日本 プロライフ ムーブメント

聖書と産児制限

たくさんのキリスト教徒達は、今日、次の子どもをいつ産むかの間隔を考えています。一方では、ある人達は、神のみが胎を開閉する権利を持っているという理由で避妊薬を使ったり、周期的に節制したりという家族計画は罪深いことだと主張しています(参照 創世記 二十:18、二九:31)。また、一方ではその命令はアダムとイブのみに与えられたものだと主張したり、その教訓はもうすでに果たされてしまって、現在、世界は無責任に人口過剰になっていると主張したりして、創世記の命令を実際的に適用することは完全にお終しまいにしています。神の言葉はどのような手引きを私たちに与えているのでしょうか? 

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キリストの全てを受け入れなさい

キリストを受け入れるということは私達が全ての兄弟姉妹を愛することを意味します。このことはキリストが受け入れる人々が私達にとって好ましく思えない時であっても変わりありません。その人々は変わっているかも知れません。もしかすれば彼らはうるさい人々かも知れません。私達を怒らせたことのある人々かも知れません。

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コンドーム:事実がカトリック教会の教えの知恵深さをあかしする

エイズ問題への対処としてのコンドームの使用をカトリック教会が拒否していることに対し、批判が続いている。最近の批判の一つは、医学雑誌The Lancetに掲載されている。「信仰は、病気の予防に対して乗り越えがたい障害を置くようである。HIV/AIDSほど緊急な問題はない」と同誌の3月12日付社説は伝える。 

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研究対象としてのヒト胚に関するカトリック教会の教え

ヒト胚の研究を容認する法律に反対する中絶反対派のカトリック指導者たちは、そうした反対運動を効果的にするには体外受精を全面的に非合法化する必要があることを見落としている。彼らはクローン研究や体外胚のクローン形成にのみ言及し、体外胚そのものの形成には反対していない。例えばさまざまなタイプの遺伝子工学やクローン技術を指定して禁止することを目的としたカナダのC-6法案も実際は同じだろう。なぜか?それはこの法案が体外でのヒト胚の形成を禁止しなかったからである。方法に関わらず、人工的なヒトの生産は禁止されなければならない。体外受精はあらゆる胚研究プロジェクトの第1段階である。胚はその後の研究に必要な生物学的物質を提供する。 

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教会の教示とヒトの生殖

避妊: カトリック教会は、「生殖過程が既に始まっている、何より、直接的な意思に基づく中絶や説得されての中絶は、たとえ治療目的であったとしても、誕生を調節する合法的理由として絶対的に許されない。同様に許されないのは、永久的か一時的かに関わらず、男性か女性かに関わらず、直接的な避妊である。」(1) この教示では、コンドーム、避妊リング、精管切除術、卵管結紮術および経口避妊薬、緊急避妊薬、注射または皮膚パッチによる避妊薬の投与などの化学的避妊薬による避妊を禁じている。これらを禁じる理由は、神の意思によって行なわれ、人間の自発性によって断ち切ることができない夫婦の行為の結合的意味と生殖的意味との切り離せない関係が、避妊によって破壊されるからである。 

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エイズと『フマネ・ヴィテ』に照らした責任ある産児

始めに エイズウイルスの伝染が特に著しい状況がいくつかあります。たとえば、エイズウイルスに感染している母親から生まれる子どものような罪のない者が、「母から子へ垂直感染」する場合がそうです。エイズウイルスは感染している母親から子どもへ次の3種類の経路で感染する可能性があります。

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聖霊と回勅『フマネ・ヴィテ』

大聖年である2000年に備えて聖霊に捧げられた1998年は、教会が回勅『フマネ・ヴィテ』発布30周年を祝った年でもありました。しかし、これら二つの出来事はカレンダー上のつながりよりもはるかに深く結ばれています。聖霊について私達が信じることは回勅『フマネ・ヴィテ』が伝える真理をより深く理解し、受容させます。 

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中絶は黄金律を破る行為である

キリストの教えによると、私達が隣人に対してどのように接するべきかをはっきりと知ることが出来ます。これらの教えは、実はキリストの掟の最初の二つなのです。つまり、「何よりも神を愛しなさい」そして「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」という教えです。いかに隣人を愛するかについては、主の次の二つのみ言葉が示して下さっています。ひとつは「人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ」という黄金律であり、もうひとつは「あなたがわれわれのうち最も弱い者に対してすることはすべて、私に対してするのである」ということです。

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安楽死に対するキリスト教の教え

現在活発に行われている安楽死の合法性に関する「議論」は、キリスト教信者がいかに俗化したかを表すものであり、「生命の質」や「死ぬ権利」などという聖書の教えに反する考えをやみくもに採用しているものである。もしかしたら多くのキリスト教信者たちはこの問題の複雑さを理解できずにいるのかもしれない。どうであろうと、医者はとっくの昔から延命措置を停止したりガン患者に大量のモルヒネを投与したりして死を早めているのである。そうだろう?そしていずれ死ぬとわかっている患者に対して簡単に死ねる手段を拒絶するのは非常に残酷なことではないだろうか。

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自然な家族計画

ロー対ウェード判決から二十五年経過しました。そして今、生命を囲む環境は最悪です。あの時点以来、米国では三千七百万人の赤ちゃんが合法的中絶手術で抹殺されています。幼児殺害と安楽死は社会から容認されつつあるようです。一九七三年のあの判決はこのような人間の生命軽視のきっかけになったのでしょうか?社会のこの崩壊ぶりの原因はさらに遡って、避妊を多くの人が容認していることにあると考える人たちも多いのです。 

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完全には補い合えない同性愛行為

同性愛行為には、『かけがえのないお互いを与え合う』一体感において欠落した部分がある。互いの性の違いの上に成り立つ男女間の結婚における性行為において、子孫をつくるという共通目的のもとに『一体』となった時のみ、人と人は完全に補い合える。互いが異なる存在であるがゆえに愛の行為が完結されるという確信のもとに、自分を与え相手を受け入れられるからである。神から授かった体を委ねることで、人は他者への思いを表現する。ふたりの人間の出会いは、互いの性の尊重が基本となる。つまり、自分を与え相手を受け入れ、同意のもとに心身一体となって愛の行為を完成させる。

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愛は徳によってのみ得ることができる

50年以上前から、西洋社会では、歌や詩、あるいは映画を通じて愛を称えてきた。にもかかわらず、我々は愛が崩壊する様子を目の当たりにしてきたし、それは今も続いている。どうしてだろうか?我々人間はなぜもっと愛情深くなれないのだろうか?我々はなぜ人の歌、たとえばジョン・レノンの歌に語られているような平和や普遍の正義を手にすることができないのだろうか?その理由として、以前と比べて我々の愛情が薄れていることが考えられる。今日の我々の状況を正確に描写した寓話を紹介しよう。 

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愛に呼ばれて不確実の時代における愛と結婚のキリスト教的ビジョン

  今日のテーマにはちょっとした難しさがあります。私たちが夫婦として、また家族として経験することは、 人類各々が経験していることです。ですから、このような話をする時に使う「言葉」は、 それぞれの文化の影響を受けているため、お伝えしたいことが真に伝わるように、 なるべく分かりやすく話したいと思います。 

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避妊に対する教会の道徳的教え

  イエスは、もし誰かが教会の教えさえも聞くことを拒否するなら、あなたが異教徒や収税役人を扱うごとくにその人を扱えと言われるとき、私たちに非常に厳しい警告を発せられているのです。言い換えれば、もし教会の教えを聞くことを拒否すれば、とても困ったことになるとイエスは私たちに言われたのです。ある特別な道徳的問題が一つあり、その問題に関しては、多くのカトリック教徒が教会の教えに即した考え方をしていない、又は行動をしていないことが調査によってわかっていますが、それは、実際かなり不幸なことなのです。

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ヒト胚も生きる権利をもつ人間です!

二十世紀後半から遺伝子操作や細胞融合など、生命科学(ライフサイエンス)の発展に伴って、生命をどこまで人為的に操作すべきか.あるいは個人の生命の尊重などの問題が、従来の生命観では対処できなくなってきた。このような生命の倫理上の問題を扱う専門分野が、バイオエシックスである。これはギリシャ語のバイオス(bios=生命)とエシケ(ethike=倫理)からきた造語と、国際化新時代の外来語辞典で知った。 

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「貧しさ」、キリスト教のキーワード

キリスト降誕の神秘的な夜、天使たちは羊飼いたちに告げて言った。「恐れることはない。わたしは、 すべての民に及ぶ大きな喜びの訪れをあなた方に告げる。きょう、ダビデの町に、あなた方のために、 救い主がお生まれになった。この方こそメシアである。あなた方は、うぶ着にくるまれて、 飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見るであろう。これがしるしである」(ルカ2,10-12)。 

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