◆聖年の扉
11月は死者の月であり、典礼的には終末の時です。この時節に、私たちはキリストの再臨を願いつつ、死者のために祈ります。既に多くの方々が生涯を終え神様の身元に召されていきました。私たちもいずれ天の国の父のもとに旅立ちますが、いままだ為すべきことが与えられています。この世に生き残っている私たちが為すべきこととは、まずは死者のことを思い起こし祈ることです。来年、私たちは聖年を迎えます。聖年の扉がバチカンで今年のクリスマスの夜に開かれ、キリストによる救いの確信を再度、心に呼び覚ます新たな始まりとなるでしょう。
◆希望のしるし
現代世界はまだ多くの所で忌まわしい戦争を続けています。日本でも強盗殺人事件が各地で頻繁に起こり、人々の苦しみ。悲しみは増幅しています。いつまで、これらの悲惨な出来事は続くのか、いつ終わるのか。希望は遠のくばかりです。そんな折、聖年の大勅書「希望は欺かない」が出されました。私たちはそれでも諦めません。キリストによるこの希望は決して欺かない。なぜなら、恵みに満ちた神の慈しみから溢れ出ているからですと、教皇様は書くのです。この言葉は真実です。
◆巡礼教会
教皇様は聖年の免償の賜物について、既に2015年のいつくしみの特別聖年の際に、この賜物を受けることの大切さを諭されました。この通常聖年中もまた免償のたまものは有効です。「聖年の間、ゆるしの秘跡によって清められ、聖体に力づけられ、教皇の意向に従って祈る信者は…全免償が与えられ、その罪の赦免とゆるしが与えられます」と勅書が語る通りです。私たち信者は<希望の巡礼者>となって、巡礼教会をめぐり祈りを捧げましょう。聖地巡礼はもとより、ローマの四大聖堂(サンピエトロ、ラテラン、サンパオロ、サンタマリアマッジョーレ)、その他司教の指定する司教座聖堂及びその他の聖堂を訪問しましょう。実は、来年、私たちの教会である宮津聖ヨハネ天主堂と福知山教会の聖堂は、京都教区の巡礼教会として北部ブロックより指定されます。
◆免賞の賜物
それでは免償のたまものとは何でしょうか。免償はゆるしの秘跡と密接な関わりがあります。罪を告白すれば罪が赦され、私たちは赦免された罪による有限の痛みと苦しみを完全に打ち消すためにこれを恵みとして受け取るため、愛の実践、慈悲の業、その他様々な利他的償いの業に生涯励まねばなりません。そうすることで古い私は脱ぎ去られ、新しい人となるからです(コロサイ3章9-10節、エフェソ4章24節参照)。日本語に「罪滅ぼし」と言う言葉がありますが、その言葉通り、善業をなすことで過去の罪の償いを果たすことができるのです。聖書に「私の選ぶ断食とは何か、悪による束縛を断ち、軛の縄目を解いて虐げられた人を解放することではないか」(イザ58章6節)と言われていることと同じです。
◆慈善と償いの業
私たち信者は皆、神様から愛されています。キリストの十字架の業によってあらゆる罪のゆるしを得たのです。だから敬虔なる祈りと愛の実践によって信仰の御業を果たすことが求められます。教会からいただいた免償は、同時に死者のためにも適用されます。煉獄の霊魂のために愛の業を捧げるなら死者のための全免償を受けることができるのです。つまり、地上での生涯を終えたすべての人の罪が清められ、イエスの死と復活の恵みに預かり、隠された罪科から完全に解放されるのです。そのために私たちは死者のために祈るのです。こうして、聖年の免償のたまものは、その祈りの力によって先に召された兄弟姉妹のために満ち溢れる神のいつくしみとなるよう定められているのです。
◆罪深い女をゆるすイエス
自分が罪深い者であることをよく分かっている一人の女性が、あるファリサイ派の家に入って来て、「後ろからイエスの足もとに近寄り、…その足を涙でぬらし、…髪の毛でぬぐい、その足に…香油を塗った」ルカ7章38節)とあります。イエスはこの女の行動をよく見て「多く赦された者は多くを愛する」(ルカ7章47節)と言われました。神の愛と慈しみとそしてゆるしに、愛をもって応えたこの女は、自らの罪の償いとしてこよなく愛を実践したのです。私たちもこれに倣うことができますように祈りましょう。
Kashirajima,Hikaru(カシラジマ ヒカル)
頭島 光
カトリック西舞鶴教会
Copyright ©2024年10月24日
2025年12月4日掲載許可電話にて取得