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テゼ(Taizé)

明日は聖ヨハネ23世教皇の記念日です。ヨハネ23世といえば第2バチカン公会議を開催した教皇、エキュメニズム(教会一致)運動に特に理解の深い教皇として知られています。

 今年3月に一麦出版社から出された『心の垣根を越えてーテゼのブラザー・ロジェ』という本を、最近興味深く読みました。テゼ(Taizé)はフランスのブルゴーニュ地方、クリュニー修道院跡地に近い村です。そこには世界中から多くの若者が集います。プロテスタントもカトリックも集う不思議な場所です。創始者はBr.ロジェ・シュッツ(Roger Schutz)。彼は1915年スイスのプロテスタントの牧師の家庭に生まれました。戦争の犠牲者をかくまった祖母や他教派との和解を求め続けた父親の影響を強く受け、ローザンヌで神学を学ぶうち、弱者と共に歩む超教派の男子修道会の構想を抱くようになります。1940年、テゼに移り住み、1949年修道会を発足。以来院長を務め、2005年8月に当地で帰天しました。テゼはその初めからキリスト教各派の和解と、すべての分裂した人々の和解を働きのテーマとしてきました。1962年に建てられたテゼ共同体の‟和解の聖堂”の中で、一日3回の共同の祈りを中心に、分かち合いや沈黙の時を持ちます。聖書の短い言葉を単純なテゼ特有のメロディーで種々の言語で何度も何度も繰り返し歌うのが特徴です。1960年代頃からその単純素朴な祈りと歌、和解への呼びかけに共鳴する若者の数が急増、90年代には夏になると毎週5千人ほどが集い、共に祈り、分かち合いを行うようになりました。修道者というとカトリックか東方正教会の専売特許と考えがちですが、テゼの場合、プロテスタントの方々から修道生活が生まれた点が特徴的です。

 Br.ロジェは明言します。「私たちがここにいるのはキリストと福音のゆえです。そしてキリストが、和解する教会という教会像を取り戻すようにと私たちを招いておられるのです。それがテゼ共同体の召命の核心です。唯一の交わりのなかに、私たちが付き従いたいと願う、傷を負ったキリストがおられます。私たちはそのキリストを見捨てたくないのです。私たちは、その交わりがすべての人のためのものであることを示す反映、たえず内側から和解し続ける教会の小さなしるしとなりたいのです」。ヨハネ23世が教皇着座してからわずか3日後の1958年10月31日、テゼの代表者たちはバチカンで新教皇に接見を許されました。そのときの印象をブラザー・ロジェは次のように語っています。

「新教皇は私たちが想像していたどんなイメージともまるでかけ離れた方でした。とても興味をもって耳を傾けてくださり、私たちが和解についてお話したときには、両手を叩いて『ブラボー!』と声を上げられました。とても純粋な方で、開かれた心をもち、喜びと伸びやかさに満ちておられました」

「その接見は、私たちが積み重ねてきた教会一致への新しい励みになりました。その時以来、教皇ヨハネ23世は、予想を超えて私たちに影響を与え続け、いつの間にか、テゼに小さな春の訪れをもたらしていました」

                                       (出典:一麦出版社『心の垣根を越えてーテゼのブラザー・ロジェ』より)

この印象はテゼの兄弟たちだけでなく、教皇ヨハネ23世にとっても特別な出来事でした。その後、テゼの兄弟と教皇の会見は毎年行われ、1962年10月に始まった第2バチカン公会議にはオブザーバーとして招かれ、次の教皇パウロ6世教皇になってもその関係は継続し、公会議が終了するまでオブザーバーとして参加し、教会一致に向けてのカトリック教会の動きを体感することが出来たのでした。

 横浜雙葉学園の前理事長・千葉拓司先生の御子息千葉道生さんは2010年春からテゼ共同体に属していました。しかし、2011年3月11日の東日本大震災発生直後、テゼの院長から<すぐに帰国し、被災地で働くよう>指示を受けました。それ以来、長らくカリタス米川ベース長として各地から集うボランティアと共にテゼの歌を歌いながら被災者に寄り添ってきました。現在は「カリタスみちのく」のメンバーとして、被災地のニーズに応えるべく、テゼの精神を活かしながら活躍なさっています。

コロナ禍のこの時期も、テゼではマスクをしながら皆でテゼの歌をうたい祈っています。その模様はTaize-Youtubeで見ることができます。

Matsuo Mitsugi(マツオ ミツギ)

松尾 貢

主任司祭

出典 カトリック碑文谷教会ブログ

Copyright ©2021年10月10日

2026年2月12日掲載許可取得