キリスト教の極致は見神
コスモスと秋空過去30年来、わたしはある「婦人読書会」に出ている。鹿児島カトリック女性信徒の会が主催する読書会で、毎月第1月曜日に集まって回勅や使徒的勧告などの教皇書簡を読むのである。前回は、現教皇ベネディクト16世の初の回勅『神は愛』の最終回で「結び」を読んだ。いろいろな質問があったが、その中の一人は、「修道士は愛そのものである神と『顔と顔とを合わせて』出会いました」(n.40)とあるが、顔と顔とを合わせてとはどういう意味かとの質問である。 なるほど、聖パウロが言うように「顔と顔とを合わせて神を見る」とは天国における「至福直観」(1コリント13,12参照)意味していて、この世で顔と顔とを合わせて神に出会うとは聞きなれない表現である。わたしは次のように答えた。この表現は擬人法的な表現で、厳密な意味ではなく広い意味の「神を見る」でしょう。神の観想に明け暮れる修道士は、世界の中に、さまざまな出来事の中に、何よりも隣人の中に神を見て、愛の業に励んでいたということでしょう、と。
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