日本 プロライフ ムーブメント

”縄文”は素晴らしい時代だった

ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会は、去る7月27日、国の特別史跡「三内丸山遺跡」(青森市)をはじめとした「北海道・北東北の縄文遺跡群」を世界文化遺産に登録することを決めました。登録されたのは、北海道と青森・岩手・秋田の3県に点在する17遺跡。1万年以上続いた様々な年代の遺跡が点在する地域です。

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昭和天皇とバチカン

文芸春秋誌に『昭和天皇』という福田和也の記事が連載されている。その三月特別号では、皇太子時代の昭和天皇がバチカンを訪問されたことが詳しく語られている。日本とバチカンの外交史を見るよい機会なので、そのあたりを少しまとめて見よう。 皇太子裕仁は、ヨーロッパ歴訪の最後に、1921年(大正10年)7月15日、まだ正式な国交関係のなかったバチカンを訪問し、「何の装飾もない白いガウンをまとった」(引用は、以下文春記事)時の教皇ベネディクト15世と会見した。実はこの訪問については、「訪欧団の中で激しい議論があった」という。当時、日本国内にはキリスト教に対する強いアレルギーがったからである。この雰囲気をくつがえして裕仁のバチカン訪問を実現したのは、供奉員(訪問団)の一人であった山本信次郎海軍大佐(のちに少将)の粘り強い説得があった。山本大佐は周知の通り、熱心なカトリック信者であって、岩下壮一神父が「軍服を着た修道士」と呼んだほどであった。

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 「希望の時は、いま」   

◆平和を祈る 2024年も半年が過ぎ、うだるような暑さが続いております。 皆様、いかがお過ごしでしょうか。教皇フランシスコ様は、2025年を聖年の年と定め、今年、その準備の祈りの年とされました。テーマは希望の巡礼です。国内では、新型コロナウイルス感染症が「5類感染症」とされ、一年が過ぎましたが、感染者はいまなお増え続けています。世界では戦争、紛争、テロ等によって今もなお、多くの人々が命の危険と隣り合わせです。 その結果、日本と同じ人口の1億2000万の人が、居場所を追われ、難民として不自由な暮らしを余儀なくされているのです。それでも私たちは希望をもって、イエスのみ跡を慕いて歩き続けなければなりません。これらの不安と危険から一刻も早い解決の道が開かれますようにと祈り続けましょう。そして、私たちの心から愛が失われないうちに、特に女性や子供たちが平和で安心して暮らせる日々の生活が一日も早く訪れますように、ともに祈りましょう。 

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HPVワクチンの男性への接種拡大は拙速かつ不合理

HPVワクチン薬害訴訟でHPVワクチン接種と被害者の症状との因果関係について争われてる最中まだその結論が出ていないにも関わらず、2022年4月より国でしれっとHPVワクチンの積極的接種が再開の方針となっています。 この動き自体も非常におかしいし、こんなものサラッと聞いただけだと誰もが「HPVワクチンの安全性は確認されたんだ」と感じてしかるべきだと思います。 そしてその感覚をさらに強めてしまう、もう一つの国のHPVワクチンにまつわるおかしな動きとして、「男性へのHPVワクチン接種を急速に拡大しようとしている」というものがあります。 そもそもHPVワクチンはもともと「子宮頸がん(予防)ワクチン」という通称でよく呼ばれていました。 その名前だと「子宮頸がん」を予防するワクチンというイメージしか伝わらず、「子宮」を持たない男性にとっては無関係だと普通は考えると思います。 だからなのかわかりませんが、2017年12月に国は「子宮頸がん(予防)ワクチン」の呼称を「HPVワクチン」に変更しています。

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許可という罪

言葉の裏に何か意図が隠されているのでは?と感じることがあります。ずる賢い人たちは、言葉を巧みに使って真意を隠そうとします。コロラド州選出の73歳の上院議員、ジョン・ヒッケンルーパーもその一例でしょう。報道によると、彼は「ストップ・コムストック法」の提案者であり、これは1873年に制定された、わいせつまたは不道徳な文書の郵送を禁止する法律を撤廃しようとするものです。

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保守派聖職者からレオ14世への警告

2025年はカトリック教会では「聖年」だ。「聖年(Holy Year)」とは、カトリック教会において特別な霊的恩恵を受ける年を意味し、ローマ教皇によって宣言される。「聖年」は、罪の赦し(免償)を得たり、信仰を深めたりするために設定される特別な年で、カトリック教会の伝統だ。多くの信者がバチカンや他の指定された聖地を訪れ、赦しを求めるために懺悔をし、祈りや慈善活動を通じて、信仰を再確認する機会という。

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教養と実学は教育の両輪

高校における必修科目の未履修問題はさまざまな波紋を呼び、さまざまな議論を巻き起した。その中の一つは「教養教育」の問題であった。多くの人が一般教養の低下を嘆き、その再生を強調していたが、中には、実学の刷新と強化を訴えるものもあった。たとえば、教育再生会議のメンバーでもある川勝平太氏は述べる。「美しい国づくりの基礎は、実践的な学問でなければならないであろう。すなわち「新しい実学」がいるのである」(中央公論1月号『日本社会の目標喪失が教育を壊した』)。 そこで、わたしなりに、「教養と実学」について整理しておきたいと思う。

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山のあなた

 以前私は、人が住む場所によって物の見方にどんな影響があるのか興味を持ち、『四雁川流景』という短編集を書いたことがある。水の豊かな架空の町で、湿地帯や盆地の中央部、坂の途中や丘の上、あるいは古代の墓地跡に建てられた高層ビルなど、主人公の設定次第で住む場所も自然に選ばれ、土地の力(地霊)によって物語が動きだしたような記憶がある。  その際、特に重視したのは、その家の窓からどんな景色が見えるのか、ということだ。不穏な気分も楽観的な見方も、なぜか日常的に眺める風景が呼び寄せるような気がする。「四雁(シカリ)」とはアイヌ語で「うねうねと流れる水」で「イシカリ(石狩)」にも共有されるが、その川と山々がどう見えているのか、全体の地図まで描いてそれぞれの物語を書き進めたのである。

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