、結果、人の暮らしにも損害を与えた。まさに自業自得とはこのことです。人の務めとは、もう一度ここで立ち止まり、自分たちの暮らしを見直し、よりよい方向へと舵を切ることです。どうすれば、人は自然と向き合って、共に生きる道を乱せるのか、思案が始まっています。
◆未完成の自然
人は、神からこの自然を託された時から、今日にいたるまで、いかにこれを完成させるのか、という大きな課題、使命を委ねられてきたのです。今、ようやくその根本原理に気づいた人類は、新しい道を模索し始めたのです。いかに自然を再生していくのか。真剣に考えねばならないときが来ているのです。人は、同時に自然の怖さと恐ろしさも知らされてきました。如何にこれを守り、自然の恵みをいただき、共に生きるか、その再生と共生の道を神に願いましょう。
◆共存、共生
今、私たちが考えるべきは自然との共存、共生です。自然を治める力を、人は託されているわけですから、襲い掛かる自然に対し、自らの暮らしを守ることだけに目を向けず、共に歩む道を探るべきなのです。自然に対するのでなく、自然に耳を傾け、どうすればよいか、人は意図的に、答えを自然から導き出すことです。人は悪を生み出すが、自然はそうはしない。自分の頭で物事を捉え、意識して何かを考え、生み出すのが人で、自然と違い、想像して何かを作り出す知恵と理性を持っているのです。つまり、自然を治める使命を持つ人は、自らをまず正しく統御し、自然の力をただ正しく悟り、共存共生の道を、切り開くことです。人は、心に秘められている真のあり方、生き方を選択することができるので、これによって希望に満ちた人と自然の共通の未来を実現することが可能なのです。
◆成長選択の道
自らを成長させ、善を選択する力があることを知るのは、人だけです。人だけが深淵の淵をのぞきこみ、自らが持つ欲望の対象を乗り越え、次に何をなすべきか選択することができます。これほどの自己選択の自由を持っているのですから、もはや元の欲望に満ちた罪の自分には、後戻りはできません。善の神に目覚めたのですから、私たちは、これらの悪から抜け出し、神が示す約束の地に向うのです。今こそ、人は欲を断ち切り、善悪の境目を迷いながらも、しかし、真理への道を究めんと、前に進みましょう。愛と信頼の交わりの内に、キリストと共に成長して参りましょう。
Kashirajima,Hikaru(カシラジマ ヒカル)
頭島 光
カトリック西舞鶴教会
Copyright ©2025年8月23日
2026年7月2日掲載許可取得