日本 プロライフ ムーブメント

”封印”された人生の復活自殺と中絶

カトリック教会では、十一月を「死者の月」と定め、特に死者のために祈ることを呼び掛けている。しかし、 自殺や中絶をめぐっては、遺族や当事者、また第三者も、その出来事とどう向き合い、 どう声を発していいのか戸惑っている場合が少なくない。長年、自殺や中絶といった、 人生のつらさを体験した人々と多くの身近なかかわりを持ち、 カトリック教会の教えと死をめぐる問題を見つめてきた東京教区の坂倉恵二神父に、 これらの問題と死者の祈念について聞いた。 

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自殺についての私達の誤解

私は自殺に関する記事を毎年書きます。なぜなら、あまりにもたくさんの人々がこの方法により愛する人を失った痛みをかかえて生きなければならないからです。私達の親しい誰かが自殺の犠牲者になった時、たくさんの混乱(なぜ?)や罪(私達は何かをしたかもしれない?どうしてもっと早く気が付かなかったのだろう?)や誤解(これは絶望の究極の形)と共に私達は生きることになり、そして、もし、私達が信仰を持つ人なら、宗教的心配も同じように出てきます。(神はそのような人をどうやって扱うのでしょうか?彼あるいは彼女の永遠の運命はどうなるのでしょうか?)

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道徳上の孤独

「神秘主義的な祈りの指針」という彼女の本の中で、ラス・ブロ-ズはテレ-ズ・リジックスについて興味深いコメントをしています。彼女の写真を見て、ブロ-ズは、集団の中にいてさえも、テレ-ズの顔には分離の素質、1人でいる素質があることを表わしていると指摘しているのです。彼女はとても社交的な人だけれども何かがいつも彼女を分離させています。何ものも全く消すことができないようなそれほどの孤独が彼女の中にあります。

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家庭内修道院

半世紀前の代表的な信仰小説家の一人、カルロ・カレットは十数年間宗教的理由からサハラ砂漠で隠者として過ごした。聖餐のパンのみを友とし、食料のためにヤギの乳を搾り、現地のベドウィン語に聖書を翻訳しながら、独りで何時間も祈りを捧げた。ある時、母を訪ねるためにイタリアに帰国した彼は、あることに気付いてはっとした。それは30年以上も家族の世話に明け暮れ、自分の時間などほとんど持てなかった母の方が、自分より黙想的な生活を送っていたという発見であった。

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友を作るための戒律

今から二千五百年以上も前、人はモーゼから十戒を授かった。それから何世紀が過ぎ、18世紀の啓蒙主義を経ても、いまだにその戒律の有効性と重要性に疑いを差しはさむ余地はない。しかしなんとかそれを実行しようと苦労している時に、再びモーゼが二枚の新たな石板を手にかの山から下りてきて、人が他人、神、人生、そして自分自身とよりよい関係を築くためのルールを説き明かしてくれたなら役に立つに違いない。その新たな十戒とはおそらく次のようなものになるであろう。

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待降節:純潔空間の創造

初期の本で、アニ-・ディラ-ドはどのようにして待つことの重要性を経験したか紹介しています。彼女は蝶がゆっくりと繭から出てくるのを見ていた時でした。その非常にゆっくりとした変態の過程はとてもおもしろいものでした。しかし、その時彼女はせっかちになりました。彼女はろうそくを取り出して、繭を熱しました。わずかに少しですが速度が増しました。効果がありました。その蝶は少し早く姿を現しました。しかし、その過程が不自然に急がせられたために、生まれた蝶の羽は正確に形成されず、飛ぶこともできませんでした。

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涙の谷で嘆き悲しむ

私の両親には、深い信仰心があった。二人とも祈りは毎日欠かさず、私達子ども達にもいっしょに祈らせた。両親が毎日していたお祈りは、「サルヴェ・レジナ」という古い有名な祈りで、マリア様に私達の取りなしを願い、聖母をたたえる祈りだった。このお祈りを知っている人は多いと思う。このお祈りの中に、人生における私達の有り様を「涙の谷で嘆き悲しむ」と表している部分がある。このような言い方は、健全だろうか?両親は、そんなことは考えもしなかった。ただ彼等には、この祈りには優れた意味があった。

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クリスマス:ベツレヘムで、羊飼いたちと夜通しの番をして

ルカ福音書はクリスマスの物語を語りながら、イエスが生まれたとき、羊飼いたちが夜通し番をしていたと伝えています。闇のなか、羊飼いたちは何の番をしていたのでしょうか? 羊の群れを脅かすかもしれない外敵が来ないように見張っていただけではありません。彼らは光を求めていました。取り巻く闇を明るく照らしてくれる光を。 

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神と生命を見つめて

聖アウグスチヌスは、改宗してすぐ、次の不朽の名言を著した。「あなたを愛するのが遅すぎた、過去においても未来においても最も美しい、あなたを愛するのが遅すぎた! あなたは私の中にいたのに、私自身が外にいて、自分が探しているものがそこにあるのに気づかなかった。自分の醜さゆえ、あなたが創造した美しい物に溺れ、あなたが側にいたのに、私はそこにいなかった」。

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自殺について再び考える

二、三ヶ月前、私は自殺についていまだに誤解が多すぎるとあるコラムに投稿した。いろいろ書いたが、中でも自殺で死ぬ多くの、いやほとんどの人が、その言葉の本当の意味においては、道徳的にせよなんにせよ自分の死に責任はなく、むしろガンや心臓病といったものではないが、ある病気の犠牲者であると私は述べた。自殺とは、このような理解において、今までずっとそう思われてきたような絶望の行為ではない。これが本当なら、その犠牲となった人々の永遠の救済について余計な心配をする必要がなくなる。

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絶望と希望

第一部:悪魔対キリス卜 人が犯すあらゆる罪、この場合は中絶ですが、その前後において、いかにキリストと悪魔が異なって現れるかは、重要な事です。中絶前には、キリストは腕を広げて道をふさぎ、こう言います。「中絶をしてはいけない。今あなたが払う犠牲は、後に百倍になって報われるであろう。私はあなたに生命を与えた。それはあなたが人生を豊かに生きるためである。私に希望を託しなさい。そうすれば、私はあなたを裏切らないであろう。」 

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社会の中の教会をめざして平和の使徒となるために

出エジプト記3:7 主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、 追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。3:8 それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、 乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。3:9 見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。3: 10 今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」 

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法王文書「愛の喜び」の理想と現実

 ローマ法王フランシスコの婚姻と家庭に関する法王文書「愛の喜び」(原題 Amoris laetitia)が8日、公表された。256頁に及ぶ同文書はバチカンが2014年10月、昨年10月、 2回の世界代表司教会議(シノドス)で協議して きた内容を土台に法王が家庭牧会のためにまとめた文書だ。“現代の家庭生活”についてのフランシスコ法王の指針だ。 

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聖トーマスに学ぶ「疑い」の哲学

聖トーマスをご存知だろうか。キリスト教会ではイエスの使徒の一人、 トーマスは疑い深い人間のシンボルのように受け取られてきた。「ヨハネによる福音書」によると、 トーマスは復活したイエスに出会った時、イエスが本物かを先ず確認しようとした。 イエスのわき腹の傷に自分の手を差し込んで、その身体を確かめている。イエスはトーマスの求めに応じたが、「 見ないで信じる者は、さいわいである」と述べている。だから、教会で疑い深い信者がいたら、「 君は聖トーマスのようだね」といってからかう。 

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「教会は正直でなければならない」

イタリア日刊紙イル・フォリオは1日、先月27日の枢機卿会議でのヴァルター・カスパー枢機卿( 前キリスト教一致推進評議会議長)の開会スピーチの全文を掲載した。テーマは教会の夫婦・家庭牧会への新しい捉え方だ 。フランシスコ法王はスピーチを高く評価したという。同内容は今年10月の世界司教会議で協議される「夫婦と家庭」 に関する基本テキストと見なされている。 

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「日本の信者は教会の教えに無関心」

世界のローマ・カトリック教会の司教会議はローマ法王フランシスコの要請を受け、「家庭と教会の性モラル」(避妊、 同性婚、離婚などの諸問題)に関して信者たちにアンケート調査を実施したが、 日本のカトリック信者を対象に同様の調査が行われ、このほどその結果が明らかになった( 世界各国司教会議が実施した信者へのアンケート結果は今年10月5日からバチカンで開催予定の世界代表司教会議で協議 される)。 

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