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ペンテコステと「聖霊」と「私たち」

 6月8日はペンテコステの日だ。キリスト教の祝祭日だ。ギリシャ語で「50番目」という意味がある。通称、「聖霊降臨祭」とか「五旬節」と呼ばれる。

 ところで、新約聖書「使徒行伝」第2章には聖霊降臨(ペンテコステ)の様子が記述されている。イエスは十字架後、復活し、40日間、ばらばらになった弟子たちを探し出し、福音を伝えた後、昇天。その10日後、激しい風のような音がすると、聖霊が天からイエスの弟子たちのうえに降臨する。

 「五旬節の日が来て、かれらがみな一緒に集まっていると、突然、天から激しい風が吹いてきたような音が彼らが座っていた家いっぱいに響き渡り、舌のようなものが炎のように分かれて現れ、おのおの上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した」(使徒行伝2・1-4)。イエス復活後、50日目の出来事だ。

 ちなみに、ペンテコステはカトリック教会やプロテスタント教会などの西方教会と、正教会などの東方教会では祝日が異なる。復活祭(イースター)と同様、移動祝日だ。聖霊降臨によってキリスト教の宣教活動が始まったといわれる。キリスト教会ではクリスマス、復活祭、そして聖霊降臨祭を3大祝日と受け取っている。

 当方は米TVシリーズ「選民」(The Chosen )を観てきた。イエスと12弟子たちの交流が描かれている。イエスは自身の語る意味を理解できない弟子たちにたとえ話で忍耐強く諭し続ける。多くの奇跡を行うが、弟子たちはイエスの本当の願いを理解できない。誰が一番偉いかなどと言い争う弟子たちに、イエスは絶望するような思いで怒りを発し、一人寂しいところに行く場面が心を突く。

 ペテロを含む多くのイエスの弟子たちは律法を学んだことすらない無学な人間が多かった。それだけではない。生前のイエスに出会い、その言葉を聞き、イエスの奇跡を見てきたペテロでさえも、イエスの十字架後、民衆に「あの人もイエスと一緒にいた弟子だ」と訴えられると、3度も「知らない」と否定した。その弟子たちが聖霊降臨の日を期して死をも恐れずイエスを証しする宣教師となっていく。異教徒は弟子たちが各国の言葉で神の働きを述べるのに驚いた。「彼らは新しい酒で酔っているのだ」と嘲笑った。何かが生じたのだ。

 それでは、弟子たちを激変させた聖霊とは何だろうか。 「ヨハネによる福音書」第14章25.26節には「これらのことは、あなたがたと一緒にいた時、すでに語ったことである。しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう」と記述されている。

 この聖句で重要な箇所は、「あなたたちの心に私(イエス)が話したことをことごとく思い起こさせるだろう」という部分だろう。これは聖霊の役割を説明する箇所だ。イエスが生きている時、誰もがその語った内容を理解できなかった。だから、聖霊はイエスが語った内容を思い出させ、その真意を解くというわけだ。

 ちなみに、前ローマ教皇フランシスコはペンテコステでの聖霊の役割について「多様性と調和、団結は上からくる火だ。団結の実現は、地球の実ではなく、天国の実だ。それは私たちのコミットメント、努力、合意の結果ではなく、聖霊の行動の結果であり、聖霊が私たちを完全な交わりの道に導くために、信頼をもって心を開かなければらない。団結は恵みであり、団結は贈り物だ」と述べている(バチカンニュース2022年6月3日)。 

 なお、ローマ教皇レオ14世は7日、聖霊降臨祭の前夜祭、サン・ピエトロ広場で約7万人の信者たちを前に「キリスト教信仰が、特に不確実性、分裂、そして世界的な課題を抱える現代において、一致と協力をもたらすように」と呼びかけている。

 21世紀にペンテコステがあるとすれば、33歳で十字架で亡くなったイエスの生涯の真相、十字架救済の意味、再臨の問題などを明確に解明し、イエスが語りたくても語れなかった内容を私たちに明らかにするのではないか。もし、既に明らかにされたというのならば、「ヨハネによる福音書」が述べているように、私たちはそれを必死に思い起こさなければならない。

Editorial (オピニオン)
国連記者室 

出典 ウィーン発『コンフィデンシャル』

Copyright © 2025年06月09日
2025年6月10日許可を得て複製